バイクの本 ~ The Moto Guzzi Story2012/03/25 07:49



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先週、Ducati を取り上げたので、せっかくなのでMoto Guzzi の歴史も(Ducati と対比しつつ)おさらいをしておこう。

Moto Guzzi は、わかりにくい。
歴史が長いこともあるが、Ducati のように、イメージを一枚岩では捉え難い。常に、何枚かのレイヤが重なったり、入り組んだりしている。だがよく見ると、それが実に巧妙だったり絶妙だったりで、単純に行かないところが、またイタリア的だ。

動き出したのは、1920年(大正9年)頃。
立ち上げ当時のマンデロ(工場がある地名)。まだスカスカ。
(左側の三角の敷地が、Guzzi の工場)

1920年代の初頭に、バイクを設計開発して量産するというのが、どんな世界だったか。多分、現代の我々には、正確には理解できない。
T型フォードで「量産技術」が初めにお目見えしたのが、1910年代半ばだ。まだ、決まった方式はなかったろうし、お手本もなかった。
カンバン方式を妄信し、組み込みコードと品質管理基準に追われる、今のいたいけな技術者には、想像もつかない世界だったろう。

当時の工場の風景
(MOTO GUZZI DA CORSA 1 [ISBN 88-7911-134-5] より)
(天井に回転軸を多数配置し、そこからベルトで動力を取り出す仕組み。電線でエネルギーを伝えるやり方も、手元で回ってくれる小型のモーターも、まだ無かった由。)

量産技術だけではなくて、内燃機関や、バイクそのものが、まだ「初物」だった時代。イチから全て、自分で考えて試して、立ち上げねばならない。

そこへ来てだ。
レースもやる。

当時の「レース」が何だったのか、これも正確には想像し難い。実験か、開発か、宣伝か、自慢か。多分、メーカーやライダーによって、様々だったのだろうけど。

しかしGuzzi の場合、まさに「走る実験室」としても使っていたように見える。量産プロダクトとは全く関係のないものが、しばしば走っているのだ。
「レースは走る実験室」とは、いつぞやの日本メーカーの物言いだが。あの頃も今も、レースから量産車に有益なフィードバックがあったようには見えない。「レースは走る広告塔」が実情だったろう。

Guzzi は違った。

加給器付き並列四気筒、1930年(昭和5年)。

エンジン単体の開発だけでも、シリンダーの数や配列から始まって(Vツインとかパラ4とか)、カムの配置や駆動方法(DOHCとかベベルとか)、加給などの周辺技術まで、内燃機関の基幹技術の向上に、地道に、自力で取り組んでいる。
実際には、これにフレームや足回りなど、バイクの総体としての研究開発が加わる。その「コツコツさ加減」は、エンジニアの果敢さ、真面目さを伝えている。相当な仕事量だったろうと思う。

量産と、レース。
この両方を平行して運営するのは、町工場レベルの組織では不可能だ。二次大戦前の時代に、これを可能にしていたのは、資力のある家系(パローディ家)が事業のバックボーンを担い、長期に渡って支援するという、当時のビジネスモデルが機能していたためかもしれない。
四輪まで展開していたビアンキほど手広くはないにせよ、当時のGuzzi は、今、想像するほど小規模な組織ではなかったろうと思う。

もうひとつ。
レースを宣伝として活用するのが当たり前の今の感覚からすると、レースと市販車を完全に分離していたのは不思議(異様?)にも見える。
でも、実はこれも意外と良かったかもしれないと思っている。
実験車を作るときに、量産を全く考えないでいい。実験に徹しちゃっていいのだ。
「あれは実験です」と、しれっと済ませられる。
これは、技術屋にとって、ありがたいことではなかったか?。
新しいレーサーを作るたびに、それはいつ出るの?とせっつかれ続けたDucati 辺りに比べると、幸せな環境にも見えるのだ。

この、現実(量産)と夢(レース)をはっきり分ける現実思考は、Moto Guzzi の特徴の一つだと思う。それはこの後も一貫していて、見た目より実を取る、地道な取り組み方で通している。そんなあたりが、夢をダイレクトに与えたがる/欲しがるDucati 側の皆さんには、面白みがなかったり、「ずるい」と言われたりする所以かと思う。

Guzzi の歴史に戻ろう。

その後も、基本的に、立ち上げ当時のこの体制、つまり、量産車は水平シングルを発展させる、レーサーの方は、まあいろいろと(笑)、というその延長で、二次大戦まで至る。(実はもっと別のものも裏で走っているのだが、後述する。)

戦時中は、エンジンの搭載位置を上げて、悪路走破性を上げた軍用バイクなんかも造っていた。まあ戦時下ゆえ仕方がなかったのだが、連合国から見れば、枢軸国に加担する悪いヤツだ。ビアンキやピアジオも、工場を連合国に爆撃されて、のされている。しかしラッキーなことに、マンデロは無事だった。コモ湖畔なんて、へんぴ・・・もとい、風光明媚な所にあったのが、幸いしたのかもしれない。

終戦の後、日本と同様、イタリアでも、安価な足として、二輪車の需要が急速に高まった。 戦前からのメーカーに加えて、ドカティやラベルダなどの新興勢、さらに、ピアジオやアグスタなどの飛行機屋まで参入して、一斉にモペットやスクーターを作り始める。

Guzzi も、その辺を一揃え、ラインナップに加える。





無論、レースもやる。
戦後すぐに、Guzzi がいきなりGPの上のクラスでも戦えたのは、戦前からの蓄積があったからだ。
そのピークは、言わずと知れた、あの500cc V8だ。

1956年(昭和31年)。
「スピード以外、何も考えない」
Guzzi に限らず、レーシングマシンのこの「徹しさ加減」も、この頃が一つのピークだったように思う。Guzzi の場合、「ピーク」と同時に、「最後」にもなってしまうのだが・・。

舞台裏も見ておこう。

Guzzi は、地道な所でも稼いでいた。
あまり知られていないが、例えば、「オート三輪」だ。


手近にバイクという動力源があれば、これに荷物を引かせたい、そういうニーズは常にあったろう。初めは、まんまバイクに荷台を引かせる構成から、駆動輪だけを一体化した3輪車構造を経て、しっかりしたキャビンを備えた、本格的なものに進化して行く。当初のハンドルバーは、ステアリングホイルに取って代わる。
この馴れ初めから進化の技術的な過程は、日本のオート三輪によく似ている。

Guzzi の荷車の製造は、戦前の1928年(昭和3年)から始まって、1980年代まで続いたらしい。始まりの時期は、日本とほぼ同じ。終わりの方は、確か日本は1960年代だったので、Guzzi のは、ずいぶん長生きしたことになる。
結構な数が出たらしいし、単価はまあまあだったろうから、稼ぎも良かったのではなかろうか。
バリエーション展開も多かった。例の「3X3」は、軍の要請に応えてオチャメをしちゃった、こいつのスペシャルバージョンだったし、小さい排気量の方も、Piaggio のApe あたりに近いものまであったらしい。

古く入り組んだ町並みが多いイタリアでは、Ape は今でも使われていて、こういうミニマム荷車のニーズは、しぶとく残っているようだ。そういう、市場のツボをおさえた製品を投入していたのは、マーケティングのうまさとも言えるだろう。

技術を生かす場を上手に探して、ニーズを的確にヒットして、つかんだ市場を大事にして、長く製品を作り続ける。そんな手練れな商売上手は、どうにも日本の実情(食いつくし型)とは違うようで、少しうらやましくも思うのだが。(日本の軽トラなんかを入れない、貿易障壁のおかげかもしれないけど。)

こういう地道なニーズを拾う実直さが、Guzzi の経営面に及ぼした影響は、小さくなかったように思う。実用車エリアに軸足を置くやり方は、Ducati あたりが本当に入りたかったが、ついに果たせなかった市場でもある。

市販車、レース、荷車・・・(実はもっと細かいものも)。
こんな横展開を維持できたのは、戦前からの「老舗」だったこと、二枚岩、三枚岩をこなす懐を持った「大手」だったからでもある。Ducati あたりとは、格が違ったのだ。

さて。
その後も、時代は移る。
市場も。

次に来る山は、市場の大型車シフトだ。
終戦直後のニーズのうち、実用ユースは四輪に移り、二輪車の市場は、足としてのミニマムモペットと、趣味としての大型車に二分していく。
各社がいっせいに、大型車シフトに取り組み始めるが、Guzzi はこれを、二段ロケットで乗り切る。

一段目
V7 1965年(昭和40年)
(写真は後記モデル)

二段目
V7Sport 1971年(昭和46年)

この時に立ち上げた縦置きV2のアーキテクチャを、上下左右にバリエーション展開して、クルーザーや中型車まで一通り並べて、新たなアイデンティティとして確立する。




そうやって、大型二輪メーカーとしての脱皮を果たす。

例の、幅広ハンドル、ノンカウルあたりの、「地味だが実直なマーケット」も、しっかり抑え続けている。日本では、Guzzi と言えば上級スポーツモデルのルマンばかりが有名だが、向こうではカリフォルニアもよく売れたし、中~小排気量のラインは値段も安く抑えていて、手軽なモデルとして定着していた。ヨーロッパの街中では、目にする機会が多かったと思う。

とはいえ、躍進する日本車に追いやられるのは他の西欧メーカーと同じで、市場では次第に影が薄くなる。

それでも生きながらえたのは、自身の価値を認めてくれる少数の顧客で食いつなげるよう、身の丈経営に徹したのが功を奏したようにも見える。

経営的には、上の二段ロケットの間で一回つぶれていて、その後にデトマソに売られてしまう。デトマソがMoto Guzzi に何をしてくれたのか、よくわからない。少なくとも、パローディ家の役割は、望むべくもなかったろう。

Benelli やInnocenti とも組まされたが、結局これらはつぶされた。Guzzi は、何とか残って来れたが、例の「実直な製品」のような地道な稼ぎ方が効いたのだ。自助努力で生き延びた、と言っていい。

デトマソは、助けたと言うかも知れない。しかし、状況はむしろ、助けてやった、ようにも見える。

そうして、その後もさらにいろいろあって、今はといえば、ピアジオ傘下だ。そんなウダウダを、Guzzi は何とか泳いで来れたが、組織の規模が盛り返す場面は、ついぞなかったようだ。

世紀の境目の頃。
Ducati が、ビジネスのパトロンを変えながら、タリオーニの遺産にいろいろ付け足し、盛り付けを変えながら、拡大に向けて漕ぎ続けていたのとは対照的に、Guzzi は、多少のもがきは見せたものの、従来の、自らの地平に留まり続けているように見える。

かつて、Guzzi だからできるもの、Guzzi にしかできないものに真面目に挑み、具体的に形にして来たあの腕力は、そこで作り上げた自らの形の中に留まるだけなら、衰えて行くだろう。

このままだと、単なる大型車のブランドとして、名前だけを、ピアジオに便利に使われるようになりはしないかと、いらん危惧もしたくなる。Laverda や、Morini のように。

(先週も書いたが、) タリオーニ爺に言わせたら「まがい物」かもしれない、今のきらびやかなDucati がそれでいいのかは、私にはわからない。

しかしGuzzi も、いまだにルマンIII あたりが一番人気というのもナンダカナだし、他方、新しい1400ccのカリフォルニアが、何かヤッタナとも、正直、思えないでいる。
(昨年導入された、FIATのnewチンクエのツインのエンジンが、実はGuzzi 製だった!なんてことだったら、大笑いできたのだが。50年後のリベンジ。)

共通するのは、「先達が作った諸相を、発展的に超えられるか?だ」と丸めてしまうこともできるのだが、そう言ってしまうと、課題の本質は、いつでも誰でも取り組んできた、ありふれたものなのかもしれない。
皆して、おなじ凹みに落ち込んでいる、といった所か。


確かに、便利に、カッコ良くはなっている。
それでいい、とも思う一方、
オレらが夢中になり、欲しがって来たのって、こんなんだっけか?、と。

先週の、初めの問いに、戻ってしまうのである。


今のマンデロ

「 MOTO GUZZI 」が、ただの「製品の出口にかかる表札」にならないことを。
(Ducati に限らず、他のメーカーも、既にそうなりつつある。)

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今回の表題の本は、先週のDucati と同じ著者による一連のシリーズのGuzzi 版だ。歴史もきっちり網羅しているが、比較的新しいモデルにも満遍なくページを割いている。取材も新たに起こしたようで、記述に間違いも少ない。写真も、当時のものの再掲ではなく、新しく撮ったものが多い。 珍しく、巻末に各モデルの生産数が載っていて、データとしても参考になった。

Guzzi の「おさらい本」といえば、やはり Mario Colombo さんのが一番だと思うのだが、ボリュームがかなりで重たいし、昔話が多いので(写真も当時に撮られた白黒がメイン)、気軽という意味では、本書の方がいいだろう。

目次 (Clickで拡大)


Amazonはこちら
やはり私のは版が古くて、最新版はコレのようです。
グリぞうが表紙ですな。
The Moto Guzzi Story: Racing and Production Motorcycles from 1921 to the Present Day

コメント

_ moped ― 2012/03/31 16:53

まいどです。

モトグッチは、さまざまなエンジン形式の経験や、
会社のロケーションを考えると、つくづく不思議な会社です。

コモ湖は、関東でいえば、
芦ノ湖にバイクメーカーがあるようなものです。(笑)

_ はると ― 2012/04/12 17:11

初めまして、公道バイク研究室から来ました。
GUZZIへのご考察の深さに感心しきりです。

_ ombra ― 2012/04/14 07:17

はるとさん
はじめまして。ombraです。

恐縮です。
Guzzi を書くと、つい、いつも長くなります・・。

# サイトの方も更新しないと・・・(汗)

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