バイクのビデオ 「Enjoy Your Riding」 つづき2014/07/13 05:49



続いたりする。
(年かさなので。昔話を始めると長いのだ。)

自分でも意外なのだが。
しげしげと見直したりしている。

私が普段、思っていること、言っていることというのは、この辺りから、ずいぶん影響を受けているものだなと。(同じものが多い。)

● ヨーロッパでは長い時間をかけてバイクが浸透し、人々の暮らしに根付いており、身近な所で気軽に楽しめる環境が整っている。

今思えば、だが。
根付くも何も、欧州ではバイク発祥の瞬間から「その辺にあった」ものだし、単に「あるものは楽しく使う」という現実性と、他人の楽しみを嫉まない(邪魔しない)という個人主義がもともとあった。だから、そこへ「暮らしに使うピース」の一つとして、バイクをうまくハメ込んで使えている人がちゃんといたし、今でもいる(絶えない)。そういう構造のような気がする。

● ユーザーは、自分の中の絶対的な『バイク像』のようなものを具現化できるわけではない。とりあえず、市場で提供されているものから選ぶだけだ。ただ、『絶対的なバイク像』のようなものは確かにあって、それに近づけていこうとしていた、歴史的な経緯がある。

これは、確かにそう。
バイクの場合、日本車は、基本、「便利なもの」と「売れるもの」のどちらかだった。エンジニアが、バイクの理想像に何か一家言を持っていて(特に特性的な所)、それをプロダクトアウトする方向性は 全くなかったと言い切ってしまおう
実際、今でも、国産のラインナップを眺めてみると、「とんがった頂点」の下は、途端に「ボケたの」になるという構成が多いと思う。売るための方便が立てば、モノの実際は何だっていいんじゃないかと。そう見える。

対して、外車は、以前はあらかた「一家言あった」し、それが、賛同するユーザーを選別していた。結果として、ユーザーが縦割りになっていたから、商売上の棲み分けも成り立っていた。(今思えば、いいビジネスモデルだ。)
もう、そんな由緒や序列はブッ壊れて久しいが、それを壊したのはユーザーでもある、という話は、いつか書いたっけかな・・・。
まあ、それで、バイクは売れなくなり、ユーザーも欲しい物がなくなりってんじゃ、世話無いんだけどね。

ちなみに、私がここに書き続けているのは、気に入ったのが無い、というグチではなくて、もう少し真面目に考えてくれ、という文句のつもりなのだが。違ってるかな。でないと、まだ若かったタカズミに、説教食らったことになるな・・・。(笑)

● 本来、絶対スピードとか性能とか、バイクには全く必要ないと思う。エネルギーの高さと、乗って楽しいかとは、本来、全く関係が無い。実際、オフ車の方が安心感が高いし、楽しく乗れたりする。

私は、オフ車自体は 擁護しない。
このビデオもずいぶん前の話だし、私の記事も、もう10年近く前だ。
その後も、オンオフモデルは存在し続けていて、模索、一般的には進化?(笑) も、していたろう。でも、結局、残ったのは「凄んごいの」と「そーでもないの」の二分化だというなら、その模索は、失敗だったと言わざるを得ないとも思う。
その二分化の間に落ちた残渣を、未だに探し続けている人も、少なくない気がするのだが。

「バイクの楽しみにエネルギーは関係ない」という点は、全く正しいと思う。
いくら速くても面白くないバイクはいくらでもあるが、全然速くないのに、衝撃的に楽しいバイクというのが確かにある。(ほんの少しだけど。)

公道で遊びで乗る道具として、どちらが望ましいかは、言うまでもないだろう。

どうも、今でも、作り手も乗り手も、その辺の区別がまともに付いていないように思えるのだが。それは、我々が、まともにバイクで遊んだ経験が、ほとんどないからではなかろうか、という話は、また次回。

どうでもいいんだが。
こんな映像、美しい自然を背景に、バイクがまったりと楽しく遊んでる環境ビデオみたいなのって、需要ないかな。BGMは排気音じゃなくて、キレイだが耳につかない音楽がいい。
YouTubeでも探せば出てくるかな。どなたかご存知でしたら教えてほしい。


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mcbooks.asablo.jp/blog/2014/07/13/7387216/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。