読書ログ 著作権とは何か ― 2015/02/28 22:42
図書館で、題名が目に止まって。借りてみた。
「権利」の話である。
権利とは、いわば「権力を使う資格」のようなものだと思う。
権力とは、いわば「公に認められた暴力」だから、こういう時には暴力をふるっていいですよ、と法律で決められた仕組み。そんな感じだろう。
権利は、組織の上下に当てはめられた場合、権限という言い方に近い。
だから、権利や権限の外側では、お巡りさんや裁判官、上司なんかも、ただの人(ごくたまに?並み以下)になる。
自然界にあるような、物理的なものではない。
法律の条文で形作られた、架空のものだ。
架空だから、見ることも、触ることもできない。
無論、食べたり、味わったりもできないのだが。
なぜか、それで食っている人間も結構いるという。
誠に不思議な存在でもある。
法的な仕組みなので、運用は裁判による。
裁判を運営する法曹界というのは、強固なピラミッド構造を成している。
頂点は最高裁で、その下に判事や検事なんかの法務役人、その下に、「士」がつく法務の専門職(弁護士、司法書士、税理士、弁理士なんか)などなどが続き、底辺に、我々庶民が組み敷かれる。
そのピラミッドの中では、シタの者は、ウエの者に無条件で従う「ことになっている」。士がつく人々は、判例の考え方を徹底的に学んで、その仕組みの、絶対的なフォロワーになることを求められる。(それを認定されると、「士がつく資格」が頂ける。)
ウエの判断は絶対で、それを覆すことも、歯向かう事もできない。(歯向かうどころか、疑ってもいけない、という雰囲気もある。コンプライアンス。) そも、ウエに向かってモノを申そうにも、そのための仕組みは一片すらない。だから、たとえウエの判断がどんなに明らかに間違っていても、誰も、何もできない。愚痴るのがせいぜい、というのが現実である。
法律とは、このピラミッドを、ウエからシタに流れるだけの、一方通行の仕組みである。
法律の条文を見ると、大体(かつ一応)、美しい理念から始まる。
国民生活の円滑を図るう~とか。
産業の発展を促すう~とか。
でも、実際に「図られて」いるのは、国民や産業の側ではなくて、明らかに、法務を担う側の利益だったりもする。だとしても、その辺は、上述のように、やりようがない仕組みになっているのでね。どうしようもない。
そんななので、「権利」なんかを実際に使おうとすると、その美しい理念や、こ難しい条文を学んだだけではダメで、運用の実体を知らないと、埒が明かない。(その運用の実際に関する知識が、「士がつく」人々の唯一かつ全ての価値である。)
本書は、数ある権利の中の一つである「著作権」について、その理念と実際の間の谷を、説明で埋めようと試みた一冊だ。一見、さほど乖離無く、その試みに成功しているので、なかなか稀有な一冊だと思う。著作権まわりの険しい山谷を含む風景を一望するには、便利な本だ。
要は、法的に「著作」と言える文章や音楽、絵画なんかは、それを作った人間が実質的な所有者で、どう扱おうか好きにしていい、ただし、無制限に何でもしていいわけではなく限界はあって、その限界の「形」がちょいとばかり複雑だから、よく勉強しないとね、引っかかっちゃうよ、お互い様に、とそんなことだ。
作り手の側にとって、オレが書いた文や絵を、どう使うかはオレの勝手だ、他人が勝手に使うんじゃねえ、と感情的にそう思うだろうことは理解できる。しかし、文も絵も、大体は人に見てもらって、何かを伝えるのが目的だから、「オレのだ」と仕舞い込んでいては意味がない。でも、他人に見てもらうとなると、発表までの流通で他人の手を経るし、発表してからの解釈では、否応なく他人の意図に曝される。
悪い他人もいる一方で、善意で引用や紹介をしてくれる人もいるだろうし、売買を仲介する「職業」すら存在する。そもそも、意図して盗んだわけではなくて、「たまたま似ただけ」かもしれないし、経済的に、著作権者の何かを損じた訳ではなくて、かえって利益を増す場合だってありうる(宣伝になったとか)。それ以前に、果たしてそれが法的に「著作」に当たるのか?、「似ている」の境目を越えたと判断されるのか?、たとえ超・ウエの裁判官殿に、エイヤの判断をしていただいたとて、それが妥当かどうかはわからない。(時間と金がかかった挙句、明らかにおかしかったとしても、逆らう術がない、ということだけはわかっている。)
そんなこんなの、ややこしい山や谷を、どう切り抜けて、どう埋めるのか。
ネットの登場からこっち、「著作」が流通の経路はえらく増えたから、それが、よろしくない意図を持った人間に触れる機会もまた増えた。なのに、追加やチョイ変のパッチだけでやり過ごそうとしているから、「権利」の仕組みは複雑さを増す一方・・・という段階を通り越して、皆様もご存知の通り、あちこち穴が開いたり、ほころびたり、行き詰ったりしている。
だからといって、美しい(美しかったはずの)法の理念に戻った所で、何か解決したり、あるいは参考になったり・・・するわけではなさそうだな、と。その辺は、予想通りの読後感だった。
何だかんだ言ったって、結局、この辺りの課題の実務的な本質というのは、「関係者の利益調整」、つまり「ぶん取り合い」なのだから。(権利を裏返すと、利権になる。示唆的である。)仕方ないのだろう。
たかが著作権だけでこれなのだから、「知財立国」などと、お偉いさんが唱えてみた所で、お笑い草なのだろう。
本書だが、2005年の刊と少し古いので。より実務的な情報が欲しいなら、もっと新しい著作を当たるべきだろう。
追記
上記の「法曹界の構造はピラミッド型で云々」という話は、最近、法務系の仕事も担当することになった私が、霞ヶ関を含む業界周辺をうろついて、人に会ったり話を聞いたりして感じたり考えたりした結果です。本書の内容とは全く関係がありませんので、あしからず。
Amazonはこちら
著作権とは何か―文化と創造のゆくえ (集英社新書)
同じ著者で、もっと新しい本があった。こちらの方がいいかも。
18歳の著作権入門 (ちくまプリマー新書)
最近のコメント