海の記憶 七〇年代、日本の海(単行本)2022/07/01 04:46


前回取り上げた白黒写真の本 と同じ著者による、別の本である。

前回の本は少々不満が残る内容だったが、せっかくなので、著者がもっと言いたいことをダイレクトに書いた書籍を当たってみた。

表題の通り、70年代の日本の海で、漁業に携わる人々を撮った著者のアーカイブ写真を紐解いた内容だ。白黒写真と当時のメモに、補足を加えた構成になっている。

刊行は2015年。さほど古い本ではない。

著者が本書を志したきっかけは、2011年の福島原発の事故だった。

人為的な所作により環境が汚染され、古来そこで暮らしていた人々が、一方的に苦しめられる結果を招いた。しかもそれが、責任の所在が明らかになるでもなく、原状回復をするでもなく、ただ被害者の生活を一方的に流し去る一本道を暴力的に進むことで「収束」させる、そういう動きを見せていた。

それが、70年代、「公害」が頻繁に言われた時代に、海で暮らしていた人々の状況を想起させた。それになぞらえる形で、著者の手持ちの当時の記録を紐解いてみた。そういう背景で書かれた本だ。

一般的に、白黒写真というのは、コントラストを上げて刺激性を高めたものが多い。だが、本書の写真は全く違っている。トーンが抑えられており、目に優しい。しかし、よいフィルムとレンズで丁寧に撮られていて、解像度は高く、撮影対象の細部まで、詳細に写し出している。

言いたいことを簡潔に、抑えた口調で、ただ淡々と伝える。そういう著者の語り口は、写真にも象徴されている。

本書に収められた「現場」は、日本中を網羅している。

まさに生活の場であった海を汚染され、ただ一方的に脇に追いやられる、小規模沿岸漁業。

割を食うのは、いつも弱者の方だ。

ここに描かれる70年代、私はまだ、ごく小さかったが、確かに、父母の実家に里帰りした際には、ここに写っているのと同じ質感の光景に、出会ったことが思い出される。

子どもの頃に遊んだ近所の川は、既にヘドロのような汚泥で覆われて悪臭を放っていたが、そこからザリガニを取って遊んだりしていた。

私のような昭和のオッサンにとっては馴染みのある風景で、現実味を持って理解できる。

それが、こんなにもたくさん、既に失われた。
その現実に、今更のように、ひと唸りする。

日本は、戦後の工業化で復興した。それは、国民大多数の生活を底上げしたが、失ったものも多かった。

西洋化という意味で、明治維新以降、同じ一本道を辿り続けた。それはいわば、西洋の模倣の一本道であり、日本の古来を喪失する道でもあった。

その喪失のプロセスは、取り戻せない、不可逆な変化だ。

復興とロスト。トータルで考えて、これで良かったのかなと、またいつもの疑問が湧く。

「昔は良かった」と、一方的に主張するつもりは毛頭ないのだが。
 済んだものは仕方ない、
 どうせ戻らないんだから考えるだけムダだ、
 既存のインフラはコスト分を使い倒すのが合理的だ、
といった昨今の風潮、要するに「何も変えずに、このまま行ってしまおう」という老人のような主張と、それへの同調圧力にさらされ続けていることの不条理に対して、私は、不快を感じ続けている。

他方、その寄る辺となる「開発」は、既に行き渡り、行き詰まり、次の展望を描けていない。眼前の老朽化メンテナンスにすら、対処できていないのだ。

だがそれは、既得権益として「保持」すべく、それにすがり、ぶら下がる人々のモニュメントとして、醜い姿をさらしながら、君臨し続けている。

そんなモヤモヤを考える時、過去の記録というのは、やはり必要だ。
その点、著者の写真は、いい仕事をしている。

下手な「昭和の写真集」なんかより、よほど見ごたえがあった。

だが、いつも手垢で汚れ放題が恒例の図書館の本にあって、本書は実にキレイなままだった。

Amazonにもレビューが付いていない。残念ながら、人気のある本ではないのだろう。

きっと本書も、弱者として忘れ去られる運命なのだろう。


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海の記憶 七〇年代、日本の海 (単行本) – 2015/10/1
定価は¥2,600+税

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