◆ なめらかな社会とその敵: PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 (単行本) ― 2023/03/19 05:55
著者が構想する新しい社会構造について論じた本だ。
下は個々人の認識から、上は国家・世界レベルまでのあらゆるレベルが、議論の対象に含まれる。
少々長くて難解な本だが、著者の主張を完璧に網羅してはいないようだ。
著者の主張自体が完結しておらず、まだ途上にあることが一因ではある。
著者は、複雑系を専門とする学者さんで、企業の経営者でもある。
まずは、その膨大な知識を活用して、今の社会がどう成り立ってきたか、その結果、今どんな構造になったのかを、紐解いて見せる。
民主主義とか貨幣経済とか、今の社会の根幹をなす考え方の多くは、古くはギリシャ時代にまで遡れる古い概念だ。それらが時代や地域に応じて変遷し、(今風に言えば)数々のアップデートを経て、似て非なるものに変わってきた。その変遷の歴史が、誰が言ったどんな言説の影響の積み重ねであるのかを、つまびらかにせんと試みている。
結果、昔の民主主義と今のは違うし、隣国の民主主義と日本のは別物になっていたりするわけだが、その両方を説明する共通要素として、著者は「膜」と「核」という概念を採用し、構造的な根幹の部分を説明しようと試みている。
そして、現代社会と個々人の双方にある「膜」と「核」を、なくすこと、または刷新することで、人間が作る社会を次のアップデートに導ける、としている。
のみならず、そのためにはどうしたらよいかを具現的に構想し、数式化し、シミュレーションして、実証しようと試みている。
著者が言う新しい構造は、ここで要約できるほど簡単ではないので割愛するが、基本線は、昨今の情報化で人々の認識の様相が変化したことと、コンピュータのコモディティ化で複雑系のシミュレーションが容易になったことのインパクトをフルに活用した、ちょっと前によく見た感じの、今風の方法論に依っている。
本書には、その新しい構造化の方法論と、結果として現れる新しい仕組みの構造の両方を、価値、個人、知識といったアスペクトで順に説明している。最後に、それがやがて構造上の暴力として現れるだろうことの意味を考察して終わっている。
この本にある新しい社会の是非を論じる程の思考力を、私は持たない。ただ、初版から既に10年を経ており、まだネットに希望を持てていた頃の論調であるように感じられて、少々の古くささを、個人的には感じた。
著者の構想にある基本路線の一つに、ネットワーク化がある。我々の思考や、社会の構造は、従来、要素をグループ化し、それを階層に分けて、その上下関係のつながりでもって順繰りに処理していく。そういう構造をしていた。その階層を破壊し、各要素グループを同一平面上でランダムに接続するネットワーク構造にすることで(インターネットWebのように)、障壁や制約をなくした、より自由でダイナミックな仕組みにする。それが進歩であるという考え方が、根本にあるようだ。
その気分が強かった本書の当時から10年を経て、今や、SNS内でのいがみ合いや、それを国家レベルにまで押し上げたトランプ禍を経て、ネットワーク構造化のネガティブ面も可視化され、実証もされている。さらに、情報戦のような言い方でもって、プーチンの古い戦争の道具として使われる危険性すらも突き付けられている。ネットは、進歩だけではなく、退化ももたらしている。
そういった結果を知った後から、後出しジャンケン的な批判で恐縮なのだが、本書の概念には、そういった今を鑑みたアップデートが欲しいと感じた。
もう一つ。著者の思考は、いわゆる「システム化の矛盾」を乗り越えていないと感じた。
システムは、ちゃんと構造化されていないと、まともに動かない。まともに動くシステムは、仕様に応じたファンクションを完ぺきにこなす。他方、システムへの要求は常に変化していて、改善や追加や削除の要望は常に発生し続ける。しかし、完成度の高いシステムは、その変化に容易には適応できない。「優秀なシステムは、必然的に柔軟性に欠ける」という矛盾を孕む。
柔軟性もシステム化してしまえばよい、と簡単に言い放つことも可能なのだが、よしんばそれが実現したとしても、「柔軟性を備えたシステムが、次の柔軟性を受け入れるのに、新たな開発が発生する」ことは変わらなかったりする。なので、結局は堂々巡りになる。解決にならないのだ。
もう少し具体的に説明する。
社会というのは、解けない連立方程式のようなものだ。
端的に、式の数より、解くべき変数の方が多かったりする。
式を作る作業は、モデル化と言われる。著者が提唱する新しい構造は、端的には、このモデル化のことだ。(表題のPICSYは、そのモデルの一つ。)
一方で、パラメータを設定する作業は、最適化と呼ばれる。数学的には、この連立方程式は解けないので、式を満たすパラメータセットは無限に存在する。システムを稼働させるには、無限にあるパラメータから、よさそうなものを設定する作業が、別途必要になる。
簡単に言ってしまうと、システムの運用ノウハウのようなものなのだが、これは一意的に決まるものではないので、不安定だ。評価軸によって価値も変わる。その瑕疵を解決するため、パラメータセットを評価して式にフィードバックするループも含めて、まるっとシステム化してしまおう的な話になりがちだ。
しかし、その結果できた次世代システムも、後から見ればただのシステムの一容態なわけで、次の新たな要件に対する柔軟性を備えているのかは、別問題だったりする。大概はそこまで考えて作られていないので、パッチを当てるだけでは済まず、「イチから作り直し」になったりするものなのだ。
以上の帰結は、「新しいシステム」という考え方自体が、解決をもたらすものではない、という結論を、端的な例である。
だから、世の中のアプリやOSなどのシステムはアップデートを続ける運命だし、社会システムも、多少の不便を承知の上で改変し続けるリスクから逃げられない。
世界は「いつまでも一過性」だ。最終形に落ち着くことはない。(あったとしたら、「諦めた時」だけだ。) 東洋ではこれを、色即是空と言い習わしてきた。
著者の構想も、この延長にある。社会制度設計など一過性のものと割り切り、いい所を見据えて、応用し、改変して行けばよい。
本書は、その材料探しのためい読む分には、今でも、十分に読み出がある良書である。
Amazonはこちら
単行本
なめらかな社会とその敵: PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 単行本 – 2013/1/28
文庫
なめらかな社会とその敵 ――PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 (ちくま学芸文庫 ス-28-1) 文庫 – 2022/10/13
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://mcbooks.asablo.jp/blog/2023/03/19/9570323/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。