◆ (新書)ウクライナ戦争 ― 2023/06/21 06:06
どこかの書評で好評で、自分で買って読んでみた。
昨年2月に始まった第2次ウクライナ戦争は、リアルタイムでかなりの量の報道がされていたが。表層的なものと、深堀にこだわったものに二分されていて(深掘りは視野を狭める)、欲求不満だった。
本書は、それらとは違い、かなり俯瞰的な視野で書かれており、その不満にかなりの割合で解消してくれた。
ロシアの軍事評論を生業とする著者は、欧米の論説のみならず、ロシアの文献も直接読みこなす。視野が広いだけでなく、情報ソースのバランスも優れている。
本書は、このウクライナ戦争について、それが始まる前、ロシアが発する各種のメッセージや、実際の軍隊の動向などから始めて、ロシアの軍事介入後半年を少し過ぎた辺りまで、情勢を追い、その変化をまとめている。
著者は、紛争の以前にロシア軍がどのような動きをしていたか、プーチンを始めとする政権や軍の内部での言説から、紛争がかなりの確率で高まっていたことを指摘している。また、地理的にロシアに近く警戒を怠れないヨーロッパ諸国を中心とした西欧側でも、その認識は同様であったと。ロシアのウクライナへの軍事介入が近いことは無論、その時期や作戦の内容まで、かなりの度合いで把握・予想していたとある。
「ウクライナは軍事介入されれば持たない、ロシアの目論見通りに、短くて数日、長くても数週間で陥落するだろう」というのが一般的な読み、かつ巷の下馬評だった。ロシアは無論、ロシアとの全面対決に発展することをまず第一に恐れる欧米諸国も、同様の認識に留まっていた。
しかし、実際に紛争が始まった後の経緯は、大方の予想を大きく裏切った。その経緯は、一般の報道でも繰り返しなされているが、本書でも無論のこと、さらに視野を広げつつ俯瞰の度を深めている。
興味深いのは、その後の情勢の変化に従って、ロシア、欧米双方の認識も変化し、対応策も変わって行く経緯だ。それがどういった連鎖で起きていたのかも、本書は追っている。
無論、本書の内容が全てではないし、正しい訳でもないだろう。しかし、戦争を考えるという行為をどう進めるべきなのか、モデルを提示してくれているという意味で、有益なお手本と言える。
著者は、古くはクラウゼビッツから、最新の軍事情勢まで時系列に把握しながら、ロシアと欧米の正式な論文からネット情報などの末端情報にまで目を配り、意味をくみ取ろうと頭を使い続けている。本来なら、国のレベルで、かつチームで行うべき作業であり、それを単独でトライしていること自体、驚異的でもある。
「もともとあそこはウチの土地だった」という一方的な主張により、大国が小国に軍事介入を事前からほのめかし、遂に実行に移す、という経緯で見ると、ウクライナに台湾を投影するという、巷でよく見る帰結の予想は、論理的な整合性を持っているように思える。
そしてその場合、日本の立ち位置は、軍事力の絶対値は弱く(核兵器がない)、他の大国の庇護に依存せざるを得ないという意味で、今回のウクライナ戦争におけるポーランド辺りに例えられるという。ロシアは中国に例えられる一方(両方とも核保有の大国)、米国の立ち位置は、両方で同じとなる。
そう考えると、今回のウクライナ戦争から日本が学べることは沢山ある。有事の際に、日本がどう立ち回るべきか、そのために今、何を準備しておくべきか、貴重な教訓が得られるはずだ。当事者意識を持って、我が事のように考えるべきだという提言で、本書は終わっている。その言葉は、真摯な響きを持っている。
個人的に、視野がクリアになっただけでなく、思慮も深まった気がする。ウクライナ戦争に多少なりとも興味がある方には、お勧めの一冊だ。
本書は、紛争の途中経過で終わらざるを得なかった事情があるため、突貫で書いたと思しき文章だが、まあ仕方がないだろう。もうしばらく後に、戦争に一段落がついた辺りで、総括のような続編を出してもらえば、是非読みたいと思う。
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ウクライナ戦争 (ちくま新書 1697) 新書 – 2022/12/8
昨年2月に始まった第2次ウクライナ戦争は、リアルタイムでかなりの量の報道がされていたが。表層的なものと、深堀にこだわったものに二分されていて(深掘りは視野を狭める)、欲求不満だった。
本書は、それらとは違い、かなり俯瞰的な視野で書かれており、その不満にかなりの割合で解消してくれた。
ロシアの軍事評論を生業とする著者は、欧米の論説のみならず、ロシアの文献も直接読みこなす。視野が広いだけでなく、情報ソースのバランスも優れている。
本書は、このウクライナ戦争について、それが始まる前、ロシアが発する各種のメッセージや、実際の軍隊の動向などから始めて、ロシアの軍事介入後半年を少し過ぎた辺りまで、情勢を追い、その変化をまとめている。
著者は、紛争の以前にロシア軍がどのような動きをしていたか、プーチンを始めとする政権や軍の内部での言説から、紛争がかなりの確率で高まっていたことを指摘している。また、地理的にロシアに近く警戒を怠れないヨーロッパ諸国を中心とした西欧側でも、その認識は同様であったと。ロシアのウクライナへの軍事介入が近いことは無論、その時期や作戦の内容まで、かなりの度合いで把握・予想していたとある。
「ウクライナは軍事介入されれば持たない、ロシアの目論見通りに、短くて数日、長くても数週間で陥落するだろう」というのが一般的な読み、かつ巷の下馬評だった。ロシアは無論、ロシアとの全面対決に発展することをまず第一に恐れる欧米諸国も、同様の認識に留まっていた。
しかし、実際に紛争が始まった後の経緯は、大方の予想を大きく裏切った。その経緯は、一般の報道でも繰り返しなされているが、本書でも無論のこと、さらに視野を広げつつ俯瞰の度を深めている。
興味深いのは、その後の情勢の変化に従って、ロシア、欧米双方の認識も変化し、対応策も変わって行く経緯だ。それがどういった連鎖で起きていたのかも、本書は追っている。
無論、本書の内容が全てではないし、正しい訳でもないだろう。しかし、戦争を考えるという行為をどう進めるべきなのか、モデルを提示してくれているという意味で、有益なお手本と言える。
著者は、古くはクラウゼビッツから、最新の軍事情勢まで時系列に把握しながら、ロシアと欧米の正式な論文からネット情報などの末端情報にまで目を配り、意味をくみ取ろうと頭を使い続けている。本来なら、国のレベルで、かつチームで行うべき作業であり、それを単独でトライしていること自体、驚異的でもある。
「もともとあそこはウチの土地だった」という一方的な主張により、大国が小国に軍事介入を事前からほのめかし、遂に実行に移す、という経緯で見ると、ウクライナに台湾を投影するという、巷でよく見る帰結の予想は、論理的な整合性を持っているように思える。
そしてその場合、日本の立ち位置は、軍事力の絶対値は弱く(核兵器がない)、他の大国の庇護に依存せざるを得ないという意味で、今回のウクライナ戦争におけるポーランド辺りに例えられるという。ロシアは中国に例えられる一方(両方とも核保有の大国)、米国の立ち位置は、両方で同じとなる。
そう考えると、今回のウクライナ戦争から日本が学べることは沢山ある。有事の際に、日本がどう立ち回るべきか、そのために今、何を準備しておくべきか、貴重な教訓が得られるはずだ。当事者意識を持って、我が事のように考えるべきだという提言で、本書は終わっている。その言葉は、真摯な響きを持っている。
個人的に、視野がクリアになっただけでなく、思慮も深まった気がする。ウクライナ戦争に多少なりとも興味がある方には、お勧めの一冊だ。
本書は、紛争の途中経過で終わらざるを得なかった事情があるため、突貫で書いたと思しき文章だが、まあ仕方がないだろう。もうしばらく後に、戦争に一段落がついた辺りで、総括のような続編を出してもらえば、是非読みたいと思う。
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ウクライナ戦争 (ちくま新書 1697) 新書 – 2022/12/8
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