◆ (新書) 認知症の私から見える社会 ― 2023/12/28 05:45
題名から、「認知症を患った結果、社会の見え方がこう変わった」のような、一人称の認識論的な内容を想像しそうだが、全く違った。
視線はむしろ逆向きで、認知症と診断された結果、世間が自分を見る目がどう変わったか、を書いた本だ。
一口に認知症と言っても、症状や程度は人それぞれだ。しかし、いざ認知症の診断が下ると、世間の人は、どの認知症患者も十把一絡げに、ステレオタイプの扱いで押し通そうとする。
著者は若年性認知症で、まだ症状がさほど進んでいない。認識力も、自力でできることも、まだかなり残っている。
しかし、世間に一般の人は、認知症を患ってから時間を経て、症状が進行したご老人と、同じ扱いで通そうとするし、そうせざるを得ないよう、各種の制度設計が成されている。
著者が、医療や看護の担当者に、これがやりたい、やらせてくれと要求する時、実際にできるから、できることがわかっているから、言っている。しかし、言われた方は、症状が進んだご老人の戯言と同じと一方的に判断し、著者の主張を頭から否定してかかる。危ないから止めておきましょうね、手伝いますので勝手にやらずに待っててくださいね、あ、あっちの方が良さそうなのでそうしませんか?(←気をそらしにかかっている)・・・。
人は誰しもが認知症だ、ただの程度問題だ、という議論がある。そもそも、人が、自分の棲む環境の全てを認識できない以上、認知は部分的であり、一部が欠落している。誰もが認知は不完全であるという意味で、認識の欠陥が現出して、他者との関係に影響するかは、ただの程度問題だ、ということだ。
仮に、認知症が「病気」なのだとしても、症状やタイプ、進行速度などは人それぞれだから、各人に応じたカスタム対応になるのは、他の病気と同じだ。
しかし、現実はそうなっていない。
まず、制度設計が悪い。認知症は、老人性の病理として、他の要介護系の病理とセットと想定されていて、本書の著者を含む多様性に、柔軟に対応できる造りになっていない。
情報も悪い。報道では、より耳目を集め易いせいか、症状が進んだ老人による事件性が強い報道が多い。クルマのべダルの踏み違いによる暴走と、非を認めない言動がセットで報道されて、ネガティブな印象が強烈に流布された例などは記憶に新しいし、徘徊による事故や、「切れる老人」といった類の報道は、常に流され続けている。
そうやって流布され、固定されたネガティブなイメージは、著者にもそのまま適応されてしまう。こいつの言うことは信用できない、真に受けてはいけない、説得はムリでコミュニケーションはムダ、誘導による対応に終始する、行動はなるべく制限する。本人と関係者の安全を優先し、マニュアル通りの対応に徹する(←実は対応担当の安全を最優先してるだけ)・・・。
本書は、認知症に対する差別を描いた本だ。
そう思って、我が事として読むべきだ。
どうせ、我々のほとんどが、やがて、そこへ行くのだ。
(私に言わせれば、そこまで長生きできれば十分にラッキーだ。)
Amazonはこちら
認知症の私から見える社会 (講談社+α新書) 新書 – 2021/9/17
視線はむしろ逆向きで、認知症と診断された結果、世間が自分を見る目がどう変わったか、を書いた本だ。
一口に認知症と言っても、症状や程度は人それぞれだ。しかし、いざ認知症の診断が下ると、世間の人は、どの認知症患者も十把一絡げに、ステレオタイプの扱いで押し通そうとする。
著者は若年性認知症で、まだ症状がさほど進んでいない。認識力も、自力でできることも、まだかなり残っている。
しかし、世間に一般の人は、認知症を患ってから時間を経て、症状が進行したご老人と、同じ扱いで通そうとするし、そうせざるを得ないよう、各種の制度設計が成されている。
著者が、医療や看護の担当者に、これがやりたい、やらせてくれと要求する時、実際にできるから、できることがわかっているから、言っている。しかし、言われた方は、症状が進んだご老人の戯言と同じと一方的に判断し、著者の主張を頭から否定してかかる。危ないから止めておきましょうね、手伝いますので勝手にやらずに待っててくださいね、あ、あっちの方が良さそうなのでそうしませんか?(←気をそらしにかかっている)・・・。
人は誰しもが認知症だ、ただの程度問題だ、という議論がある。そもそも、人が、自分の棲む環境の全てを認識できない以上、認知は部分的であり、一部が欠落している。誰もが認知は不完全であるという意味で、認識の欠陥が現出して、他者との関係に影響するかは、ただの程度問題だ、ということだ。
仮に、認知症が「病気」なのだとしても、症状やタイプ、進行速度などは人それぞれだから、各人に応じたカスタム対応になるのは、他の病気と同じだ。
しかし、現実はそうなっていない。
まず、制度設計が悪い。認知症は、老人性の病理として、他の要介護系の病理とセットと想定されていて、本書の著者を含む多様性に、柔軟に対応できる造りになっていない。
情報も悪い。報道では、より耳目を集め易いせいか、症状が進んだ老人による事件性が強い報道が多い。クルマのべダルの踏み違いによる暴走と、非を認めない言動がセットで報道されて、ネガティブな印象が強烈に流布された例などは記憶に新しいし、徘徊による事故や、「切れる老人」といった類の報道は、常に流され続けている。
そうやって流布され、固定されたネガティブなイメージは、著者にもそのまま適応されてしまう。こいつの言うことは信用できない、真に受けてはいけない、説得はムリでコミュニケーションはムダ、誘導による対応に終始する、行動はなるべく制限する。本人と関係者の安全を優先し、マニュアル通りの対応に徹する(←実は対応担当の安全を最優先してるだけ)・・・。
本書は、認知症に対する差別を描いた本だ。
そう思って、我が事として読むべきだ。
どうせ、我々のほとんどが、やがて、そこへ行くのだ。
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