読書ログ ~ 「 親切な進化生物学者 」 ― 2012/05/12 05:50
利他行動の生物学的解釈について足跡を残した学者の生涯を追う
####
妙に分厚い本だ。
ベースが「進化論の進化の話」なので、ちょいとややこしいのだ。
そのベースの上に、登場人物たちの話が、木の幹の枝分かれのように展開し、骨組みを作っている。
眼前の光景から、どう考えても正しいと思しき概念
と
論理や数字が正しいとしてたたき出す帰結
と
優越感やご都合主義なんかによる様々な圧力
の
あいだで揺れ動いた、至極、優秀な頭脳をもつ人々の話だ。
これまで何度も繰り返されてきた、ありふれた話、とも言える。
進化論の歴史の方は、ずいぶん昔、本当の始祖までさかのぼって話が始まる。
そこに、頭のいい人が、たくさん絡みつつ、話が進む。
その時々の先端の話なので、先端技術、例えば原爆、なんかも登場する。
なので、一見、お話がとっ散らかった感じに見えるが、著者が描きたかったのは、科学ではなく、人間だ。
科学の方のお話は、実は簡単だ。
あっさりまとめてしまうと、
我々は、一人では生きていけない。
(正確に言うと、生きたことにならない。)
共に行くしかない、つまり、自制できるかがキーだ。
(できる人にとっては特に。)
そこにたどり着く、長い道のり。
それだけの話だ。
有能な人々、学者や研究者や開発者だったりするが、彼らは、真実を求めて、信者と、ペテン師と、善人の間を行き来する。
いかに美しかったり、鋭かったりしても、数式は本質を語らない。そいつは、所詮は単なる「モデル」であり、見る側の欲望に都合よく作り上げた「モデルさん」でもある。だから、それを描いたやつの「意図」が、裏面に、必ず張り付いている。
鋭すぎる刃(やいば)は、自分をも傷つける。
でも、彼は、自分の能力を諦めることができなかった。
そうやって、能力は、時に人を不幸にする。
能力は、それだけでは人を幸せにしないし、時に、痛みを伴う。
彼は、食えなかった。
(シンクタンクとは、群れが持て余した能力の捨て場だったりもするようだ。)
その瓦解の途上で、彼の感性にふとリンクしたのが、進化論であったらしい。
別に、難しい話ではないと思うのだ。
孵化器は、卵のために働くのではない。
孵化器の持ち主のために働く。
卵のために働くのは、親だけだ。
彼は、それを「感じる」ことができなかった。
(この本に書かれていることを鵜呑みにすれば、だが。)
親が子のために働くのは、子の可能性を信じるからだ。
言い換えると、自分の能力が及ばぬ域を認める、ということだ。
自分を疑ったり、見限ったりする能力がないと、幸せになれない。
人間とは、矛盾した存在なのだ。そんな風に。
自身の娘を持つ機会に恵まれたにもかかわらず、彼は、そこには、ほとんど感情を動かされなかったらしい。
彼の限界だったのだろうと思う。
悪く言えば、欠陥品だった。優れて有能だったにもかかわらず。
それは不幸かもしれないが、彼は自分で、それを選んだ。
彼の能力が、許さなかったのだ。
でも、いくら数学的に妥当であれ、人間が作る社会の方は、理にかなったものでも、妥当なものでもない。
彼は、人の、生物の何たるかを、究極には理解できなかった。
でも、同情すらしてもらえない。自分で選んだ道なのだから。
彼は、最後には自滅した。
どうも、彼を殺したのは「神」らしい。
いつもそうだ。「神のせい」だ。
とまあ、そんな風に、いろんなことが、一本の糸に収斂するように書かれている。(最後に収斂する糸だけを、過去に向かって解きほぐした構造になっている。著者が「知」と言っているのは、この「構造」のことかもしれない。)
だからこれは、ドキュメンタリーではなく、小説だ。
彼の本当の辛さ、悲しみ、その「本質」は、描かれていないのだろう。
結局、科学の方は散漫で、人間の方も掘り下げが足りない。
何となく、騙されたような、歯がゆい感じが残るのは、そのせいじゃないかと思う。
なにせ分厚くて、読むのに手間がかかる本なのだが。
推理小説と思って読めば、面白いのかもしれない。
Amazonはこちら
親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://mcbooks.asablo.jp/blog/2012/05/12/6443408/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。