写真集 「廃道 棄てられし道」2012/06/03 16:54



廃道を撮った写真集

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道の最後を扱った写真集である。
道路愛好家(バイク乗り)の端くれとして、ちょっと期待したのだが。
残念なデキだった。

カラーフィルターなんかがキツすぎて、わざとらしさが過ぎる。

「わざわざそんな変な顔しなくても、十分こわいわよパパ」
とそんな感じだ。

以前取り上げた、 これ のように、白黒でもって、淡々と事実を伝える方が、迫力があったりするものなのだが。

ちなみに、上の写真はウラ表紙である。
オモテ表紙は、こちらのAmazonで。
廃道 棄てられし道

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全く関係ないのだが、白黒写真の話題のついでに、最近考えていたことを、ちょいとメモしておく。

「素の写真」についてだ。


感性を乗っけるシステムは、シンプルなほどいい。


画素の信号をそのまま並べた写真が、一番、素に近いはずだ。
しかし、世のトレンドは、逆を行っている。

画素を小さくして、たくさん並べる。
画素が小さいので、性能(S/N比とか)は悪くなる。が、それは後段の画像処理で補う。
画処理は数値計算なので、データの点数が多いほど、やれることが増える。
さらに何枚か合成したりで、もっとデータを増やす。
そして、「所望の絵」を作り上げる。

その方が、理にかなっている。
少なくとも、売る方にとっては。

センサー製造は、ノウハウの世界だ。
画処理プロセッサは、最新の製造テクノロジを使う。
両方、開発にはカネがかかる。
だからこそ、後発からテリトリーを守り、商売につながる枠組みを保持するのは、重要なことだ。

かくして絵作りは、モード自動選択の画処理チップの担当となり、プログラマの意図と能力が主役になった。
レンズの能力とか、使い手の意図なんかを、置いてけぼりにして。

「素の写真が撮りたい」

白黒のデジカメ。

画素は大きく、感度やS/N比を稼ぐ。
画素数は、そんなに要らない。3メガもあれば何とかなる。
画素チップの大きさは、せめてフィルムと同じにする。
(スティッチングしないで済む、でかいマスクを扱えるステッパーが欲しい。)

カメラボディは、当然、マニュアルだ。
感性を乗せるシステムに、「オート」は要らない。 インタフェースも、古い方式に合わせておけば、お手持ちの、古いけど優れもののレンズを、そのまま使える。
でも、露出計くらいは・・・あると便利かな。
露出のオートブラケットも。
背面モニターは必要ない。どうせ、何を撮ろうったって、撮り直しなんか効かない。赤ん坊に「今の笑顔をもう一度」、電車に「もう一回走って」なんて訳には行かないのだ。
データは、RAWのみでいい。現像は家に帰ってから、後でゆっくりやればいい。

まあ、デジタルパックでもいいんだけど。
オートブラケットはムリかな。
現像であらかた救えるくらい、画素のラチチュードが広ければ問題ないんだが。

さてと。 PCで、現像だ。
画素は少ないし、白黒だから、処理はたいして重くない。
コントラストや、ザラツキ感なんかに、何度でも、思いっきり凝れる。
昔の、暗室趣味の再現だ。
しかも、気軽に、いくらでもやり直しが効く。
できれば、印画紙に焼き付けの時に手の平ひらひら〜のような、裏技も再現できれば文句なしだが。

そうやって作った「この一枚」は、プリントする。
画面で見るのと、紙で見るのは、全く違う経験なのだ。
プリンタや、トナーなんかは専用品だ。構造簡単で安いんだけど、白黒写真に特化していて、侮れない「一品」。
ちょっと象牙色がかった、味のある用紙なんかも選べるぞ。


この、一連のエコシステム。
あの先達の、白黒写真の、表現ツールの再現。


と、こんなのがあったらいいなあ・・・と夢想していたのだが。
まさか、ライカが出てくるとは・・。


「デジタルができること」のあらかたは、本質ではなくて、補佐に過ぎない。
だから、「何がしたいのか、本質の確信」と、「デジタルにやらせることは何か」の総括は、並行して、常に必要だ。

何だか、そういったスタンス(足の置き場)や、作り上げのプロセスの足腰の強さで、まだまだ負けているような気がしているのだが。


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