バイク読書中 「Vespa style in motion」 #142012/11/18 05:58

Vespa: Style in Motion


(予告通り、今日のはちょいと、長くなり…。)

「実直な実用車」を標榜していた(と思われる)Vespaが、レーシングトラックに進出するのは、矛盾のような気もするが。それを求める声は会社の内外からあった・・・どころか、決して小さくはなかったようだ。

社内のテストエンジニアは、もっとオープンなステージで、この機体のポテンシャルを試してみる機会を欲したし、実際にさまざまな発案や提案をしていたらしい。その動きは、サービスの技術部門に伝播して、拡大した、とある。
Piaggio社としても、小径タイヤは安定性に欠けるといった(モーターサイクル側からの?)揶揄に対抗する意味合いもあったかと思う。

まあ大体、イタリア人が乗り物で飛ばしたがるなんてのは常識だ。(偏見かも。)増え続けるVespaのオーナーの中には、スポーツライクな活動を求めたり、始めたりするレイヤーも存在したろう。
と言うか、それに具体的に火をつけたのは、半ばPiaggioの肝いりで組織された、 Vespa Clubのイベントだった ようにも思われる。
そんなわけで、1950年代初頭には、Vespaでスポーツしちゃうのも、珍しくはなかったようだ。

何だか、D'Ascanio が嫌いだったという「典型的なバイク乗り」になっちゃってる気がするけど。

そんなこんなを背景に、VespaとLambrettaの対決は、レーシングトラックの上にも拡大する。

初めに取り上げるステージは、トライアルだ。

1950年代初頭に、Vespaは、ISDTに出場していた。
あの英国の、International Six Days Trial だ。このクソ疲れるオフロードイベントに、軽量・小径タイヤのスクーターで出るなんて、正気の沙汰ではないように思われるが。それは、昨今のトライアルマシン、踏破性や登坂力が強いのにえらく軽い、あれと無意識に比較しているからかもしれない。しかし当時、ISDTに出ていたのは、トラやBSAなんかの、今にしてみれば相当に重い、普通の(イギリス製)モーターサイクル達だった。その間にあっては、スクーターこそが、軽くて登坂力が大きい機体だった・・・のかもしれない。
まあ大体、この当時の道路環境からして、未舗装路を走るなんて、Vespaに限らずどのバイクでも普通だったろうから、そう驚くようなことではなかったのかも知れないが。

セイジョルニ(Sei Giorni )、Six Daysとは、つまりそういう意味。
(ISBN 88-87748-37-3)

Vespaは、1951年から3年間、このイベントで成績を残している。ほぼワークス参戦でもあり、市販車の優位性を示せたと言えるのかは微妙そうだが。Vespaの簡易な構造と、優れた耐久性の故という賛辞が、当時の雑誌に見られるとのこと。

みんなマジだからね。カッコイイわさ。


(ISBN 88-87748-37-3)

私見だが、Piaggioがこの辺のイベントにワークスで出る背景には、少なからず、葛藤があったのではなかろうか。万一、負けでもした際には、当時から根強かった「小径タイヤは安定性に欠ける」のような都市伝説の信奉者に、それ見たことかと言われかねない。「背水の陣」度は、かなり高かったのではないかと想像する。

それに、「市販車をベースに、メーカー自身が改造を施す」というのは、見方を変えれば、メーカー自身が、弱点や問題だと思っているポイントを、ユーザーやライバルに教えるようなものなのだ。

もっとも、Piaggioは、ここで得たノウハウを、次のモデルに如実にフィードバックするという、これまた思い切り実直な手段で来ることになる。この辺のやり方は、心配する以前に、感心してしまう。

そうだ。Lambettaだが。(笑)
少し後になってからだが、同じようなステージに参戦している。

これは、動画が見つかったので。
百聞は一見にしかず。
いや〜、やっぱ厳しいわなコレは・・・。
Lambrettaの信頼性が証明された!のようなアナウンスもあるが。そういう問題なんかな・・?。

さて。
次に取り上げる、トラックでの戦いは。
スピードレコードでの「取っ組み合い」だ。

まずは、フランスはMontlheryレースコースでのスピードトライアル。
1949年、Lambrettaが先行して、125cc 48時間スピードトライアルに挑戦する。Piaggioはすぐさま「ケンカを買って」空力スペシャルマシンで対抗、記録を塗り替える。それを受けて、さらにLambretta が再トライするも・・・及ばず。

Vespaのスピードレコード車。空力スタイルですな。


記録の詳細
(ISBN 88-87748-80-2)

次に、1km区間スピードトライアル。
Roma〜Ostia間のモーターウェイに、10kmを越えるような直線道路があったそうで、そこを利用して、1km区間で計測して、どれくらいスピードが出るかを競うものだったらしい。これはVespaが先行して、170km/hを越える記録を打ち立てるが、すぐさま二ヶ月後に、Lambrettaが記録をひっくり返す。190km/hを越える記録は、しかしエンジンが加給だったりで「フェアじゃない」という評価だそうだ。

Siluro(魚雷)って言われてたらしい。
(ISBN 88-87748-80-2)
小径タイヤと、リヤタイヤに横からくっつくエンジンレイアウト(だけ?)は、Vespaを踏襲。

日本人としては、人が乗る魚雷って、あまりぞっとしないんだけど。
コレは・・・キマってるね。(笑)

実はPiaggioの方も、エンジンは、かな〜り普通じゃなかったんだけどね。
(ISBN 88-87748-80-2)
ピストンが上下に二つ・・・。
ま、こんなんでないと。125ccで170km/hは出ないかな。

とこんな感じで、当時、スピードトライアルはちょいと盛り上がったようだ。
しかしその後、MVがかなり特殊なスクーターを作ってトライした際、ライダーが派手に事故死したのをきっかけに完全に盛り下がってしまい、以後は行われなくなったそうだ。

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Lambrettaとの戦いは、Vespaのラインナップにも影響している。
相手と同じように安いのを、ということで、125Uを出す。

125U 1953年
ライトの位置が上がりましたな。
そういえば、何でPiaggioは、始め、ライトをフェンダーに付けたんだろ。
本書にも書いていない。
誰か知ってたら教えてほしい。

しかし、この125Uは売れなかったらしい。(なので、今ではかえってコレクターズアイテムとして光っているとか。)そして、次の150GSではキッチリ反省してか、「値段ではなく質で売る」路線に戻っている。

150GS 1955年
ゴージャス、かつ流麗です。

よーく見ると、相変わらずのケツデブなんだけどね。(笑)

150GSには、Sei Giorni からのフィードバックが結構あるとのこと。150ccのエンジンは、Ape用のが1953年からあったので、開発もスムーズだったのではなかろうか。(効率の良い開発スケジュール・・・行き当たりばったりな感じがしない。見習わんと。笑)

で、すぐさま、Lambrettaも150ccモデルを投入したそうだ。
それが、質でVespaに勝っていたのかは、わからない。

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このあと、1960年代に入ると、Innocenti は四輪の生産を増やし、それに反比例するかのように、Lambretta は次第に勢いをなくしていく。そして、1972年に生産を止めて(外国でのライセンス生産は継続)、Vespaの勝ちが決まるのだが。

実際、モノとしては、どちらが良かったのだろうか。

Lambrettaの売りは、フレーム構造による強固な車体剛性と、エンジンを車体中央にマウントすることによるバランスの良さだったそうだが。技術的には、方式は良し悪しを決定しないので(そう作れる可能性があるというだけで、本当にそう作れたのかは別の話)、Lambrettaの訴求が真実だったのかは、今は確かめようがない。

例えば、今、中古車を何台か乗ってみたとて、既に相当な時間を経た、古びた車体だ。その乗り味には、製造当時のバラツキ(今より相当大きかったはず)の上に、多数のオーナーによる長い使用履歴が上塗りされている。そもそもの造りがどうだったかなんて、わからない。よしんば、わかったとしても、その判断基準には「当時としては」の但し書きを付けねばならない。今のレベルに生きる我々にとって、フェアな判断は本当に難しい。(さらに、その機体を今、楽しく乗れるかは、また全然、別の話。)

ネット検索で、Lambrettaの巷の噂を拾ってみても、やっぱり、宣伝広告か、信者の祝詞の類が多くて、真面目な探求に行き当たるのは、ほとんど宝くじ状態だ。

きっと、運良く中古車に巡り会えて、手に入れる機会に恵まれたとしても、整備がてらに自分でバラして、パーツの質や配置なんかを眺めながら、当時の設計者の考え方に、思いを巡らせる程度が関の山ではなかろうか。

以前読んだ、 ラビットの話 (フレーム構造のスクーターは、エンジンの振動の遮断が難しい)を考えると、LambrettaとVespaの車体構造の違いを、ユーザが初めに感じるのは、「振動特性」ではないかと思う。本書にも、快適性ではVespaが勝っていて、それが最終的に、Vespaの勝因の一つとなった、とある。
まあ、今、ハンドチェンジのVespaに乗ってみても、エンジンの振動レベルは褒められたものではなかったりするので(笑)。やっぱり、真実はよくわからないのだが。

もう一つ。

Innocenti だが、その後、紆余曲折を経て、最後には、De Tomasoの傘下に入る。同じ寄り合い所帯に居たMoto Guzzi も、Innocenti と付き合う羽目になっていて、その品質には、私も実際に触れている。

そこでの実体験や、昔のInnocenti の四輪の品質にまつわる巷の評価などを総合すると、どうも、Innocenti 製のプロダクトの品質というのは、あまり褒められたものではなかったような印象がある。

LambrettaとVespaを並べて、経営的な経緯の良し悪しや、通説や相場の類は横に置いて、冷徹に、技術的な優劣をつけるとしたら・・・?。

私はつい、Innocenti を疑ってしまうのだが。

Lambrettaの真実をご存知の方、もしいらしたら、私の偏見をただして欲しい。


バイク読書中 「Vespa style in motion」 #152012/11/25 07:06

Vespa: Style in Motion


1958年 Vespa 125
見た目は旧型に似ているけど。中身は別物。

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躍進の1950年代も終盤に来ると、時代の雰囲気も変わっきて、Vespaの境遇にも影響し始める。

1957年に、FIAT 500が発売になる。四輪の普及が本格化するに従い、二輪は脇に追いやられ始める。(横から食われる。)

1958年に、ホンダのカブが誕生、早速、翌59年から輸出を始めている。見てくれ不細工なこいつが、巧みなイメージ戦略と、easy & tough な品質で、スクーターの市場に食い込み始める。(後ろから追われる。)

1960年代の前後に、免許制度の改正が相次ぐ。それまで、二輪は比較的気軽に乗れる区分であったのだが、敷居が上げられてしまう。従来の、二輪ならでは気軽さは、50ccの原付クラスに限られるようになる。(上から押さえつけられる。)

モータリゼーションが進んで、バイクに乗るのは、クルマが買えない、または要らないユーザー層に移った。そして、新たな市場である原付クラスにアクセスしてくるニューカマーは、10代の若者にシフトする。

Vespaは、従来の125ccより上のクラスでのユーティリティを高める一方で、50ccクラスにも参入し、若年層へのアプローチを明確化し始める。

1962年 160GS
よく見ると、お尻にトランクがついた。ドイツ当局の規制が理由だったとか。

1963年 Vespa 50

1964年 180SS
スーパースポーツ!。レッグシールドに、トランクが付いた。

1965年 90SS
こちらもスーパースポーツ!。
(ちなみに、Ciaoが出たのは1967年。PiaggioブランドでVespaじゃないから、ここでは触れない。)

1960年代も、イタリアは厳しかった。世界中に輸出をしていたPiaggioだが、イタリア本国の国内情勢の影響は避けられない。60年代初頭に労働争議が激化して、様々なダメージがあった。

そして、突然。
Enrico Piaggioが他界する。
1965年。享年、60才。


さらに。
ポンテデラを、洪水が襲う。

会社の経営が、世代交代する。
1967年 Umberto Agnelli (右)
(Enrico Piaggioの娘婿)

Vespa創業から、20年。
D'Ascanioは、すっかり歳を取っている。(76歳)

こうやって見てみると、Piaggioの来し方は、MOTO GUZZI あたりともよく似ている。50年代まで、スピードレコードや、英国での大レースにトライして、その後、60年代に、創業者が死に、経営が移り、新たな市場に食い込むことで、脱皮を果たす。(1964年にCarlo Guzzi 死去、1967年にSEIMM移行。)

そして、この時代の「脱皮」の仕方が、続く70年代の、企業のカラーに、大きく影響していく。

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以上は、Piaggioの内側から見た風景だが、次回は外側から、Piaggioがどう見えていたのか、少し視点を広げて、書いてみようと思う。

この辺も触れるつもり。
「Vespaなヤツは、リンゴを食べる」
何のこっちゃ・・・?