バイク読書中 「Vespa style in motion」 #18 ― 2012/12/16 07:15
Vespa: Style in Motion
ここ2週ばかり、問いかけ型の終わり方をしているが。
「ずるい」と言われそうなので、私の見解も一応まとめておく。
ベスパと何か。(何だったか。)
#####
Vespaの生まれは、真摯だったと思う。
プレスモノコックという、大量生産を標榜した生産方式を当初から採っていたこと。
車体構造とスタイリングをパテント戦略に絡めることで、後進を排することと、市場を確保することの双方に留意して、サービスの安定に努めたこと。
ブランディングに配慮した広告やマーケティングが、功を奏していたこと。
といった側面は、これまで、くどくど述べた通りだ。
しかし私は、そのVespaのモノとしての作りが、人々の役に立ちたいと、真摯に考えられた結果だという以外に、その作りの特性が、多少の紆余曲折を経て、Vespaのアイデンティティに良い影響をもたらす「幸運」があったように感じている。
二つのアスペクトから説明する。
#####
初めのアスペクトは、物理的な構造だ。
125cc~という排気量は、普段使いの足だけではなく、がんばればツアーにも使える大きさだ。車重としても、普通の人が「腕力でも何とかなる重さ」と「腕力がなくても何とかできる軽さ」の、ちょうど中間、というか両方。
運搬などの役務にも耐える堅牢さを持っている荷車であって、楽しく走ることを前面に出した作りではないのだが、実際、乗るのが楽しくもあるキャラクター。
そういった作りは真摯だったと思うし、巷の評価も、的を得ていたと思う。
他方、私が考える「裏ドラ」は、車体の持つ「波長」だ。
やはり、Vespaの構造に由来する。
まず、エンジンだ。
ダイレクトドライブというとスマートだが、要は、後輪のスイングアームが、エンジンのクランクケース~ミッションケースを兼ねた作りだ。キャブ以降のエンジン一式が、リアタイヤと一緒にガタガタ上下している。バネ下重量は相当重くて、普通の設計トレンド(バネ下は軽くしてロードホールディングに配慮)からすると、卒倒モノの構造だ。当然、リア周りの乗り心地はあまり良くないし、ハンドリングは相当にリアヘビーになる。対して、前輪は軽すぎて、頼りにならない印象になる。
次に、フレームだ。
一般に、スクーターの車体構成で、応力が苦しい場所といえば「フロア」だ。前輪と後輪の間に位置する「床」は、でこぼこ道、ブレーキング、コーナーリングの逐一で、常に、曲げられたり、ひねられたりしている。ここが頼りないと、乗り手に不安を感じさせてしまうのだが、フレームを持たない、モノコックのVespaは、構造的に、ここが弱い。
例えば、前輪フルブレーキ!を想像すると、この薄い床の部分を、凹に曲げる力がかかるのがわかると思う。(実際は、前ブレーキはそんなには強くない。)
フロアの薄さは、後代のモデルでもあまり変わっていなかったりする。
しかしVespaは、これらの欠点をバランスさせて、自然に昇華してしまっていたように見えている。
リアヘビーで、前輪があてにならないと感じれば、ユーザーは、自然とリア乗りになる。前輪からコーナーに突っ込んだり、無理に寝かしたりが「危ないな」と感じれば、一般の公道ユーザーが、あえて試みる必要もない。重たくてしっかりした車体側(リア側)を、操作の念頭に置くようになる。
前ブレーキも、ちゃんと弱くしてあって(ちゃんと?笑)、一番怖い転び方である「握りゴケ」の防止にもなっている。
Vespaが普及し始めた当時。ユーザーのほとんどは、モーターサイクルの経験を持たない、ニューカマーだったはずだ。彼/彼女らは、Vespaの運転を「初めての二輪」として、体で覚えて行ったろう。
タイヤがしょぼい当時のこと、リア乗りは基本中の基本だった。Vespaは、乗り方の基本をユーザーに強いる「何気に安全な乗り物」だったのだ。
まだある。
Vespaは、エンジンにしろブレーキにしろ、操作する先が、ボディに対して位置が決まっていない(動いたり回ったりする先にある)。だから、操作の入力の伝達には、リンク機構は使えない。そのほとんど(後に全て)を、ワイヤー(または油圧)に頼ることになる。その操作感は、リンクに比べれば、相当にグニャついた感じになる。結果として、無理に先を急ぐような、せっついた操作はできなくて、間を持って動かす感じの、(よく言えば)丁寧な操作になったのではなかろうか。
エンジンの振動も、独特だったと思う。エンジンの位置も形も、振動を伝えるボディの構造も、全てがVespaの唯一だった。
こういったあれこれがかもす、様々な相(フェーズ)は、重なり合い、シンクロして、ユーザーに伝わる。
この、見た目の形。
この、乗り味。
「これがVespaなのだ」
ユーザーは理屈抜きに、そう理解したろう。
「Vespaの波長」は独特だっただけでなく、わかりやすかったのだ。
Vespaが、登場した当時から人々に受け入れられたのは、その波長が、人間の感性にしっくり来る、いい所をついていたのだろうと思う。
そして、Vespaが永く市場に受け入れられ続けたのは、Vespaが、その波長を、皆がしっくりくる範囲から、外さなかったのだと思う。
多分、その「波長」の全てを、D'Ascanioが当初から意図したものではなかったろう。そのうちのいくつかは、たまたまそうなっただけの「ラッキー」だった。そして、開発にかかわる人数が増えるに従い、D'Ascanio以外の誰かが、そっと(あるいはイッヒッヒとニヤけながら)仕込んだものも増えて行く。そうやって、作り手の「創意の総意」として時を経て、形を変えたVespaはしかし、その波長だけは保持した。
モノである製品に、実質的なアイデンティティを込めるのは、並大抵のことではない。
そして、それを続けるのは、もっと難しい。
技術や設計だけではなく、商売も絡んでくるからだ。
#####
なので、次に述べるアスペクトは商売、「事業」になる。
しかし、私もここは、まだ正確に理解できた実感はない。
「事業」は、設計図のような、目に見える図柄があるわけではない。
当時の写真やビデオのような、映像で残っているわけでもない。
本書でも、当時の販売数量や値段、収支といった数字が、断片的だが与えられていて、手がかりにはなるのだが、筋道だった説明はない。(数字があるだけまだマシだ。国内の同類の書籍では、通説や観念論で終わっている場合がほとんど。)
なので、以下は、私の迷いを述べるに過ぎない。
一般に、モノを売る「事業」というのは、たとえ初めは善意であれ、いったん波に乗ってしまうと、その軌道から外れるのを、極端に恐れるようになる。
それまで機能していたシンクロが外れ、思惑が空振り、凋落へ向かう重力を感じた瞬間に、多くの「事業」は、堕落を始める。
それまで、製品で「価値」を造るという目的は忘れられ、製品を、「価格」を生み出すための手段として、使うようになる。
そうやって、大概の企業は、一線を越えて、「向こう側」にシフトしてしまう。
私見かもしれないが、昨今、この境目を、易々と超える企業が普通になってしまったように思う。由緒があったり、大きな企業でさえ、例外にならない。
特に日本の場合、バブル崩壊からこっちの長い不景気の後の、あのリーマンショックを経て、この傾向は決定的になった。既に、嘘を隠す余力さえなくして、ノーパンのまま右往左往しているように見えるケースもある。(そうでない企業は、初めから「向こう側」で起業した場合がほとんどだ。)
しかし、Vespaは、その境目で、長い間、踏みとどまっていた。
何が、それを可能にしていたのか。
(出られなかった、という側面もある。先週述べたCOSAの一件は、出るのに失敗した、という意味で、その理由の一つだ。もう一つ、いい例があるのだが、それは次回に書く予定。)
何かが無くなったり、変容したりしたはずなのだ。
その示唆を得るため、歴史を辿る読書ではあったのだが。
(私が得た示唆は、まだ、その辺に転がっている程度のもの、または、簡単に言えないほど、おどろおどろしいものなので。今は書かない。)
その手がかりを探し、よくよく考える時間を持てた。
その意味では、いい読書だったと思うのだが。
時間がかかった割には、まだ、出口は見えない。
#####
「公道バイク」の本題に戻ると。
日常でバイクを楽しむという形の一つを、Vespaが体現していたのは間違いない。
ET3やPXの世代のVespaは、何とか今でも触れることができる。
ラッキーなことに、LXやGTなど、現役のモデルもある。
(新車のPXもあるんだけどね。笑)
私が実際にそれらに触れて、「Vespaの波長」をジャッジするチャンスは、多分、もうないと思う。
だから、それが何なのかは、やはり、皆さん自身で考えていただくしかない。
そして、もし何かがわかったら、私になぞ教えてくれないでもいいから、是非、発信してほしい。
ここ2週ばかり、問いかけ型の終わり方をしているが。
「ずるい」と言われそうなので、私の見解も一応まとめておく。
ベスパと何か。(何だったか。)
#####
Vespaの生まれは、真摯だったと思う。
プレスモノコックという、大量生産を標榜した生産方式を当初から採っていたこと。
車体構造とスタイリングをパテント戦略に絡めることで、後進を排することと、市場を確保することの双方に留意して、サービスの安定に努めたこと。
ブランディングに配慮した広告やマーケティングが、功を奏していたこと。
といった側面は、これまで、くどくど述べた通りだ。
しかし私は、そのVespaのモノとしての作りが、人々の役に立ちたいと、真摯に考えられた結果だという以外に、その作りの特性が、多少の紆余曲折を経て、Vespaのアイデンティティに良い影響をもたらす「幸運」があったように感じている。
二つのアスペクトから説明する。
#####
初めのアスペクトは、物理的な構造だ。
125cc~という排気量は、普段使いの足だけではなく、がんばればツアーにも使える大きさだ。車重としても、普通の人が「腕力でも何とかなる重さ」と「腕力がなくても何とかできる軽さ」の、ちょうど中間、というか両方。
運搬などの役務にも耐える堅牢さを持っている荷車であって、楽しく走ることを前面に出した作りではないのだが、実際、乗るのが楽しくもあるキャラクター。
そういった作りは真摯だったと思うし、巷の評価も、的を得ていたと思う。
他方、私が考える「裏ドラ」は、車体の持つ「波長」だ。
やはり、Vespaの構造に由来する。
まず、エンジンだ。
ダイレクトドライブというとスマートだが、要は、後輪のスイングアームが、エンジンのクランクケース~ミッションケースを兼ねた作りだ。キャブ以降のエンジン一式が、リアタイヤと一緒にガタガタ上下している。バネ下重量は相当重くて、普通の設計トレンド(バネ下は軽くしてロードホールディングに配慮)からすると、卒倒モノの構造だ。当然、リア周りの乗り心地はあまり良くないし、ハンドリングは相当にリアヘビーになる。対して、前輪は軽すぎて、頼りにならない印象になる。
次に、フレームだ。
一般に、スクーターの車体構成で、応力が苦しい場所といえば「フロア」だ。前輪と後輪の間に位置する「床」は、でこぼこ道、ブレーキング、コーナーリングの逐一で、常に、曲げられたり、ひねられたりしている。ここが頼りないと、乗り手に不安を感じさせてしまうのだが、フレームを持たない、モノコックのVespaは、構造的に、ここが弱い。
例えば、前輪フルブレーキ!を想像すると、この薄い床の部分を、凹に曲げる力がかかるのがわかると思う。(実際は、前ブレーキはそんなには強くない。)
フロアの薄さは、後代のモデルでもあまり変わっていなかったりする。
しかしVespaは、これらの欠点をバランスさせて、自然に昇華してしまっていたように見えている。
リアヘビーで、前輪があてにならないと感じれば、ユーザーは、自然とリア乗りになる。前輪からコーナーに突っ込んだり、無理に寝かしたりが「危ないな」と感じれば、一般の公道ユーザーが、あえて試みる必要もない。重たくてしっかりした車体側(リア側)を、操作の念頭に置くようになる。
前ブレーキも、ちゃんと弱くしてあって(ちゃんと?笑)、一番怖い転び方である「握りゴケ」の防止にもなっている。
Vespaが普及し始めた当時。ユーザーのほとんどは、モーターサイクルの経験を持たない、ニューカマーだったはずだ。彼/彼女らは、Vespaの運転を「初めての二輪」として、体で覚えて行ったろう。
タイヤがしょぼい当時のこと、リア乗りは基本中の基本だった。Vespaは、乗り方の基本をユーザーに強いる「何気に安全な乗り物」だったのだ。
まだある。
Vespaは、エンジンにしろブレーキにしろ、操作する先が、ボディに対して位置が決まっていない(動いたり回ったりする先にある)。だから、操作の入力の伝達には、リンク機構は使えない。そのほとんど(後に全て)を、ワイヤー(または油圧)に頼ることになる。その操作感は、リンクに比べれば、相当にグニャついた感じになる。結果として、無理に先を急ぐような、せっついた操作はできなくて、間を持って動かす感じの、(よく言えば)丁寧な操作になったのではなかろうか。
エンジンの振動も、独特だったと思う。エンジンの位置も形も、振動を伝えるボディの構造も、全てがVespaの唯一だった。
こういったあれこれがかもす、様々な相(フェーズ)は、重なり合い、シンクロして、ユーザーに伝わる。
この、見た目の形。
この、乗り味。
「これがVespaなのだ」
ユーザーは理屈抜きに、そう理解したろう。
「Vespaの波長」は独特だっただけでなく、わかりやすかったのだ。
Vespaが、登場した当時から人々に受け入れられたのは、その波長が、人間の感性にしっくり来る、いい所をついていたのだろうと思う。
そして、Vespaが永く市場に受け入れられ続けたのは、Vespaが、その波長を、皆がしっくりくる範囲から、外さなかったのだと思う。
多分、その「波長」の全てを、D'Ascanioが当初から意図したものではなかったろう。そのうちのいくつかは、たまたまそうなっただけの「ラッキー」だった。そして、開発にかかわる人数が増えるに従い、D'Ascanio以外の誰かが、そっと(あるいはイッヒッヒとニヤけながら)仕込んだものも増えて行く。そうやって、作り手の「創意の総意」として時を経て、形を変えたVespaはしかし、その波長だけは保持した。
モノである製品に、実質的なアイデンティティを込めるのは、並大抵のことではない。
そして、それを続けるのは、もっと難しい。
技術や設計だけではなく、商売も絡んでくるからだ。
#####
なので、次に述べるアスペクトは商売、「事業」になる。
しかし、私もここは、まだ正確に理解できた実感はない。
「事業」は、設計図のような、目に見える図柄があるわけではない。
当時の写真やビデオのような、映像で残っているわけでもない。
本書でも、当時の販売数量や値段、収支といった数字が、断片的だが与えられていて、手がかりにはなるのだが、筋道だった説明はない。(数字があるだけまだマシだ。国内の同類の書籍では、通説や観念論で終わっている場合がほとんど。)
なので、以下は、私の迷いを述べるに過ぎない。
一般に、モノを売る「事業」というのは、たとえ初めは善意であれ、いったん波に乗ってしまうと、その軌道から外れるのを、極端に恐れるようになる。
それまで機能していたシンクロが外れ、思惑が空振り、凋落へ向かう重力を感じた瞬間に、多くの「事業」は、堕落を始める。
それまで、製品で「価値」を造るという目的は忘れられ、製品を、「価格」を生み出すための手段として、使うようになる。
そうやって、大概の企業は、一線を越えて、「向こう側」にシフトしてしまう。
私見かもしれないが、昨今、この境目を、易々と超える企業が普通になってしまったように思う。由緒があったり、大きな企業でさえ、例外にならない。
特に日本の場合、バブル崩壊からこっちの長い不景気の後の、あのリーマンショックを経て、この傾向は決定的になった。既に、嘘を隠す余力さえなくして、ノーパンのまま右往左往しているように見えるケースもある。(そうでない企業は、初めから「向こう側」で起業した場合がほとんどだ。)
しかし、Vespaは、その境目で、長い間、踏みとどまっていた。
何が、それを可能にしていたのか。
(出られなかった、という側面もある。先週述べたCOSAの一件は、出るのに失敗した、という意味で、その理由の一つだ。もう一つ、いい例があるのだが、それは次回に書く予定。)
何かが無くなったり、変容したりしたはずなのだ。
その示唆を得るため、歴史を辿る読書ではあったのだが。
(私が得た示唆は、まだ、その辺に転がっている程度のもの、または、簡単に言えないほど、おどろおどろしいものなので。今は書かない。)
その手がかりを探し、よくよく考える時間を持てた。
その意味では、いい読書だったと思うのだが。
時間がかかった割には、まだ、出口は見えない。
#####
「公道バイク」の本題に戻ると。
日常でバイクを楽しむという形の一つを、Vespaが体現していたのは間違いない。
ET3やPXの世代のVespaは、何とか今でも触れることができる。
ラッキーなことに、LXやGTなど、現役のモデルもある。
(新車のPXもあるんだけどね。笑)
私が実際にそれらに触れて、「Vespaの波長」をジャッジするチャンスは、多分、もうないと思う。
だから、それが何なのかは、やはり、皆さん自身で考えていただくしかない。
そして、もし何かがわかったら、私になぞ教えてくれないでもいいから、是非、発信してほしい。
コメント
_ moped ― 2012/12/16 10:14
_ ombra ― 2012/12/16 20:46
まいどでーす。
> そんなこと仰らずに、新車のPXとかいかがですか?
Guzzi と同じくらい、時間もカネもかけられれば、何がしか「わかった」と言えるのかもしれませんが。さほどの余裕はもう。(笑)
しかし、PXの新車というのも、どう解釈したものか微妙ですね。
それほど支持される価値を体現できた、と喜ぶべきか。
いまだに、それを超える価値を体現できていない、と悲しむべきか。
> いまの排ガス規制でも生き残れます。
全く、ムダに厳しい排ガス規制で、業界には高い輸入障壁を、ユーザーには高いガス検料金を強いている、どこかの島国のバカさ加減をあぶりだすようですよね!。(笑)
> そんなこと仰らずに、新車のPXとかいかがですか?
Guzzi と同じくらい、時間もカネもかけられれば、何がしか「わかった」と言えるのかもしれませんが。さほどの余裕はもう。(笑)
しかし、PXの新車というのも、どう解釈したものか微妙ですね。
それほど支持される価値を体現できた、と喜ぶべきか。
いまだに、それを超える価値を体現できていない、と悲しむべきか。
> いまの排ガス規制でも生き残れます。
全く、ムダに厳しい排ガス規制で、業界には高い輸入障壁を、ユーザーには高いガス検料金を強いている、どこかの島国のバカさ加減をあぶりだすようですよね!。(笑)
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>私が実際にそれらに触れて、「Vespaの波長」をジャッジするチャンスは、多分、もうないと思う。
そんなこと仰らずに、新車のPXとかいかがですか?
「ペンペンペン」とトルクフルで、酸っぱい臭いの排気ガスを出す
2stエンジンを乗りたくなること、あります。
生ガスの吹き抜けと、潤滑と燃料供給を同時にこなすという
大きな課題を克服すれば、いまの排ガス規制でも生き残れます(苦笑)
そのための労力が大きすぎますけどね。
モノコックスチールフレームのよいところは、パイプフレーム+樹脂パネル
と比べて、塗装面の劣化が穏やかで、磨き甲斐があります。
屋外保管で紫外線劣化した樹脂パネルって、現役車でも、
ぼろ雑巾みたいになってしまいます(苦笑)