読書ログ 「ギターに魅せられて」 ― 2012/12/22 10:57
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昭和30年代初頭から、ギターと関連品(弦など)の製造販売を手がけてきた著者による手記である。ご自身、ナイロン弦が世に出る前の、本物のガット弦(羊の腸)の時代からの、ギター愛好家でもある。
昭和初期にギターといえばガットギターのことだったので、スペインギターとセゴビアから話が始まる。ついで、USAに進出につれフォークギター、のちのエレキギターの勃興と没落など、戦後ギター業界の歴史が、裏事情も含めてつづられている。
当初、日本で製造されたギターは、実際に品質が低かったこともあり、輸出先では安物扱いで、市場でのポジションは低かった。輸出先の気候(気温や湿度)でも反ったり割れたりせず、安定した品質を保持するに至るには、相当な努力を要したようだ。(モノが木材なので、経時劣化を的確に予想して前もって補うのは簡単ではない。) 苦労を重ねた末に世界レベルに到達する、昭和の事業の物語とも読めるのだが。しかし、ギター業界ならではの独自の事情もあって、某NHKの「プロX」のような、努力と根性→感動~!、のような、単純なストーリーにはなっていない。
ギターは、工業製品ではない。基本的に、手工業品だ。
材料は木材だ。供給の量も質も安定しないし、近年ではワシントン条約を筆頭とする法規制もある。
製作工程は長くないので、分業(部品屋とアセンブリといったような)は成り立たない。機械による自動化も限りがある。なので、職人さんの手作業による工程が少なくない。
しかし、単価は、単純な「床屋さんモデル」(手が動いた量や時間で値段が決まる)ではない。楽器の究極の価値である「音の良し悪し」は、違いがわかる玄人ユーザーだけがわかる(らしい)微妙な差だ。それは、ある種の職人芸で成される、と一般には思われている。
しかし、事業構造としては、それなりの品質の初級品から、ハイアマチュア向けの中級品を含む、頂点から裾野までの広がりを持つ。商品構成にヒエラルキーを持たせて、その各々のマーケットの規模に応じたサプライチェーンを整備せねばならない。
たとえ高級品だからといって、儲かる、安定、というわけではない。ギターの高級品のほとんどは、有名な製作家が擁する、家族規模の小さな工房で造られる。規模が小さいので、需要の変動に弱い。注文が多すぎれば作りきれないし、少なすぎれば簡単に干上がる。また、材料の仕入れから、名声の元である「職人芸」の維持まで、全て個人の努力によるので、品質の維持が難しい。お国の事情や景気の変動をもろに受けるし、世代交代を果たせずに、ついえてしまうこともままある。
かと言って、多数の職人さんがラインに詰めてギターを作る、大規模な工場が安定かというと、そうでもない。日本の工場は、ご多分にもれず、コスト起因でアジアにシフトして行ってしまう。ギブソンやフェンダーといった、USAのブランドも似たようなもので、経営と資本が別々に複雑に絡む分、もっとややこしかったりする。(ファンドに買われて、ワケわかんなくなったりとか。)
でも、製品の価値は、そんな事情とはまるで関係が無いようだ。何年物のギブソンは高いとか、アニメの女の子が弾いてたから人気とか、売れ行きや価格なんて、そんなもので決まってしまう。
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ずいぶん前の話なのだが、工房が集まって、高級ギターの展示即売をするイベントがあると聞いて、興味本位で行ってみた。
100万円を超えるクラシックギターを試奏させてもらったのだが。私には、ほとんと違いがわからなかった。(涙)
その向こうで、とあるオジさんが、試奏しまくっていた。
これがまた、ずば抜けて上手い。
何でこんな人がここに?といぶかる私の視線を背中に感じる・・・わけもなく。この人は、「自分の一本」を選ぶために、吟味に必死だった。
そこへ、会場に、とある母子が入ってきた。
初老の母と、20代後半とおぼしき娘。
身なりが派手だが、態度がでかくて下品なので、一見して成金とわかる。
と、工房の職人の目が一斉に、そちらに向いた。
何人かは駆け寄った。
ああ何とか先生の所の、いらっしゃいませえ、あらお久しぶりねえ~、のような日常会話がしばし。
で、いきなり、「じゃあ今日はあれとあれ、いただくわ~」。
ポンポン!と2本、お買い上げである。
3ケタ万円のギターを。
触りもせずに。
後で聞いたのだが、こういう例は、よくあるのだそうだ。
んで、お持ち帰りあそばしたギターに、彫刻刀で娘の名前を彫っちゃったりするんだそうだ。(驚)
いくら良い腕を持っていたって、これじゃあ職人は浮かばれないなあ、と痛感した光景だった。
せめて、あの試奏オジさんが、自分の一本にめぐり合えたことを祈るばかりだ。
そして今や、その辺の楽器屋でも、まるで「ほうき」のように、安物ギターがたくさん、無造作に壁にかけられている時代である。
私はといえば、その「3万円」の値札にすら、躊躇し、立ちすくむ体たらくなわけだが。(笑)
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本書に戻ると、記述はほとんど著者の記憶によっているらしく、視点は主観的だし、年代などもあてになるか微妙そうだ。
全体に「こうしたらこうなった」式のぶっきらぼうな文体で、小説的な面白さもあまりない。
ギターが好きな人、興味がある人が、半分、物語として読むのは面白いと思う。
情報の精度としては疑問があるので、リファレンスや文献として引用する際には、注意が要るだろう。
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ギターに魅せられて
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