読書ログ 最終決戦兵器「秋水」設計者の回想 ― 2013/02/23 06:41
「秋水」は、二次対戦中に開発された、国産のロケット(ジェットでなくて)エンジン機である。
ドイツのMe163を模している。
高高度を飛来する爆撃機を迎撃すべく、一気に高度を稼ぐために考案された機体だ。
そこまでは、私も知っていた。
しかし、詳細は本書を読んで初めて知った。
開発のほとんどは、日本が独力で行っている。
当初は、Me163の技術を導入する手はずで、サンプルや資料の移送を、潜水艦で行っていた。しかし、先行して飛行機で帰着した人が持ち帰ったわずかな資料が届いたのみで、潜水艦の方は沈められてしまった。
後は、国内の技術でもって補完しまくり。外見がちょっと似ているだけで、中身はほとんど別物になった。
開発は、意外に短期間に進んだようだ。
当時、ロケットエンジンの技術が、国内に既にあったのだ。
しかし、結果は良くなかった。
当時のロケットエンジンは、2液方式だ。必要とされる温度差、圧力差を御して、安定した特性を得るのは、相当に難しかったようだ。まだ、材料技術も高くなかった。爆発事故や墜落で、殉職者も出している。
ちゃちな設計ミスもあった。タンクと供給系の配置が悪く、機体が飛び上がって姿勢が変化した際に、燃料が吸えなくなってエンストして落ちる、のような。(昔、燃料コックの位置が悪くて、リザーブが全部落ちないバイクがあったが。あんな感じか。)
開発の開始は、「決戦兵器」のイメージ通り、戦局が押し迫った終戦前年だ。結局、量産前に終戦となり、実戦で使われることはなかった。
それは、本国ドイツでも同じだった。
メリットより、コストやリスクが大きいということで、開発が放棄された、に近かったらしい。
丸い胴体と大きな翼に、危ない燃料をジャブジャブに積んで。それを一気に燃やして、高高度に達する。敵を蹴散らした後、グライダーよろしく、滑空しながら帰着する。そんな「決戦兵器」。
そのコンセプト自体が、間違っていたと言える。
大体、爆撃機がノホホンとやられるわけがない。
当時、B29が悠然と飛んでいたのは、迎撃機がそこまで来れっこないことを知っていたからだ。もし、すっ飛んでくる迎撃機が出てきたら、護衛機をつけた(作った)ろう。そうなれば、ごく短時間しか推進力を得られず、後はグライダーになってしまう機体が、本当に役に立ったのかは微妙そうに思われる。
飛ぶこと以外の問題も大きい。
燃料は、劇薬でもある。それを、量を作って、備蓄しておくのは大変だ。設備にも製造にもコストがかかる。爆発などのリスクも大きい。備蓄基地を爆撃なんかされたら、それこそ目も当てられない。
著者は、実際に秋水の設計に関わった技術屋さんである。しかし、「就職して初めての仕事」でもあり、末端の図面などを引きながら、機体の開発が進むのを横から見ていた立場にあった。開発の上層に居たわけではないので、その全貌や詳細を知る立場にはない。なので、本書は、当時のご自身の日誌に記憶を加えつつ、それを生の情報として芯に据え、後から資料を集めて、技術を学び直してまとめたものだ。
技術者さんではあるが、航空機やロケットの専門家ではない。資料の読み解きにも、技術というより、郷愁が前面に出てくることもある。(あの時の誰それが写っておられて懐かしい、云々。)
本書にはエンジンの資料も多いのだが、説明はわかりにくい。「判断は読者がする」という前提で、ありったけの判断材料を羅列したがる。本人は実直なつもりだが、「伝わらない」説明文。まるで、電化製品の、やる気の無いマニュアルのような。技術屋にありがちな、敷居の高い文章だ。(身に覚えあり。笑)
情緒でも読みにくい。「当時は厳しく、血の出るような努力と云々」といった文が何度か出てくるが、あの終戦間際の困窮の世にあって、仕事の後に一杯やりながら歓談するなど、実際は恵まれた方だったのでは、とも思われる。それに、血と汗の云々は、機体のコンセプトや成立ちとは、あまり関係がない。(出来には関係するかもしれない。)
何せ、現場証人による書き下ろしなので、情報としては貴重、希少ではあるのだが。想起を書き並べたに近い印象で、この一冊で秋水の全貌が分かる、というわけではない。
だから価値がない、というわけではない。
内容が散らかっていることの裏返しとして、想定外の見識に出合える。
内容はほぼ3部構成になっていて、回想を主にしたまとめ、技術解説(主にエンジン)、周辺情報をまぜた考察、に分かれる。
後半の、特攻機の考察は、参考になった。
言われてみればそうなのだが、私も、そこまで考えたことはなかった。
特攻機の目的は、破壊だ。爆薬を多量に積む一方、燃料も操舵系も極小しかない。航続距離も短いし、操舵の精度も悪い。だから、敵のすぐ近くまで、運んでやる必要がある。しかし、そんな特攻機を積んだ運搬機/船は、大きく重く、動きが遅い。撃ち易くて、当たれば大爆発。格好の的になってしまう。
日本軍は、無線を完全に読まれていた。待ち伏せにあって、護衛につけた戦闘機ごと、丸ごと落とされてしまう。
人間の命で撃つという悲惨なコンセプト以前に、基本的な戦略として、根本的に、間違っていたやり方だったのだと思う。
筆者は、秋水は決戦兵器であって、特攻機ではない、と言いたいらしい。しかし当時、特攻機として作られたかどうかと、特攻機として使われたかどうかは、全く関係がなかった。その用途に狩り出されることがなかったのは、生まれた時期が幸いした(遅かった)、ただのラッキーだった。
読み易くはないし、首をかしげることも少なくなく、読後感はあまりよくない。
しかし、「秋水とは何だったのか」を通して、戦争を透かして見る「窓」としては、小さいながらも、悪くないと思った。
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Amazonによると、秋水の資料は意外と豊富で、写真集まであるらしい。そのうち見てみたいと思う。
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