バイクの本 「ホンダ・フラッグシップバイク開発物語」 つづき ― 2013/02/17 06:05

次に挙がるのは、CB900Fだ。
筆者が、初めて本格的に関わった量産車、とのこと。
会社から与えられた目標は、「ヨーロッパでのシェア奪還」。
RCBのイメージを利用して、売れる車を作れ、と。
(レースは走る広告塔・・・。)
一般に、量産車の設計は、レーサーより制約が多い。儲けを出す「本業」でもある。会社の育成方針として、レースの現場で設計の基本をお勉強がてら、メンタルに鍛える意味でのイニシエーションを済ませてから、量産の現場に回して一人前になってもらうやり方だったのかもしれない。
とはいえ、フリーハンドでやらせてもらったわけではなくて、開発が先行していたUSA向けCB750Kとフレームを同一にしろとか、日本向けCB750Fや、保険対策の700ccもよろしく~なんかいう後出しジャンケンもあって、混乱も少なくなかった。
面白いのは、社内的に、一致団結とか切磋琢磨といった雰囲気にはなくて、エンジンとフレームの設計が別部署で、お互いに「そっちがやれ」的な押し付け合いがあったりとか、お決まりの「技術vs営業バトル」なんかも、当然のようにあったとのこと。家族的な雰囲気が言われたこともあるホンダだが、この当時、既にその段階はとうに過ぎ、セクショナリズムによる大企業化が進行していたことを伺わせる。
とはいえ、筆者が、「いつも厄介を押し付けられる側だった」というフレーム設計に居たのは、悪くなかった。それは、開発全体の流れを鳥瞰できるポジションでもあったのだ。よく言えば、「スタイリングや性能、コストをまとめ上げる、難しい役割」ではあったのだが。プロダクトの実際は、「部分最適化の集合」だったと思う。
モノの出来を見る限り、確かに「ホンダの技術力」と言えるとも思うのだが、それは、大メーカーゆえの規模によるコストメリットや、市場ポジション(プロモーションやサプライチェーンを含むアクセスの良さ)などの総合力として効いたのであって、モノが単体でよかったのかは、別問題のように思える。
例えば、エンジンが「ホンダ市販車初の4気筒DOHCだった」というのは、「価値」かもしれないが、そのDOHCが、どんな回り方をしていて、乗り味にどう効いていたのか、それがどう「ホンダならでは」をアピールしていたのか。その実際がはっきりしないと、公道バイクとしての評価は、曖昧になってしまう。
「実際、乗ってどうだったのか」よりも、希少性や先進性でもって、プレミア=市場性として訴求する考え方。筆者の場合、残念ながら、それはこの後も、ずっと一貫している。
スーパーカブの時 と比べて、一部はダブってはいるものの。大切な半身を失くしてしまったかのような印象だ。
ご存知のように、CB900/750Fは、市場の評価は悪くなかった。
私も、個人的な思い出がある。
私が限定解除(死語よね)をできたのは、コイツのおかげだったのだ。
CB750Fは、当時の試験車の間でも、古びていた部類だった。素人にコキ使われた代償として、あちこちヤレまくっていて、ギヤもまともに入らないポンコツだった。図体もでかくて、取り回すのにも労力が要った。
でも、ハンドリングはニュートラルで、試験場の極低速でも乗りやすかった。大きく見えた車体だが、ポジションを取るエリアは広くて、ハンドルを切ったくらいで人間が伸びきってしまうような不具合もなかった。
停止状態で半クラでギヤを押し込むなどの小技をこなせた私には、このバイクは乗りやすかった。ホントに、でっかいカブみたいだったのだ。(笑) そのおかげで、リラックスして試験場ライドができた。
この時は、その「乗りやすさ」に助けられたわけだが。
実際は、意外とユルくて、インパクトがないバイクだった。
反面、ヤレ方の方が、印象に残った。
エンジンを初め、車体のあちこちは完全に終わっていて、この使われ方をさっ引いても、耐久性は誉められたものではなかったと思う。
(試験場で、誰かが、CBは一本橋で振られるからイヤだと言っていた。そうかも知れない。)
70~80年代に、一番よく見かけた大型バイクだった。
雲の上のナナハン。
フラッグシップ。
・・・・・こんなものだったのか?。
話を戻す。
CB900/750Fは、市場の評価は悪くなかった。
スペンサーが、CB900Fでデイトナで勝ったりして(82年)、ハクもついた。
ただ、リッターオーバーが当たり前のヨーロッパのレースでは、900ccの半端なパワーでは勝てなかった。なので、急きょ「レースで勝てる市販車」を目指して、CB1100Rが作られた。
量産車ではまれな手も使って、しかし実際は突貫で作った、公道レーサー(のコンセプト)。
レースへの道を広げるための企画だったのに、何十年ぶりのホンダの市販レーサーということでプレミアがついてしまい、買い占められて仕舞われて、当初の意図は達成できなかったというのは、皮肉な結末だ。
(ついでに、プレミアは「つける」ものではなく、「つく」ものだということを、この時に学んでいれば、後のNRの過ちは、なかったかもしれない。)
ともあれ、レースのイメージが、市販車の開発から販売まで、色濃く反映していたのは確かなようだ。
・新型車とレースのイメージを相乗させて訴求するという「手段」
・フラッグシップに、レーサーのイメージをオーバーラップさせる「手法」
これらには、この後も何度かお目にかかることになる。
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ホンダ・フラッグシップバイク開発物語―名車を生み出した熱き技術者たちの戦い
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