読書ログ 「植物はそこまで知っている」 ― 2013/05/25 06:10
題名通りの、科学読み物だ。
以前、 石は我々を「カラーで」見ている、という話 や、先週は 鳥の感覚を擬人化した本 を取り上げたが、それと類似だ。
大きさ、厚さ、値段、内容共に、こじんまりとしていて、とっつき易い。私は出張の電車の片道で読み切った。
植物とて、ただノホホンと生えているわけではなくて、
・ ちゃんと、根は下に葉は上に必ず伸びるし
(上下が分っている:平衡感覚がある)
・ 日の光の方に伸びるし(光を感じている)
・ 春に花を咲かせ(季節つまり温度に反応している)
・ 匂いで虫を誘い、隣が出す匂いにつられ(会話している)
・・・とそんな風に、我々と同じように、いろいろと感じ取り、情報を処理し、取捨選択を行いながら、日々を生きている。
何となく、動物である我々とも同じようなものを感じていて、だから、朝、じょうろで水をかけた植木が、「気持ち良さそう」などと、擬人化してみたりする。
無論、植物には脳も神経組織も無いので、我々と同じに「感じ」たり「知って」いたりするわけではない。
著者は、テルアビブ大学の、遺伝子の学者である。だから、遺伝子的な眼で見た話にシフトするわけだが。
遺伝子レベルで見ると、植物と動物(人間)は、さほど違いが無い。同じ「難聴遺伝子」を持っていたりする。
さらに、危機的な状態の経験が、遺伝子レベルの情報に落とし込まれ、その対処法を、次の世代に伝える「記憶」のシステムまで備わっているとなると、なかなか驚く。(人間には、その能力は無い。後天的に、脳に情報を蓄えるだけ。)
動物なら、危機的な状態からは動いて逃げられる。植物は動けないが、何があろうとも、その場で、独力で、生き延びればならないのに変わりはない。その分、動物よりも苛烈な立場にあるわけで、遺伝子レベルでは、かえって「進歩している」とも見えるようだ。人より稲の遺伝子の方が長いというのは、巻末の後書きにある情報である。
その訳者の後書きがまた詳しくて、同類の名著のリストアップまでしている。
薄くて安い割に、情報の密度が濃く、重複による「ふくらまし」も少ない。訳もこなれていて、ストーリーを読ませる。挿絵も豊富で楽しめる。
ただ、本当は、擬人化された植物のあれこれを笑ったり、鵜呑みにして知ったかぶりをする本ではないと思う。
擬人化する前の、植物の本当を、想像する。
そして、「動物としての人間」を、それに対置してみることで、人間の何たるかを、改めて投影する。
その対置のアスペクトが、この本の本当の価値であり、単なる「読み物」を越えて、ゲノムが紡ぐ物語を伝えたいと願った、著者の本望であったのだろうと思う。
(先週の「鳥」と違って、面白かった。)
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植物はそこまで知っている ---感覚に満ちた世界に生きる植物たち
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