読書ログ 「流れとかたち」 ― 2013/12/21 06:20
仕事が「流れ」なくて、イラついたことは無いだろうか。
特に、若い頃とか。
・・・スンナリ流れれば、ずいぶんいい仕事になるのに。
で、いざ、その流れを段取る立場(マネージャー)になり、
障害になっていたと思しき諸事情をも見回せる視界を手に入れ、
その結果、
皆それぞれ都合があり、
かつての自分と同じような、理想や工夫や都合があってのことかと、
理解するにつれ、
ただの調整役に丸まって行ってしまう。
そうやって、歳を取る。
当初の、若い情熱は、忘れてしまい。
うん。
今でも、道が流れずにイラつくことは多いが。(笑)
流れは、自己整合的に、いわば、勝手にできて行く。
ポテンシャルの低い方(負荷が小さい方)に収束するようにできている。
(バイクの前輪のように。)
その現象を、逆方向、
つまり、
できた流れの様式から、その法則をさかのぼろうとした本にも思える。
それにより、既存の定説や学説が作る壁?しきい?を、
ぶち壊そうとしたようにも。
私は昔、流体力学を学んだことがあり、無次元化(大小の異なる現象が、同じ原理によって起こることの証左)にはなじみがある。だからだろうか、正直、そう破壊的とか、斬新な説のようには思えなかったが。
私が普段、「波長」と言い表しているものと、あまり変わらないことのようにも思えた。
知らない人には、刺激的な読み物かも知れない。
あらゆるもののスケーリングを、
実物とモデルの双方で、
仕事や趣味における、
皆様のデザインに、
活かせていただければ幸いなのだが。
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流れとかたち――万物のデザインを決める新たな物理法則
バイクの上半分 20 ― 2013/12/22 10:27
例えば、田園の建物の二階の窓から、雨の風景を眺めているとしよう。
遠めに見える、濡れたベンチの表面の質感なんかが、妙にリアルに感じられることがある。
実際に触れているわけでもないのに、感じることはできる。
かつて、そういうものを触れた時、指先や目からの情報を統合した、感覚的な「質」としてのデータを、我々は既に持っているのだ。
そのデータの在りようは、我々の認識の文様を、ある程度、決めている。
雪道など、滑り易い道でも、転ばずに歩けたりするのは、路面と靴底の「質の感覚」を既に持っていて、それに従って、対応しているからだ。
物理的には、「滑り出しの感覚」とは、静摩擦から、動摩擦に変わる限界(臨界値)のことなのだが、皆、靴底の「質感」を身体に持っていて、それでもって、かなり正確に、雪道の表面への、対処を行っていると。
身体の界面を、靴底と路面の間に置いている。
靴底までを、我が身に「インテグレート」しているからこそ、靴底の感覚を、我が身のものと感じる。
「インテグレート」という単語だが、最近、誤用が目立つ、とある。
電子ガジェットなどで、外側に取り付ける(だけの)時計なんかが、インテグレートデザインなどと称される場合があるが、違うと。
インテグレートとは、表面に乗っかっただけの状態ではない。
システムに必要とされるファンクションを具現化し、システムとやり取りしながら、総合的に機能することで、システム全体が一回りアップグレードするような、そういう状態を言うもの、なのだそうだ。
「質感」を、身体の外側に置くこと。
その界面までの間にあるもの(道具)を、自分にインテグレートし、されること。
「いいライダー」には、同じ感覚が必要だ。
その場合、境界(インターフェース)は、無論、タイヤの接地面だ。
いいライダーは、接地面で「会話」をする。
そうやって、路面との間で話をしながら、接地面の能力を使い切る。
言い換えれば、タイヤの能力のキワを見極める。
ぐーっと荷重をかけて(摩擦を増やして)行って、限界を超えてクッ!と滑り出すと、その後は大体、一定の摩擦に落ち着く。(静的な摩擦から、動的な摩擦へ変化する。)
バイクに乗っている最中に、どの方向に荷重(トラクション)をかけているのかをモニターすると、そのあり様が、よくわかるそうだ。
素人さんは、縦横方向のみ、が「ありがち」。
(右コーナーの方が、ちょっと得意らしい。)
エキスパートは、ナナメ方向にも自在に荷重をコントロールしていると。
(外側の円は、グリップの限界を示している。そのギリギリまで、しかも縦横に使いこなしている状態だと。突っ込みや立ち上がりでのスライドまで含めて、自在に操っている。GPライダー並みってことかな。)
路面との会話は、ゆっくりとはできない。
考えているヒマなどないのが普通だ。
センシングが動作にダイレクトに繋がっている状態。
(後になって、ああ、あんなだったなあ、と感じることはできる。)
人車一体。
機体と人間が、インテグレートされている。
インテグレートされたシステムと、外界との境界が、接地面である「系」。
私見だが、上記は、一種の理想状態の記述というだけで、これが目指すべき頂上だとか、できないとダメだとか、そういうことを言っているのではないだろう。
タイヤの能力をキワまでフルに使う状態と言うのは、荷重をメいっぱい、前後に激しくギッタンバッコンやり続けている状態に近い。公道ライダーにとっては、直接のメリットがあるかどうかはわからない。
公道では、予測以外のものが、常にありうる。だから、マージンを考えて、予想の7掛け位で走っているのがせいぜいだろうし、私は、それが間違いだとは思わない。
ただ、予想外の事態が起こった際の回避やら何やらで、そこまで行ける、そのキワでもコントロールできる、そういう能力があれば、便利を通り越して、命拾いになるかもしれない。
逆に、よしんば、「オレは避けられるから」と、お下品にブイブイ鼻を突っ込んでもいい、ということにもならないだろう。もうその辺は、物理や科学の領域ではなく、哲学や倫理の世界だろうから、ここでは突っ込まないでおく。
我が身を滅ぼすのは、技術や物理による誘惑ではなく、哲学や美学なんかによる落とし穴だったりもする。
そういうことだろう。
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読書ログ 「リスボン 坂と花の路地を抜けて」 ― 2013/12/28 06:09
いつぞや取り上げた 旅の本 で思い出した。
行きたいのに、行けていない所。
その一つが、ポルトガルだ。
ちょいと寂れた、端っこのヨーロッパ。
一度、興隆を極めた後に、滑り落ちた。
だからこそ、知っている真実。
そんな匂い。
その匂いがありながら、平和に暮らせている。
珍しいと思うのだ。
大概は、滑り落ちたままにうらびれて、荒れ果てたり、
見る影もなくなってしまったり。
すっかり失われ、わずかに残る古い書物の断片に、
その影を追うのがせいぜいと、そんなだったりする。
金銭的には、豊かではない。
しかし、生活「感」は、豊かに見える。
本当に大切なのは、預金のケタや、クルマやスマホの画面の大きさ
にあるのではなく、うまそうに焦げているイワシとワインと、
いつも変わらずに泣いている、ポルトガルギターなのかも知れない。
この、丘の斜面から海を見下ろす、すり鉢のような構造の、
古くて美しくてゆっくりした町は、そう思わせる「劇場」のような
佇まいを持っている。
著者は、長く海外に住む脚本家の女性だそうで、今は南ポルトガルに住んでいる。本書は、その著者が、半ば慣れ親しんだリスボンの風景(風俗)を、写真つきで紹介した本だ。
著者による写真はよく撮れていて、技巧もさることながら、「好きで撮りました感」がよく出ていて、見ていて楽しい。文章も、何せ本当にリスボンを歩きに歩いて書いているので、足裏の痛みとトラクションをじんじんと感じるようなリアリティがある。(笑)
私は普段から歩くのが好きなのだが、リスボンに行ったら、日がな歩き回るだろうと予想している。
全く、本書には、この坂だらけの街を、歩き回ったような気分にさせてもらえた。
私がリスボンに行ける日が来るのかはわからないが、しばらくは本書で「行きたいけど行けない」心に溜飲を下げることとしよう。
そろ寒い季節である。
久しぶりに、 マドレデウス でも引っ張り出して、聞いてみようと思う。
(ちなみに、私はギターの研究を続けるうち、ポルトガルギターにはまって久しい。その何たるかを、いずれ書こうと思っているのだが。なかなか書けずにいる。誰も読みたくないだろうしね。笑)
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リスボン 坂と花の路地を抜けて
バイクの上半分 21 ― 2013/12/29 08:24
「インテグレート」について、もう少し掘り下げてみる。
自己の境界を外側に膨張させた状態。
その「自己」の中に、(バイクを含む)道具が共に含まれて、有機的に機能している状態。
人車一体。
「人馬一体」状態の乗馬は、傍から見ていてもわかるし、危なげないどころか、心地よくさえ感じる。
それと同じことが、いろんな形で起きうる。
人間が、「乗せられている荷物」から、「系の構成要素」になった状態。
しかし、インテグレート状態というのは、実は、さほど安定なものではない。
長いブランクの後でバイクに乗ると(冬ごもりの後とか)、妙な違和感を感じることがある。何となく、まるで始めて乗るような、よそよそしい感じがするものだが、乗っているうちにすぐに慣れて(思い出して)、以前のように、自然に乗れるようになる。(インテグレートが起動するのに時間がかかる。)
インテグレートが「解かれる」場合もある。
例えば、長距離レースなどで事故が集中するポイントを解析すると、「休憩」と強い関連を持つ場合があるそうだ。休んで緊張が解かれると、インテグレートも切れるのだと。
(でかい事故は家の近くが多いの法則も、同じ原理かもしれない。)
そして、肉体的な疲れなども影響して、断絶の後、インテグレーションが起動するまでの、時間が延びる場合もある。
だから、大事な場面の前には、インテグレーションになるべく早く入るように、という意味で、少し早めに乗るなり走るなりしておくこと(ウオーミングアップ)も大切、なのだそうだ。
同様に、マシンのポジションのセッティングも、単なる快適性というだけでなく、より深くマシンと統合するために大切なファクターなので留意すべし、とある。
マシンとの同化は、その外側の、環境との影響も深める。
「予測というより予知に近い予感」などは、よく見られる例だと。
(といったことは、実は人間以外の動物でも見られることで、例えば、ひょいと立ち上がっただけなのに、散歩に行くことを察知して、犬が歓喜しだす例などが挙がっている。)
インテグレートは、「上達」とも密接に関係している。
練習を続けるうちに、細切れだった「潜在意識の動作プロ」が整合、調和して、一連の動作として一つになる瞬間があるのだが、外から見ると、「いきなりうまくなった」となる。
(逆に、練習しているのに上達しない「踊り場状態」は、この統合が上手くできていない場合があるので、少し視点を変えた練習が功を奏する場合があるとも。)
インテグレートは、「潜在意識の動作プログラム」で行われる。
潜在プロでしかできないものだし(現象)、潜在プロで行われるものをインテグレートと言うのだ(定義)。
インテグレートは、様々な効果がある。
単純に、身体能力やパフォーマンスが上がるという効果が顕著だが、「疲れない」という効果もあると。(「自動」なので、疲れないのだ。)
初めての道は、緊張のせいか疲れるし、長く感じるものだが、慣れるに従って「いつの間にか過ぎている」感じになるものだ。(二度目の道は短いの法則。)
反面、インテグレーションの深度が増す(やりすぎる?)につれ、潜在プロが前面に出て支配度を強め、意識の方が脇に追いやられる。一種のトランス状態、入眠前の意識混濁の状態と同じようになる場合がある。(返事もしない状態。)
耐久レースや、長距離トラックドライバーにはよく見られるそうだが(疲れないので便利)、バイクのスプリントレースでも、競り合いがない状態(トップをブッチ切りとか)では起こるそうだし、それ以外の、いろんなスポーツや、一定の動作の反復を伴う職業などでも見られると。
注意力は一点集中で、頭脳は(部分的に)明晰な状態を保っているのだが、怖いのは、これが解かれる瞬間が、いつ来るかわからないことだ。
肉体的に疲れたりしていると、この「乖離」が急激に起こりがちだと。
ハーモニクスが突然失われて、「あっ!」となる瞬間だ。
傍から見ていると、「居眠り運転」に見えてしまう状態なのだが、ちゃんと状況を観測すると、目を閉じたり、舟を漕いだりという状態が来る、遥か以前に起こるのだそうだ。
その証拠に、「昼でも起こる」、だから余計怖い、とある。
(徹夜明けは乗れていると感じるの法則、だろうか。)
インテグレーションとしては、さらに行き過ぎた感じの、別の形態もある。
フロー(流出?)などと言われるそうだが、一種の恍惚状態だ。
特定の作業を継続するような状態において、一切の危険を感じなくなり、環境との融和を強く意識すると共に、幸福感、満足感に満たされる。
長時間スポーツや、芸術活動などでも良く見られるそうだが、バイクの場合は、いわゆるライダーズハイだろうか。
脳科学的には、(脳内麻薬と言われていた)エンドルフィンと関連するとも。
パフォーマンス(フィシカル)や、満足感(メンタル)の両面で、理想や目標ともされがちな状態だが、これまた、いろんな意味で当てにできない。
まず、どうしたら起きるのか、よくわかっていない。
こうしたら起きる、という必要条件はある程度わかるのだが、それを全て揃えても、起こるかどうかは当たるも八卦だと。
要は、コントロールできない状態なので、天使でもあり、悪魔でもあると。
(天使か悪魔かは、見る側の立場による。敵の天使は味方の悪魔。)
まして、当てにしたり、何か(命とか)を任せるわけには行かないだろうと。
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さて。
以上で、大体、全体の2/3を読んだのだが、結局のところ、「意識しないといけないけど、意識しすぎちゃいけない」のような、じゃあどうしたらいいのよ的な話が多いようにも思う。
次は、(やっと)その辺りの具体論に移って行くらしい。
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