バイクの上半分 202013/12/22 10:27



例えば、田園の建物の二階の窓から、雨の風景を眺めているとしよう。
遠めに見える、濡れたベンチの表面の質感なんかが、妙にリアルに感じられることがある。

実際に触れているわけでもないのに、感じることはできる。
かつて、そういうものを触れた時、指先や目からの情報を統合した、感覚的な「質」としてのデータを、我々は既に持っているのだ。

そのデータの在りようは、我々の認識の文様を、ある程度、決めている。

雪道など、滑り易い道でも、転ばずに歩けたりするのは、路面と靴底の「質の感覚」を既に持っていて、それに従って、対応しているからだ。
物理的には、「滑り出しの感覚」とは、静摩擦から、動摩擦に変わる限界(臨界値)のことなのだが、皆、靴底の「質感」を身体に持っていて、それでもって、かなり正確に、雪道の表面への、対処を行っていると。

身体の界面を、靴底と路面の間に置いている。
靴底までを、我が身に「インテグレート」しているからこそ、靴底の感覚を、我が身のものと感じる。

「インテグレート」という単語だが、最近、誤用が目立つ、とある。
電子ガジェットなどで、外側に取り付ける(だけの)時計なんかが、インテグレートデザインなどと称される場合があるが、違うと。

インテグレートとは、表面に乗っかっただけの状態ではない。
システムに必要とされるファンクションを具現化し、システムとやり取りしながら、総合的に機能することで、システム全体が一回りアップグレードするような、そういう状態を言うもの、なのだそうだ。

「質感」を、身体の外側に置くこと。
その界面までの間にあるもの(道具)を、自分にインテグレートし、されること。

「いいライダー」には、同じ感覚が必要だ。

その場合、境界(インターフェース)は、無論、タイヤの接地面だ。

いいライダーは、接地面で「会話」をする。

そうやって、路面との間で話をしながら、接地面の能力を使い切る。
言い換えれば、タイヤの能力のキワを見極める。

ぐーっと荷重をかけて(摩擦を増やして)行って、限界を超えてクッ!と滑り出すと、その後は大体、一定の摩擦に落ち着く。(静的な摩擦から、動的な摩擦へ変化する。)

バイクに乗っている最中に、どの方向に荷重(トラクション)をかけているのかをモニターすると、そのあり様が、よくわかるそうだ。

素人さんは、縦横方向のみ、が「ありがち」。
(右コーナーの方が、ちょっと得意らしい。)

エキスパートは、ナナメ方向にも自在に荷重をコントロールしていると。
(外側の円は、グリップの限界を示している。そのギリギリまで、しかも縦横に使いこなしている状態だと。突っ込みや立ち上がりでのスライドまで含めて、自在に操っている。GPライダー並みってことかな。)

路面との会話は、ゆっくりとはできない。
考えているヒマなどないのが普通だ。
センシングが動作にダイレクトに繋がっている状態。
(後になって、ああ、あんなだったなあ、と感じることはできる。)
人車一体。
機体と人間が、インテグレートされている。
インテグレートされたシステムと、外界との境界が、接地面である「系」。

私見だが、上記は、一種の理想状態の記述というだけで、これが目指すべき頂上だとか、できないとダメだとか、そういうことを言っているのではないだろう。

タイヤの能力をキワまでフルに使う状態と言うのは、荷重をメいっぱい、前後に激しくギッタンバッコンやり続けている状態に近い。公道ライダーにとっては、直接のメリットがあるかどうかはわからない。

公道では、予測以外のものが、常にありうる。だから、マージンを考えて、予想の7掛け位で走っているのがせいぜいだろうし、私は、それが間違いだとは思わない。

ただ、予想外の事態が起こった際の回避やら何やらで、そこまで行ける、そのキワでもコントロールできる、そういう能力があれば、便利を通り越して、命拾いになるかもしれない。

逆に、よしんば、「オレは避けられるから」と、お下品にブイブイ鼻を突っ込んでもいい、ということにもならないだろう。もうその辺は、物理や科学の領域ではなく、哲学や倫理の世界だろうから、ここでは突っ込まないでおく。

我が身を滅ぼすのは、技術や物理による誘惑ではなく、哲学や美学なんかによる落とし穴だったりもする。
そういうことだろう。


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バイクの上半分 212013/12/29 08:24



「インテグレート」について、もう少し掘り下げてみる。

自己の境界を外側に膨張させた状態。
その「自己」の中に、(バイクを含む)道具が共に含まれて、有機的に機能している状態。
人車一体。

「人馬一体」状態の乗馬は、傍から見ていてもわかるし、危なげないどころか、心地よくさえ感じる。
それと同じことが、いろんな形で起きうる。
人間が、「乗せられている荷物」から、「系の構成要素」になった状態。

しかし、インテグレート状態というのは、実は、さほど安定なものではない。

長いブランクの後でバイクに乗ると(冬ごもりの後とか)、妙な違和感を感じることがある。何となく、まるで始めて乗るような、よそよそしい感じがするものだが、乗っているうちにすぐに慣れて(思い出して)、以前のように、自然に乗れるようになる。(インテグレートが起動するのに時間がかかる。)

インテグレートが「解かれる」場合もある。
例えば、長距離レースなどで事故が集中するポイントを解析すると、「休憩」と強い関連を持つ場合があるそうだ。休んで緊張が解かれると、インテグレートも切れるのだと。
(でかい事故は家の近くが多いの法則も、同じ原理かもしれない。)
そして、肉体的な疲れなども影響して、断絶の後、インテグレーションが起動するまでの、時間が延びる場合もある。
だから、大事な場面の前には、インテグレーションになるべく早く入るように、という意味で、少し早めに乗るなり走るなりしておくこと(ウオーミングアップ)も大切、なのだそうだ。

同様に、マシンのポジションのセッティングも、単なる快適性というだけでなく、より深くマシンと統合するために大切なファクターなので留意すべし、とある。

マシンとの同化は、その外側の、環境との影響も深める。
「予測というより予知に近い予感」などは、よく見られる例だと。
(といったことは、実は人間以外の動物でも見られることで、例えば、ひょいと立ち上がっただけなのに、散歩に行くことを察知して、犬が歓喜しだす例などが挙がっている。)

インテグレートは、「上達」とも密接に関係している。
練習を続けるうちに、細切れだった「潜在意識の動作プロ」が整合、調和して、一連の動作として一つになる瞬間があるのだが、外から見ると、「いきなりうまくなった」となる。
(逆に、練習しているのに上達しない「踊り場状態」は、この統合が上手くできていない場合があるので、少し視点を変えた練習が功を奏する場合があるとも。)

インテグレートは、「潜在意識の動作プログラム」で行われる。
潜在プロでしかできないものだし(現象)、潜在プロで行われるものをインテグレートと言うのだ(定義)。

インテグレートは、様々な効果がある。
単純に、身体能力やパフォーマンスが上がるという効果が顕著だが、「疲れない」という効果もあると。(「自動」なので、疲れないのだ。)
初めての道は、緊張のせいか疲れるし、長く感じるものだが、慣れるに従って「いつの間にか過ぎている」感じになるものだ。(二度目の道は短いの法則。)

反面、インテグレーションの深度が増す(やりすぎる?)につれ、潜在プロが前面に出て支配度を強め、意識の方が脇に追いやられる。一種のトランス状態、入眠前の意識混濁の状態と同じようになる場合がある。(返事もしない状態。)

耐久レースや、長距離トラックドライバーにはよく見られるそうだが(疲れないので便利)、バイクのスプリントレースでも、競り合いがない状態(トップをブッチ切りとか)では起こるそうだし、それ以外の、いろんなスポーツや、一定の動作の反復を伴う職業などでも見られると。

注意力は一点集中で、頭脳は(部分的に)明晰な状態を保っているのだが、怖いのは、これが解かれる瞬間が、いつ来るかわからないことだ。
肉体的に疲れたりしていると、この「乖離」が急激に起こりがちだと。
ハーモニクスが突然失われて、「あっ!」となる瞬間だ。

傍から見ていると、「居眠り運転」に見えてしまう状態なのだが、ちゃんと状況を観測すると、目を閉じたり、舟を漕いだりという状態が来る、遥か以前に起こるのだそうだ。
その証拠に、「昼でも起こる」、だから余計怖い、とある。
(徹夜明けは乗れていると感じるの法則、だろうか。)

インテグレーションとしては、さらに行き過ぎた感じの、別の形態もある。
フロー(流出?)などと言われるそうだが、一種の恍惚状態だ。
特定の作業を継続するような状態において、一切の危険を感じなくなり、環境との融和を強く意識すると共に、幸福感、満足感に満たされる。
長時間スポーツや、芸術活動などでも良く見られるそうだが、バイクの場合は、いわゆるライダーズハイだろうか。
脳科学的には、(脳内麻薬と言われていた)エンドルフィンと関連するとも。

パフォーマンス(フィシカル)や、満足感(メンタル)の両面で、理想や目標ともされがちな状態だが、これまた、いろんな意味で当てにできない。

まず、どうしたら起きるのか、よくわかっていない。
こうしたら起きる、という必要条件はある程度わかるのだが、それを全て揃えても、起こるかどうかは当たるも八卦だと。
要は、コントロールできない状態なので、天使でもあり、悪魔でもあると。
(天使か悪魔かは、見る側の立場による。敵の天使は味方の悪魔。)
まして、当てにしたり、何か(命とか)を任せるわけには行かないだろうと。

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さて。
以上で、大体、全体の2/3を読んだのだが、結局のところ、「意識しないといけないけど、意識しすぎちゃいけない」のような、じゃあどうしたらいいのよ的な話が多いようにも思う。

次は、(やっと)その辺りの具体論に移って行くらしい。


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