読書ログ 「木村伊兵衛と土門拳」 ― 2014/11/23 08:23
何度も読む本、というのがある。
何度も読んでいるから、見覚えがある文章なのだが。
でもやっぱり、よく書けているなあと、また感心したりする。
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時間というのは、不思議なものだ。
刻一刻と、等間隔で、刻まれ続けている。
そう思われている。
物理的には、そう証明できるもの、なのかも知れないが。
生活感としては、それは証明済みの事実なんかではなくて、ただの仮定のように思える。
楽しいことは早く過ぎる。
いやなことは、長く感じる。
小さい頃や、若い頃は一日が長かったが。
歳を取ると、一瞬だ。(一日どころか、十年だってあっという間。)
遠い昔の記憶でも、リアルに思い出せることがある一方で、
憶えておくべき重い出来事のはずなのに、なぜか印象が薄くて、
遠い昔のようにも感じることもある。
実際、時間は、等間隔なんかでは全くない。
不均一なだけでなく、濃淡をもって、流れたり、淀んだりしながら、
我々の周りを、たゆたっている。
我々はその中を、過去を眺めながら、後ろ向きに背中から、未来に向けて歩いている。
(昔のギリシャ人の時間観がこうだったと、どこかで読んだ。)
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「写真」に、話を移す。
改めてこの漢字を見ると、また、えらい訳語だなと思う。
まことをうつすもの
picture というと「絵画」も含むし、photography というと光の話、「光学的複写」のようなニュアンスを感じる(職業柄かも)。でも、日本語の訳語ように、「真実を扱う」ニュアンスは、あまり感じない。
映像が真実を写すというのは、ただの思い込みに過ぎない。
面白おかしくでっち上げられた映像は、今やその辺に溢れているし(広告やCMからYouTube、ブログに写メ・・・)、政治的な意図が込められた報道写真(映像)なんかは、もうオワコン扱いだ。
それでなくとも、「こんなはずじゃなかったのに」を繰り返している、(私のような)下手っぴカメラマンは、その類の「映像の罠」の深さと痛さを、人一倍よく知っている。
写真が写しているのは、撮影者の記憶や印象だ。
その、何百分の一秒とかの、「一瞬」の時間。
一方で、写真を見る者が感じるのは、自分の記憶や印象だ。
その「一瞬」が、私の中から探し出した「何か」。
写真は、その間をつなぐ。
つなぐことができる写真が、よい写真だ。
その「一瞬」を見つけたくて、写真好きは、ファインダーを覗き続けている。
(全く、ファインダー、「見つけるもの」とは、良く言ったものだ。最近は無くなっているようだが。)
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この本は、日本の昭和を代表する二人の写真家の、作品とバックグラウンドを、時系列に追ったものだ。
戦時中から戦後にかけ、写真は、一部の専門家から、一般庶民へと普及するにつれ、その使われ方も、報道や芸術などの上層から、記録や趣味などの下層へと広がりを持って拡散して行く。使われ方だけでなく、社会的な位置づけもシフトしていたから、撮り方、見せ方、捉え方、考え方なんかをめぐって、いわば、「写真がアツかった時代」があった。
カメラのハードも移り変わっていた。機械、レンズ、フィルムの三つ巴で精度や性能が向上していて、その各々が、撮れるものの精度や性能を日々、上げていた。その一つ一つが真新しくて面白かったし、かくして「カメラが売れると紙屋(フィルムとプリント紙)が儲かる」という不思議な構造の業界を、広い裾野でもって、支え続けていた。
その頃の、重鎮(または教祖?)であり、代表でもあった二人が、
何を考え、何をして、何に至ったのか。
丹念に追いながら、解釈を加えていく。
(必然的に、日本の写真史を、側面から見つめる作りにもなっている。)
それにしても、よく書けている。
著者が、これら写真家の作品から感じ取る情報量は凄い。
もともとは、写真雑誌の編集さんなのだそうで、「写真の見方」には慣れていたろうし、これら写真家の著作や言動などの「背景」にも通じているから、ある意味、当たり前とも言えるのだが。そういった事情を抜きにしても、その感性が、写真の下からすくい取る情報の深さと鋭さは、この人自身の実力だろう。その一々が持つ説得力が、並大抵ではないのだ。
それら「背景」と、著者の「読み」を突き合わせ、より合わせして、物語として紡いでいくその様には、ある種の、執念のようなものを感じる。
それに、この文章力だ。
自分が感じたことを、言葉にして表し、伝える能力。
私も、こんな文章を書きたいものだ、といつも思う。
(でもこの人は、この一冊しか書いていない。)
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カメラが、「庶民のもの」になり、その数を増やすにつれ、
撮ること、撮られることに対する余裕も、失くしていく。
それまで、ふんだんにあった自由度を、互いに、食い尽くすかのように。
カメラの使い方が、次第に限定されていく。
当初、「何でも撮れる」と思われていたカメラは、こういうものを撮るもの(それしか撮れないもの)というふうに、「残された少ない余地」に特化していく。
その動きに、「技術の進歩」が同調し、互いに絡み合うことで、余計に、行き場を失くしていく。
(「どこにでも行ける」筈だったクルマやバイクが、次第にどこへも行きづらくなっていったのに似ている。他にも類例多数だろう。)
そうやって、時代は変わって。
「便利」だけが残った。
「カメラ」が、電話の片隅にひっついた節穴になった今、この本にある意味での写真のニュアンスは、理解されにくいかも知れない。
この楽しみを再現するのは、もう難しいように思うし、「惜しい」とも思う。
撮ってアップして終り、という「使い捨て」から、この感性(愉しみ)を救う手立ては、ないものだろうか。
以前、一回書いたような気がするのだが。
画素は少ないが、感度(レンジ)が広いセンサー。(CFなしの白黒でいい。)
コントラストだけの、簡単な現像ソフト。
薄い象牙色の上質(そうな)紙と、漆黒のトナーの、専用プリンター。
そんなエコシステムを作ってくれる、粋なメーカーはないものか。
(既存のフィルムカメラの資産を流用できる、デジタルパックだと尚良い。背面モニターなど必要ない。フィルムの頃と同様、画像データを持ち帰って、現像できるだけの、最低限の仕組みさえあればいいのだ。)
シンプル、かつ手を入れる余地が大きいほど、趣味として「はまる度合い」は深い。だから、そういうシステムを作ってやれば、この趣味に馴染みがあるオジサマ連中は勿論、若い人にもアピールできるんじゃんないかと思うのだが。
写真は、時間を撮るものだ。
だから、時間とか、経験なんかと同じように、
淀んだり、たゆたったりしながら、
我々の周りを、流れ続ける。
今も、これからも。
そういうものなのだろうと思う。
だから、そこに漂う深みやニュアンスを、やはり、なくして欲しくないなあと。
この、よく書けた文章を読みながら、また感じた。
Amazonはこちら
※ 先週の と違って、ちゃんと写真も載ってますのでね。
文庫版
木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯 (平凡社ライブラリー)
単行本
木村伊兵衛と土門拳―写真とその生涯
コメント
_ 恐妻家 ― 2014/11/26 22:06
_ ombra ― 2014/11/29 09:52
いらっしゃいまし。 <(_ _*)>
FM2にF2ですか。いぶし銀のラインナップですね。いいなー。
それなら、デジタルパック欲しいですよね。一生モンどころの耐久性じゃありませんもんね。(笑)
(ちなみに私も、十数年前のNikonのフィルムがいまだにメイン機です。)
仰るような「フィルム装填タイプ」だと、センサの位置決めが難しいかな・・・
シャッターのチャージのために巻いたら動いちゃったり?
(巻き取られたりしたら笑いますね・・・・有機半導体かいな。)
ライカのようなタイプだと、フィルムライクな形状で押し込む方式がよさそうですね。
Nikonだと、純正のアクセサリーで、データパックでしたか、裏ブタを付け替えるタイプのアタッチメントがあったと思いますが。あんな感じで、簡単に装着できるのが作れそうですよね。背面モニターなんか無くてよくて、撮りっぱのデータをMicro SDかなんかに入れとくだけの単能機で。帰ってから、PCで好きに現像する。そんな、単純&お気軽なシステムでいいんですけどね。
世界中の膨大な数のフィルムカメラを救えるので、結構な数が出る(売れる)と思うのですが。
KodakとかAgfaなんかの亡霊(世界中のカメラメーカーを敵に回しても痛くない人)が、リベンジがらみで作ってくれませんかね・・・
FM2にF2ですか。いぶし銀のラインナップですね。いいなー。
それなら、デジタルパック欲しいですよね。一生モンどころの耐久性じゃありませんもんね。(笑)
(ちなみに私も、十数年前のNikonのフィルムがいまだにメイン機です。)
仰るような「フィルム装填タイプ」だと、センサの位置決めが難しいかな・・・
シャッターのチャージのために巻いたら動いちゃったり?
(巻き取られたりしたら笑いますね・・・・有機半導体かいな。)
ライカのようなタイプだと、フィルムライクな形状で押し込む方式がよさそうですね。
Nikonだと、純正のアクセサリーで、データパックでしたか、裏ブタを付け替えるタイプのアタッチメントがあったと思いますが。あんな感じで、簡単に装着できるのが作れそうですよね。背面モニターなんか無くてよくて、撮りっぱのデータをMicro SDかなんかに入れとくだけの単能機で。帰ってから、PCで好きに現像する。そんな、単純&お気軽なシステムでいいんですけどね。
世界中の膨大な数のフィルムカメラを救えるので、結構な数が出る(売れる)と思うのですが。
KodakとかAgfaなんかの亡霊(世界中のカメラメーカーを敵に回しても痛くない人)が、リベンジがらみで作ってくれませんかね・・・
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フィルムと同じように「装填」できればなお良し。本体とバッテリーはフィルムケース型に押し込んで、ベロのように薄型画像センサーを伸ばして。。。
本当に誰か作ってくれませんかねえ、エ〇ラで儲けた富〇写さん、とか。。。