ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた ― 2020/08/02 06:44
著者は、幼少のみぎりに、セブンの初回放送を見てハマり、特に、最終回でドラマチックに使われたクラシック音楽に衝撃を受けた。それが半ばトラウマとなって、以後、その音楽ソース探しがライフワークになる。
探索は、曲名から始まり、それが何年の誰の演奏なのか、つまり、セブン最終回で使われたトラックそのものを探し当てるまで続けられた。
情報の流通が貧弱だった当時のことだ。運と人づてで、目標に行き当たるまで、数年を要した。探し当てた時には、既に高校生になっていた、とのこと。そうして、その過程で、クラシック音楽がどう作られ、流通し、評価されているかを学び、それを自分がどう感じるのか、つまり「選球眼」を磨くことになる。
まさに、表題そのもののお話。
「セブンマニア、音楽遍歴を語る」
そういう物語だ。
まず、セブンの何がどう衝撃だったのかを丹念に拾い、そこで使われた音楽を、セブンの当時の音楽監督へのインタビューも含め詳らかにし、次いで、クラシック音楽の録音の差異(どこの誰の何年の録音と、こっちの録音はこう違う、といった)などを語っている。
読んでいて感心する一方、音楽の感じ方など人それぞれなんだし余計なお世話だよなあ、などとシラケもしつつ、でも興味は刺激されて、じゃオイラもそのトラックをいっちょう聞いてみようかなっとAmazonで探してみると、なんと、まんま「セブン版」があったりして、一気に冷めたり。(笑) → こちら
それなりに、楽しめた読後感だった。
それにしても、セブンの当時、あれを作り込んだ大人たちの能力と熱意は凄かった。著者の一回り下の世代として、その空気を共有していたことを思い出し、翻って今、それと同種の能力や熱意が、世間から、影も形もなくなっていることに、改めて愕然とした。
Amazonはこちら
私が読んだのは単行本だったが。文庫しか出てこない。
ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた
Kindle版があるけど。単行本に当るのはこれなのか、よくわからない。
ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた
同じ著者による類書もあるようだ。
ウルトラセブン・スコア・リーディング 冬木透の自筆楽譜で読み解くウルトラセブン最終回
アニメーションとライフサイクルの心理学 ― 2020/08/09 06:19
図書館でふと見かけて、試しに借りてみた。「アニメーション」と「ライフサイクル」の組み合わせって何だろう?と思ったのだ。
「ライフサイクル」で想起したのが、まず、「作品」のライフサイクルだ。私のようにモノ作り業界に居ると、製品のライフサイクル設計は常に捲られるスペックの一つで、まずそっちが頭に浮かぶ。アニメーション作品のライフサイクル設計、例えば、この一本はいつまでもてばいい、その次はこうしよう・・・のような、考え方のことかと思ったのだ。
もう一つは、「作中人物」のライフサイクルだ。アニメーション作品の中で、人の一生、誕生、老い、死といったものがどう描かれてきたのか。作中の人生観、死生観は、昔はこうだったが、今はこう変遷した、のようなお話かと想像した。
両方外れた。
作り手が歳を経るに従い、その世代感に従って、作品の様相が変わる。若い頃は勢い勝負だが、やがてピークを過ぎ、中年クライシスで壊れたり逃げたりして、さらに老いるに従い、次第に死を意識するような作風に変わっていく。そういった、作り手側の心理面のお話だった。
著者は心理学の専門家だ。心理学的に、ライフサイクルというのがそういうことを意味するのか、寡聞にして存じないのだが。やはり、そっち側のモノサシがあてがわれていて、この作品のこの場面は心理学的にはこう解釈される、てな感じの、何と言うか、フロイトの夢判断を今さら?という「外した感」に満たれる羽目になった。
作者と一緒に作品も枯れていく。当たり前の話だ。それを研究と言われても。
ライフサイクルは難しい。やり過ぎると、短命の不良品になってしまい評判を落とすし、長持ちし過ぎても、もうトレンドを過ぎたとか、飽きたなんか言われて、まだ動くのに捨てられるだけで、かけたコストが丸っきりムダになる。すり減って捨てられて、でも拾われてレストアされて、第2の人生( or モノ生)を歩めるのは、ほんの一握りの幸運なケースだ。
人間はレストアが効かない。だから、全てこれでいいのだと、私は感じている。
ほらね。やっぱり話がまとまらない。(笑)
Amazonはこちら
アニメーションとライフサイクルの心理学
国宝ロストワールド ― 2020/08/16 06:42
また例のように、どこかの書評で見かけたのだが。もっと大きい本かと思っていた。実物はA5判の小さな本だった。
内容も、題名と違っていた。
要約すると、「国宝を撮った写真の歴史」を紹介した本だ。
写真の技術が確立されたのは、19世紀後半。ほどなく日本にも伝来したが、その当時の、明治の日本は、西洋に追い付け追い越せの真っただ中。古い伝統は捨て去るのがナウいということで、貴重な仏像なども、壊されたり捨てられたりが多かったらしい。
当時の新進の写真家の中に、そういった状況に危機感を持った一群があり、せめて写真だけでも残そうと、寺を回って、撮影をした。
「国宝」といった概念が制度として整備され、仏像が文化財として保護や修復がなされるようになったのは、その後のことだ。
結果として、その当時の写真は、「国宝が修復される前の貴重なオリジナルのお姿」となった。(表題のロストワールドとは、多分そのことだろう。)
今や、これらの写真そのものも貴重ということで、同様に文化財として保護されているものも多いとのことだ。
明治の日本に話を戻すが、その後、写真業は、リッチな外国人観光客向けや、二次大戦中のプロパガンダに駆り出されたり、様々な変遷を経る。戦後になってやっと、本来の芸術性、つまり、自分が何を感じているかに立脚し、それを伝えようとする視点に立ち戻れた。さらに、それを掘り下げる余裕を得るに至った結果、今、我々が「写真史」としてなじみのある世界に至る。
土門拳その他の「古寺巡礼」など、仏像の写真は、今に至るまで数多くが撮られている。それは、仏像が持つ芸術性に写真家が感銘・共感し、それを写し取らんとした、表現者としての生業だ。
そして、今、明治期から続く、これらの古い仏像の写真を改めて眺めると、当時の写真家の意図として、記録であったり、義務感であったりは無論のこと、現代の写真家と同じような、表現者としての眼差しを、やはり感じる。
その流れを一望にする。
なかなか得難い読後感だった。
写真技術の変遷を追えるという、副教材的な読み方もできる。これが、さらに一興だ。
仏像写真の精緻さを読み取るには、少々、小さ過ぎる本なのだが。写真好き、特に「白黒写真をじっくり見る」型の好事家には、ご一読をお勧めできる内容だった。
Amazonはこちら
国宝ロストワールド: 写真家たちがとらえた文化財の記録
暴力と不平等の人類史 ― 2020/08/22 06:47
とにかくブ厚い本だ。本文580頁に文献リスト140頁。普通だったら上下巻に分けるだろう、という分量。
内容は、不平等や格差について歴史的に研究したもので、いろいろな要因、例えば、戦争、革命、改革、成長、技能、疫病、最近では民主主義やグローバリゼーションなどが、不平等にどう影響してきたか、データを解析した結果を、章立てにして詳述している。終盤は、不平等の今後の見通しについて幾つかの可能性をまとめ、少々の提言やモデリングを交えて終わっている。結論はない。研究なので、終わりはないのだ。
この手の本の通例として、「わかったことは全部書く」という姿勢で書かれていて(だからこれだけの量になる)、詳細、または煩雑な印象だ。情報は全て開示し、読者の判断に委ねるのが「親切だ」という方法論だが、全てを一望したい、または調べたい対象が決まっている人には便利な一方、結論とその理由だけを手っ取り早く欲しい人には向かない。
内容の密度は薄いので、私は早々に熟読は諦め、概要の把握に留めた。結果、あくまで個人的な曲解による感想だが、人間が良く書けているように感じた。
人間は、群れを作る動物だ。そこには、上下を含む構造があり、その間を、何か(カネ、モノ、情報など)が、たえず流動している。その構造自体も安定しておらず、構造が変わる度に、流れの方も様子を変える。ただ、大雑把に見た場合、何かが吸い上げられる動き、頂点を目指して、各々が争う、そういうコンスタントな作法があって、それが、構造の骨組みとなるコンセプト(概念)を成している。構造が変化しても、そこだけは崩れない。それは多分、人間の本性を、ある程度表している。
ずいぶん前にも似たようなことを 書いた のだが、富、端的にカネというのは、エントロピーに従わない。フリーに放った時、そいつは、平均化せず、逆に、集約する。多くある所に、勝手に集まる。人間が作った仕組みなので、自然法則には従わない。むしろ、人間によく似た、不条理な動きをする。
本書によると、不平等を作るものは、余剰だそうだ。それは、多くある所に、勝手に集約する。不平等は、自動的に拡大する。体制が崩壊したり、権力者が入れ替わって、集約先が変われば富も動くし、酷い戦争や、疫病でたくさん死んだりすれば、余剰がなくなるので平準化する。単純に、仕組みとして、そうなっている。
つまり、人間は、本質的に不平等なのだ。
何となく、そう思った。
繰り返すが、本書にそう書いてある訳ではなく、私が勝手にそう思っただけである。
Amazonはこちら
暴力と不平等の人類史: 戦争・革命・崩壊・疫病
仕事道楽 新版 ― 2020/08/30 06:44
スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫氏の著者だ。どこかの書評で、仕事のやり方として参考になるとあったので、図書館で借りて読んだ。
この著者の言説は、結構あちこちで見かける。ネット記事もたくさん読んだ。多くはインタビュー記事のようで、宮崎駿や高畑勲ら、クリエイターの代弁者としての話が多かったように思う。
この全共闘世代の突端の仕事ぶりというのは大体決まっていて、自己中だがエネルギーが大きく、閉鎖的な分、持続性も高い。好きなことを延々と、時に爆発的にやり続ける、とそんな感じのが多い。
著者と、高畑らの同僚も、無論、その範疇だ。時代も時代だったから、経緯は紆余曲折で波乱万丈、理想や思想(思惑や理屈とも言う)も絡んで、結構読ませる。ただ、彼らの自己評価、オレはこれがやりたかった、これができたのは幸運だった、そういったものと、世間一般によるそれとは、やはり、大分ズレているようだ。
つまり、実態としては、世間(つまり顧客)とは関係なしに、好き勝手やって来たが、たまたま当たるものがあったから、好き勝手ができる機会にも恵まれた、そういう「サクセスではない、ただのラッキーなストーリー」なのである。まあ、彼らの仕事はクリエーションだから、仕方がないことでもあるのだが。
確かに、彼らの仕事ぶりは楽しそうだ。
だから、俺も楽しかったよなあ、と思い出したい人(たぶん同世代)には、いい本だろう。
しかるに、だからお前らも・・・という説教モードは、避けて頂きたく存ずる。(笑)
スタジオジブリが、まだ存続しているのか、私は知らない。
(辞めるとか、辞めるの止めたとか、そんな報道を目にした気がする。)
業界の裏側の秘話のようなものを知りたい人には、いい本だと思う。
ただ、残念ながら、自分の仕事の参考には、ならないのでありました。
Amazonはこちら
仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場 (岩波新書)
最近のコメント