ヤマハ帝国の崩壊 ― 2020/10/03 08:22
ずいぶん古い本だ。昭和58年の刊。1983年、37年前だ。
当時、ヤマハを告発?解体?を意図した本を出していた著者による、2冊目らしい。
1冊目は、本書でも「前著で書いたが」とポツポツ触れられている内容からすると、「日楽」つまり楽器の方のヤマハの悪辣さに関したものだったようだ。
本書は、「発動機」のヤマハの、特にHY戦争と言われた販売バトルの後処理の時期を書いている。
本書(たぶん前著も)の内容のほとんどは、当時の会長、川上源一の人格攻撃だ。
お話のレベルとしては、会社の上層部を話題にしたタバコ部屋のうわさ話、「ナントカさんはアレなんだよね~」の集大成だ。著者もその辺りは自覚していて、同種の噂話をする連中を「ヤマハ雀」と称していて、自分もその一員であると認めている。
ヤマハはひどい会社だ、川上は厚顔無恥なボンクラで、社員は有能でも意に沿わなければ追い出され、残った上層部はイエスマンばかり。とはいえ、会長お得意の事業の「読み(≒わがまま)」が外れる度に、尻ぬぐいがてら、いいように挿げ替えられるので、残ったとていいこともない。かわいそうなのは現場で汗かく末端社員…というのは日楽も同じかそれ以上・・・
方や、そのヤマハへの当て馬たるホンダの方は、素晴らしく統率が取れた有能な企業として描かれており、隣の芝生として、青々と茂っている。
これを今読むと、まあ当時は事情通として光っていたのかもしれないが、楽器なりバイクなりの技術的な知識と、それを商売として回す事業の知識、市場やコンペ、銀行などの外部環境に関する知識などなど、何と言うか、全体感のようなものの不足を感じる。
ヤマハ発動機の事業の趨勢のお話ではあるのだが、この著者はバイクには乗らないどころか、バイク自体を良く知らない。バイクの場合、カブやスクーターの実用車と、大型エンジンの娯楽車では市場の質がまるで違うが、そういった区別もできていない。当時のヤマハの輸出向けの看板車のXV750ビラーゴを「大型バイクで2ストを採用した珍しい例、ヤマハ伝統の2サイクルエンジンのノウハウを込めた」と書いていたりする。(2サイクルと2気筒を混同しているのかもしれない。)
そんな具合で、読んでいて、首をかしげることは少なくなく、納得感もほとんどなかった。
でもそれは、多分、この本の当時でも同じだったのではなかったろうか。
(端的に、当時の川上の横暴に溜飲を下げたい人にしかウケなかった。)
実態としてのヤマハの川上氏は、多分、「こういうこと、やってみかった」でずっと来てしまった人だ。戦後に企業を大きくした人にはこのタイプが多かったし、今でも、ファウンダーは同じ種類の、無邪気と無鉄砲を併せ持つ例が多い。いいアイデアもあるにはあるが、素っ頓狂や妄言を吐くことの方が、遥かに多いと。そういうものなのだ。
戦後すぐの時期は、バイクに限らず、市場の拡大の方も著しかったから(正確には、スタート時の規模が過度に縮小していたのだが)、商売が粗っぽくても、それなりに伸ばせた。ズルイ、キタナイ、やったもん勝ち、恥知らず上等、ツラの皮は厚い方が良い、手のひらはいくら返しても減らない。そいういう世相だった。成りあがるのに、人格など要らなかったのだ。
それでも、イッパシに成り上がって、資産も地位もノシてきて、さらに歳も取ったとなると、自分自身のメンツばかりが募るようになる。自分の先見の明が、ただの素っ頓狂だったと証明されても、それを認める余裕なんかは、とうの昔に失くしている。そこんとこを慮ってくれる部下を傍に置きたくもなるし、次の崖っぷちを正視するのを避けるようになる。いわゆる老害ってやつだが、そうやって、企業というのは、ピークアウトしていくものだ。その点、著者の話は外れていない。
ただ、ホンダの方も、著者の言うような理想という訳では必ずしもなくて、宗一郎の元に団結した家族的な組織だった青春時代はとうに過ぎて、顧客と技術を道具にした、社内の売り上げ競争に切磋琢磨する、普通の大企業に変貌していた。
末端社員の辛さという意味では、どちらも変わりなかったろう。
辛さの質と、その代償たる待遇には、差はあっただろうけど。
両方とも、辛かったことには変わりないと思う。
バイクの方に目を向けよう。
著者が描く「社内文化」のようなものは、かつては、出てくる製品の良し悪しとは、しばしば、相関を持たなかった。
悪い会社が良い製品を出すこともあるし、優良企業の製品や、高い製品が、良いものだとは限らなかった。(だから、コアなユーザーは、「掘り出し物」を血眼になって探していた。笑)
バイクや楽器のような機械は造りがシンプルだから、単純に、物理の法則で動いていた。出来てしまった製品は、その出来に従って、ただ動くだけなのだ。
製品は、ただのモノだ。そこに罪はなかった。
しかし、その後、電制の登場と、その跋扈に伴い、この限りではなくなった。
モノは、出来/不出来の以前に、電制コードに込められた、作り手の意図に従って、動くようになった。
作り手とて、真面目で正直で有能とは限らない。無能も居れば妥協もある。そういった瑕疵が、時に明確に現れるようになった。
製品は、作り手の罪を、そのまま背負って、世に出るようになったのだ。
「2stのビラーゴ」が、いいバイクだったのかは知らないが。
バイクそのものに関しても、本書は実に箸棒だった。
昔々、「タバコ部屋」があった当時を懐かしがりたいご老体(しかも相当なアンチヤマハ!)にしか、読むに堪えない本だろう。
この本の出版から、37年。
日本は、次の老害の波を迎えているようにも見える。
津波かも知れない。
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ヤマハ帝国の崩壊
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