読書ログ 「ブルーインパルス」 ― 2013/03/02 07:05
「丸」系の、技術の話ではない。
ドキュメンタリー、人を書いた本だ。
パイロットや、その家族、同じ組織に属する人などの、インサイドストーリー。
著者が独自に取材し、一連のお話としてまとめたものだ。
だから、真実かもしれないが、物語でもある。
内容は、おおまかに3つに分けられる。
まず、F86の時代。
自衛隊アクロチームの黎明から立ち上げ、ピークに至るまでの話だ。その象徴はやはり、東京オリンピックの、空中の五輪マークだ。それが出来上がるまでのいきさつから、見た目の華やかさとは違った実像(当日、それを描いたパイロットが二日酔いだったことなど)が披露される。
続いて、T2の時代。
ブルーの行き詰まりと、その顕在化の話だ。メインは、あの「下向き空中開花」の墜落事故である。本書の本題はここにあると言っていい。著者は、足を棒にして、その詳細を描き出そうとする。
そして、T2の後の時代。
ブルーの地位の低下が底を打ち、関係者の努力もあって向上に至る、ある意味、復興の話である。機体がT4に至る背景にも、ある程度、触れられている。
空自の職場には、よくおちる自衛隊石鹸、という自虐ギャグがあるそうだ。
戦闘機のパイロットである。「死を恐れてはいけない」という雰囲気に置かれている。それを背負って飛ぶのが当然と。
他方、戦闘機は、故障や事故でも落ちうる。
落ちだろうと認識しているということと、あからさまな事故で死にましたということは、本質的に別のことのはずなのだが。混同され同一視されて、悪く見れば、何かの隠蔽に一役買っているようでもある。
ゼロ戦は、乗り手を大切にしない飛行機だったと、どこかで読んだ。
それと同根の、古い問題なのかも知れないが。
今、周りを見回せば、事故で人が死なない日はないし、社員を人間扱いしない会社も増えているそうで。似たようなものは、いくらでもあるので。事の本質は、かすんでしまって、よく見えない。
組織がでかい。
カネもかかる。
係わっている人間が組織の内外に渡り、数も多い。
さらに、「お役所」である。
自らの地位や利益、立場のことしか考えていない人間は多いし、それを優先して考えざるをえない立場の人や、それしか能力がない人も居る。
悪く言えば、あちこちで暗躍しているヤツがいるのだが、皆、その身分を保障されてもいる。
その上に、職業なのだ。
私は、好き好んで危険なバイクに乗るという変人なので、「身に危険」には覚えがある。
しかし、その「危険」がこの状況で、しかも職業となると。
いたたまれずに、胃が痛くなる。
さらに。
ブルーの場合、それが戦いでなく、見せ物だ、という所に、また深い断絶がある。
戦闘機乗りとして入隊し鍛えられ、しかし突然、役者に転職を強制される。
しかも、昔は、戻り道が無かったそうだ。
(元の隊には戻れない慣例だったと。最近は改善されたらしいが。)
私の場合、ブルーの記憶で一番印象が強いのは、子供の頃に、TVで繰り返し繰り返し見せられた、あの、下向き空中開花の墜落の映像だ。
あれは何だったのか、とずっと思ってきた。
筆者も同じようだ。
この調査の難しさも承知していて、長い時間を経て、粗方の関係者が職場を去ったタイミングで再調査に及ぶという、周到さと忍耐力を発揮している。
結局は、パイロットが死んでいる以上、その時、彼に何が起こったのか、その刹那に、彼が何を考え、何をしようとしていたのかは知るべくも無い。また、知ったところで、今更どうしようもないということが、改めてわかるだけなのだが。
せめて、拾える材料は全て集めて、考えたい。
その機会と材料を与えてくれる。
だから、これは私にとって、すごく価値がある本だった。
普通の戦闘機乗りは、敵だけ見ていればいい。
しかし、ブルーのパイロットは、観衆の目線という外面と、パイロットの技量と恐怖という内面の、深い断絶の間を飛んでいる。
そこでしか見れない緊張感が伝わるからこそ、目を見張って見つめる観客が絶えないのだろう。
ブルーの演技は、とにかく緻密で厳しいのに、なぜか、優しい。
他国のアクロと見比べると、本当にそう思う。
日本的、とも言えるだろうか。
先週の と同じ、飛行機の本だったわけだが。
今、この青白の機体たちが舞うのを、平和に見上げていられるというのは、本当に、幸せなことなのだ。
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ブルーインパルス
バイクのマンガ 「ライダーズ ラプソディ 広井てつお」 ― 2013/03/03 06:58
先週、なんか疲れたので。
(怒るのは、ムダに疲れる。)
今週は息を抜きます。
本棚にあった、古いマンガだ。
ミスターバイク別冊、1988年5月、定価\280。
この値段で、270ページ余。
実にお買い得であった。
いや、お買い得だからという理由だけでは、本は、本棚には居続けられない。
バイクが居る風景を、上からでも、下からでもなく、
横から目線、対等の目線で、眺めるマンガだ。
ぱっと見、ありがちな、くっさい雰囲気ではあるわけだが。
(以下、クリックで拡大)
一応オチャラケもあって、雰囲気マンガ特有の、夢遊病のような非現実感には、没入しないで済んでいる。
(バイク乗りにとって、現実感は命綱だ。)
(時代感もたっぷりですな。でも、探せば居そうな分かり易さ…。)
「現実感」という背骨が、スッと一本、通っている横で。
ストーリーが、静かに流れていく。
地元の話とか。
(レストアを待ち続ける陸王)
ごく個人的な話題が、かえってリアルさを彫り出す。
北米ツーリング。
乾いた地面を走るわけだが。話の方は、いつも通りの湿気を帯びる。
異文化の大地を走るのに、帰依は必要ないので。
日本車でも十分。
何に乗ったって、道は変わらない。
美しい思い出。
・・・だけでなく、USの実際を、さらっとえぐり出して、見せてもくれる。
(人種が様々。)
バイクマンガにありがちな「伝説」や、
「説教」もあるわけだが。
旧車に女の子を並べるにしても、この程度だし。
(宣伝的にキャッチーな萌え系ではなく。普通に居そうな。)
普通にありそうな「横から目線」なので。
現実感は失われず、安心して、ページをめくれる。
現実感というのは、「身に覚え」だったりもするので。
素直に、辛らつだったりも。
(バイク乗りには、証明が必要なんかな。)
好き者のにおいはプンプンするのに、宣伝くさくない。
この感触は、今はもう、探しても出て来ない気がする。
だから、なくなってしまったのか。
( いいものは、売らんかなの臭いがしない。
だから売れずに、消えて行く。
vice versa. )
全然カンケーないけど。
シンヤさん、マジ若っけーっすよ。(笑)
(当時の、ウエアの広告。) (カドヤのHPによると、なんと、 バトルスーツはまだ手に入る らしい。フルオーダーのみだそうで、AB~BE体のオジサンでも着れますぞ!。)
Amazonですが…
ありません。
作者の名前で検索すれば、似たような短編集はあるようですが。
現状、妙にプレミア化して、「売らんかな」になってしまっているというのは、皮肉ですな。
ちょっと寂しい & 世の中難しい・・・。
クルマの本 「午前零時の自動車評論」 ― 2013/03/09 07:09
図書館で見つけて。読んでみた。
著者によるクルマ関連の記事を集めた本だ。
一般的には、クルマの記事って、スペックや写真を並べただけの通り一遍なものや、メーカーの意向に脚色しただけの大本営発表も、依然として少なくないようだが。反面、こういった辛口の記事も、ある程度、定着したような気がする。
辛口、つまり、自分の思ったことを遠慮せずズケズケ書く人というのは、大体決まっている。それまでの自分の経験(身銭で買って、乗って、維持ってみた過去)が厚かったり、技術的にもよく勉強していたりで、話として面白く、説得力がある記事が多いように思う。
本書の著者も、そういったタイプの物書きとして有名らしい。
本書は、元は有料メールマガジンの記事を、出版向けにPick&おまとめしたものだそうだ。
もともと自由な語り口の人だが、雑誌の記事とは勝手が違って、背負っているもの(編集方針や広告スポンサーの意向など)がないせいか、さらに自由に書けているようだ。
個人的には、以下の話が面白かった。
軽トラの話
確かに、軽トラって、全ての虚飾を廃した、「素のクルマ」に近い存在と言えるかも知れない。とは思うのだが、メーカー別に軽トラを集めて比較して、ここまで語れる人も珍しいと感心した。一番評価が高かった機種は、既に作られておらず、触れることがかなわないのも印象を強くした一因か。(マーケティングスキル)
マセラティ・クアトロポルテの話
ちまちましたこの国の事情には合わない、「私、ホントはスゴイんです」な感じが、後から分かるというのに。 身に覚え が。(笑)
後は、トヨタの悪口と、スイフト試乗記が面白かった。(嫌いなものと好きなものの両端は、筆が乗るものなのだ。)
通読して、二つの印象が残った。
まず、四輪の場合も、実は、優れた「遊びグルマ単能機」を見つけるのは、大変なんだろうなあ、ということ。(小さくて軽くて速い、公道を意識した単純で堅牢な構造の、操縦を楽しむために作り込まれたクルマ。) 実用と遊びの混濁は、バイク業界よりも余程深いし。
もう一つは、こういった記事、自分の経験を元に、本質に近づかんと考え続ける記事というのは、バイク業界ではついぞ見なくなったなあ、ということ。(仕方ないから、自分で書いているのだが。) 見てないだけで、ホントはあるのかな?。
かつては、バイク界でも「濃いい記事」は無くはなかったのだが。大昔の、ネモケンの頃のライダースクラブ、資金に行き詰ってホンダから融資を受けて、メーカーの提灯持ちに成り下がる前の、まだ厚さがあった頃のRC誌くらいしか、思いつかないのだが。
そして、「こういう文を書いて食う」というのがどういうことか。少し、考えてしまった。
裏返すと、読者として、こういう本をカネを出して買うというのは、どういうことか、になる。
私は、趣味&タダで書いているので。その辺は気楽だ。別に、読まれなくてもいい。その意味で、いつも逃げている。
この本も、本棚に置いて、いつでも読みたい類の本ではないので。(新車のインプレなど、時事もので足が早かったりする由。) より、悩みが深いと感じた。
既に何冊か続刊が出ているようだ。一読したいとは思うのだが、図書館には、まだなかった。
数冊は、自分で買おうと思っている。
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午前零時の自動車評論
バイクの本 「バ・イ・ク」 ― 2013/03/10 06:32
以前取り上げた、 「ま・く・ら」という本 の続刊ということだが。
いろいろ、微妙な本だ。
「ま・く・ら」の方は、噺のまくらを活字にしたもので、噺家の軽妙な語り口を本で楽しむという、リズム感を持った稀有な本だったが。本書はまるで違ってしまっている。あの軽妙さは、多少は残っているものの、ほぼ普通の口述筆記の書き物レベルに落ち着いてしまった。「ま・く・ら」の続きを期待すると、間違う。
では、バリバリのバイクの読み物かというと、そうでもない。確かに、バイクにまつわる物語ではあるわけだが、わかりやすく噛み砕いていることもあって、ぱっと見、素人さん向けの入門書ライクに見えなくもない。無論、深い話もあるのだが、そこまでの待ち時間が読めないので、昨今の読み物、トントン拍子だったり論理立てや演出だったりするが、そんな物に慣れている人には、かったるく感じるかも知れない。
1980年代前半の、中年ライダーの体験記である。
いや、いい話なんですよ、ホント。(ちょっと著者風)
でもね、なんかスカッと終わらないというか。しみじみした後に、なにかが、ボヨンと残っちゃう。
いつまでもダラダラ終わらないし、頑張って読んだって、やっぱり、どうもスッキリしない。
ああよかった、面白かった、そういう読後感が無い。
それでいて、ある意味、バイクの真髄をしっかり突いているという。
微妙ですよ、コレは。(やっぱり著者風)
話題を選んで噛み砕いているので、分かり易くはあるのだが。実感というか、あるある!とひざを打つ感じというのは、やっぱり、乗っている人にしか分からないだろうなあと思えるのが、さらに微妙な感じを上塗りする。
これを読んで、バイクに乗りたいと思い始めるニューカマーは、さとい皆様が多い昨今、そうは居ないような気がする。(やっぱり、一部中高年かなあと。)
また、著者の実体験を、いろいろと紹介してくれているのだが、それが、バイクの上達の役に立つかというのも、微妙と思う。(この当時とは、環境が違いすぎる。道路も、教材も。)
だけど、きっとバイク乗りは、これを読んで、つい深くうなずいてしまう。それは、バイクに乗るということが、ある種の真実、現実の厳しさと、人間の間抜けさの対比が作るアイロニーのようなもの、そこを突いていることの証でもある。それを知っているからこそ、苦笑のような表情でもって、思い出すように、読めてしまう。
だから、バイク乗りには、お勧めである。
初めから、順にきっちり読むのではなくて、パラパラめくって、目に付いた所から、そこはかとなく読んで。フフンと笑いながらうなずいて、閉じる。そういう本だと思う。
まあしかし、北海道ツーリングの話題がほとんどなので。今年の夏は北海道か!?、とそんな気になることは請け合いだ。
何だかダラダラ長くって、終わりそうも無いんだが、所々が・・・仕舞には全体が、印象に残る。
で、性懲りも無く、何度も読み直したりする。
確かに、80年代の北海道ツーリングって、こんな感じだったなあと、思い出した。
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バ・イ・ク (講談社文庫)
クルマの本 「福野礼一郎スーパーカーファイル〈2〉」 ― 2013/03/16 07:34
先週の本で思い出した。
この人も、鋭いクルマ評を書く人で、私も以前はよく読んだ。
広告とか提灯持ちとか、ありがちなポジショントークからは別の視点で、結構あけすけに、いろいろなことを書いていた。
何となく、突っ込み隊長的なポジショニングで、その時代時代の裏事情を、わが身を呈してよく知っていた。それが、話のリアルさを裏打ちしているのが、当時は新鮮で、面白かったのだ。
でも、だんだん本心を語らなくなってきて、何となく、奥歯にモノ的な話し方も増えた。
そのうちに、何だか仲間内に閉じた感じになって。つまらなくなってきたな~と思ったら、まともな本が減っていった。雑誌の連載の過去ログ集、しかも対談の会話調を活字にしただけの、内容が薄い本が増えた。最近は、妙に物フェチに寄った少数が残るだけだ。途中で挫折した企画も多い。
何となくだが、自分の興味や好きなことを情熱的に語るスタイルと、ジャーナリストとして言うべきことの乖離が、埋められなくなったようにも見えていた。
業界内のポジションというか立ち位置が、そういうものになってしまったのか。
端的に、こういう記事では食えない、ということか。
雇われ教祖の役に、飽きたのか。
・・・歳、取っただけ?。
今回の本は、図書館を探して、この著者の、新しめの本を探して借りた。
2008年の本で、さして新しくは無いのだが。
読んでみて、驚いた。
見覚えがあった。
一度、読んでいる。
でも、忘れていた。 (印象が薄い)
前半は、今のGT-R(R35)のアセンプリ工程を紹介した記事だ。
一生懸命ホメているのだが。どうにも、提灯持ちな臭いがする。
製造工程を追って、その造りの良さをしきりに誉めているのだが。メーカーは、その必要があるから、やっているだけだろう。(でなければ、同じクオリティを作りこまない、それ以外の市販車全てを糾弾すべき、となってしまう。)
本書で直接見たのかは忘れたが、著者は、このR35 GTRを評して、
「これはゼロ戦ですよ」
と言ったと、どこかで読んだ。
この所、ずっと不景気だし、日の丸印の豪奢なGTRに気持ちが沸くのも、わからんではないのだが。
日本人の魂は、あんなにデブで巨大な、電子制御の塊になった、ということだろうか。
(ISBN 88-85386-52-0)
ふん。
案外、そうかもしれない。
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福野礼一郎スーパーカーファイル〈2〉
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