飛行機の本 「写真集 零戦」 ― 2013/03/23 05:44
先週、巨大な乗用車をゼロ戦と評した評論に 文句を書いた 。
じゃオレ、零戦を知っているのか?というと。
ちゃんと学んだことはなかった。
エンジンは栄、といった程度の知識しかない。
ほいじゃ、いっちょう調べてみよう、と何冊か本を読んだのだが。
諦めました。
例えばだが、私は普段、バイクのことをとやかく書いているが、それは、私が、変なもの、極端なものも含めて、いろんなバイクに乗ってきていて、訊いたり調べたり見に行ったり、払って転んでまた払って、と広範に実地に学んできた下地の故である。だから、それがどういうもの(バイク)なのか、私自身の意見が言える。
だが、飛行機は違う。
実体験といえば、せいぜい、旅客機に何回か乗った程度だ。
二次対戦中のレシプロ機が、「実際の所どうだったか」なんて、判断できない。
零戦の本を書いている連中も、大概はそうだ。
いわば、聞きかじりと書き残しを集大成した、想像に過ぎない。
実際にそれに乗ったパイロットの証言があるじゃないか、と言われるかもしれないが。それは、軍の搭乗員としてとしての彼に、兵器としての零戦が残した記憶であって、飛行機として、機械としての零戦がどうだったのか、の話とは違うことが多い。
幸い、戦後からの(精神的なものも含めた)締め付けが、だいぶ緩んだ昨今では、アクセス可能な情報の量は増えていて、零戦の話なんかを書くのも、便利になってはいると思う。
(先日も、実働の栄の音を聞く機会があった。見逃した人も、YouTubeで見れられる。)
だが、それだけだ。
たまたまそこにあった栄の音が、ああだったどうだった、とそれは言える。 しかし、それが、あの戦争の当時に、栄という存在は何だったのか、その理解へ役に立つのかとは、全く別の話だ。
私が今、アクセス可能な書物をざっと見回した限りの印象だが。巷にある零戦の書籍は、優れた論評と、よくできた想像と、検証不可能な創造が、混在している。
そこへ来て、私には、その区別さえ難しいのだ。
だから、早々に諦めた。
「零戦が何だったか」なんて、私には分からない。
本を読んだ程度で分かった気になるのは、危険だし厭だ。
だから、一般読者の列に並んで、ただ想像するのみである。
想像には、写真が一番いい。
なんと、零戦の写真集がある。
戦時の写真を多数集めた、優れものだ。
当時の雰囲気まで、伝わってくる。
写真で見る、当時の零戦。
質素で無駄が無い、よく言えばシンプル、悪く言えばそっけない外観だが、機能美からもう一つ、突き抜けた魂のひだのような波動が、表皮のたおやかさの奥に波打つのが、透けて見えるような迫力を伝える。
それは、欧米の機械によくあるタイプの、これ見よがしのデモンストレーションや、力任せの自由奔放なんかではなく、存在の芯から漏れ出てくるような、静かで力強いイメージを伴う。
人の操作を得て、生き生きと脈動する「使える機械」の感触を、予感させてやまない。
しかも、そんなポジティブな予感が、憧れや理想といった、妙な断絶を伴わず、親近感を持って感じられる。
紛れも無い、これは、日本のデザインだった、と確かに感じた。
そして、あの当時に、これだけの物を量産して、維持するというのが、どれだけ大変なことだったかも、想像された。
零戦が、兵器として辿った趨勢については、それこそ猛烈な量の情報があるのだが。特攻を含め、様々に込められた色彩が混ざり合って、真相は、私にはよく見えない。
私が知りたいと思ったこと、零戦が、飛行機として、あの当時にどういうレベルにあって、どんな存在だったのかの評価は、さらに難しいだろう。
一つ手がかりと思えるのは、ゼロと他とを実地に比較しえたという意味で、それをTear Down した当時の敵国の評価が、一番的を得ている可能性が高いかも知れない。
できれば、事の白黒含めて、それらを網羅した情報があれば読んでみたい所だが。まだアクセスできていない。
(もしそんな本やURLをご存知ならば、教えて欲しい。)
ただ、先週触れた、あの巨大なGTカーが零戦だという評論は、やっぱり、機械の本質を伝えていない、誉めるにしても恣意的で品がないという意味で、的外れだと改めて感じた。
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写真集 零戦
コメント
_ なお ― 2013/07/15 01:09
_ ombra ― 2013/07/15 06:35
ombraと申します。はじめまして。
貴重はお話を、ありがとうございます。
やはりあれは、大変な時代だったと、改めて感じます。
また、ゼロ戦は、そういった「時代」を、当然のように負わされているのだな、とも感じました。
一般に、ゼロ戦は、そうやっていろんなものを負わされているわけですが、その中には、ゼロの本当とは違う、別のものが混じっているような気がしています。
それと同じようなやり方が、ゼロ戦に限らず、いろんなものに(時に恣意的に)見られる気がして、気になっています。
祖父母の時代の間違いは、直さないといけません。
そうでないと、我々が、孫として生まれてきた甲斐がないです。
そう思って、私は、目を凝らし続けています。
また、お話を聞かせてください。
貴重はお話を、ありがとうございます。
やはりあれは、大変な時代だったと、改めて感じます。
また、ゼロ戦は、そういった「時代」を、当然のように負わされているのだな、とも感じました。
一般に、ゼロ戦は、そうやっていろんなものを負わされているわけですが、その中には、ゼロの本当とは違う、別のものが混じっているような気がしています。
それと同じようなやり方が、ゼロ戦に限らず、いろんなものに(時に恣意的に)見られる気がして、気になっています。
祖父母の時代の間違いは、直さないといけません。
そうでないと、我々が、孫として生まれてきた甲斐がないです。
そう思って、私は、目を凝らし続けています。
また、お話を聞かせてください。
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私の祖父がゼロ戦のパイロットで子供の時から
写真や当時使っていた懐中時計も身近にあって
ゼロ戦にすごいんだというとこから
ただただ親近感がわいていました。
祖父がいうには当時は最強だったとしか。
飛行中は特攻隊でもないのに
いつも500キロ爆弾を積まされていたことや
祖父はそれがいやで勝手に爆弾をおろしてとんでいたこと
飛行訓練中B29の玉が軽く当たったのにきずかず、
あとからめっちゃ殴られたこと
教官に殴られて死んだ友達のこと
昔は当たり前のことだったとか
特攻隊は下手な人から指名されこと
(終戦ちかくなると筑波基地ははほぼみんな特攻隊だったらしいです
基地によるみたいですね)
この時期になると祖父母二人から青春じだいの話をよく聞くので
ゼロ戦がどんな飛行機だったのか見てみたくなります。
まとまりのない文章ですみません。失礼いたしました。