バイクの本 「熱くなるバイクたち―国産車編 」 ― 2013/04/21 05:26
「名車」と呼ばれる、古い国産バイクを取り上げたムック本である。
エイ出版だ。
ombraが、こんな本、買うワケない。
うん。その通り。(笑)
熱いバイク?。 そりゃあね!。
一番熱かったっちゃあ、750ニンジャね!。
夏になると、タンクが熱くて、ニーグリップができないほど。
まあ、あの当時のヨンパツは、みんな同じようなもんで。
GSX-Rなんかも、酷かったあ・・・。
油冷ってね。油で冷えりゃ、苦労しないよね。(笑)
今は、少しはマトモになったんかねえ。
でもパワーは増えてるから。発熱量も増してるはずでね。
いつぞや試乗したMVやBMWは、やっぱり熱かったあ・・・
・・・てなネタで、お茶を濁そうかと思って。
題名借りをしたのだが。
うん。
ネモケンを読んだのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
まあ、あの、独特の緊迫感の、昔のRC誌ではなくて。
リタイアして、緩んじまった後の方、ではあるわけだが。
60年代からの古いバイクの、当時と今の両方を語れる、数少ない
「生き残り」。
一応、それなりには書かれているので。
国産の名車って、どんなだったのか。再考するのも面白いかなと思い。
以下、いくつか拾って、見てみることにする。
初めの記事は、Kawasaki Z1 だ。
ネモケンいわく、
デビュー当時から先進のメカニズムを誇った上に、各部の造りも贅沢だ。速度に従い、重さが安定に収束する、たくましい乗り味は今も健在、と。
満遍なく誉めている。
・・・うん。
あまり面白くないのでスルー。(笑)
次は、CB750。
時系列では、Z1の一つ前。
(Photo by 帆足さん)
ネモケンいわく、
これが出た当時、GPテクノロジーの4気筒って皆はしゃいでいたが、構造からしてGPマシンとはかけ離れていたし、乗ればデカくて鈍重で、捻ればパワーまる出しと、あまり好きなバイクじゃなかった。しかし、ジジイになって円熟した(?)今、あらためて乗ってみると、素直で扱い易く感じたのは新鮮だった、云々。
相変わらず、ネモケンのインプレは、翻訳が必要らしく。
訳すと、
タイヤもフレームもこの当時のレベルなので、本領まで出そうとすると、荒削り(凶暴?)な素地が顔を見せるが。乗り手もバイクも無理をせず、それなりのペースで流すだけならば、「マイルドでスムーズ」で済むよね・・・
確かに、当時は届かぬ夢だった「高性能4気筒車」を、現実に買える範囲に引きずり降ろしたのは、こいつの功績だったと思う。
しかし今、振り返ってみて思うのだが、フィーチャーが、実際にユーザーの楽しみに、どれだけ役立つのかは脇に置いて、その登場のインパクトで持って、商品性を訴求するやり方を、この時、ホンダは、はっきりと意識したのではなかろうか。
以前見たように 、ホンダはこの後も、似たような訴求をたびたび行っている。
そして実際、その効力は、あらたかだ。
昨今でも、「昔、あこがれた」類の、ナナハンだのハーレーだのを買い求めるオッサンが後を絶たないのは、その「インパクト商法」の効力の強さを、証明しているのだろう。
(ルマンI なんかも、この類が多そうだ。もっとも、こっちはメーカー側が図ったわけではないのだが。)
だが、そこに、バイク自体のクオリティが、ついて来るとは限らないのが、悲しいかな現実なのだ。
「名車」と言われる個体たちが、頻繁にオーナーを変える例が多いのは、その「お寒い現実」を証明している。
砂型ケースの手作りクオリティを、「買って、所有する」のが幸せだという意見に、反論するつもりは全くない。本人がよければ、それでいいのだ。
ただ、それを「バイクの価値だ」とするのは、焦点がずれている気がするし、不幸だとも思う。
何せ、バイクなのだから、その価値は、走ってナンボ、のはずなのだ。
走りがいいから、名車のはず。
ところがだ。
以後を読み進んでも、走りの方はあまり誉めてもらえない「名車」が、意外と多いようなのである。
(つづく)
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熱くなるバイクたち―国産車編 (エイムック (116))
1999年刊 定価\1200
10年以上前の本ですので。当然、古本だけです。
副題に「国産車編」とあるが。「輸入車編」は、ないようだ。
読書ログ 「失われた20年」と日本経済―構造的原因と再生への原動力の解明 ― 2013/04/27 05:30
失われた10年が20年に渡らんとする昨今、経済研究も、従来より長期間を扱う必要が生じた、と前書きにある。その通りに、経済低迷の理由を、最新情報(と言っても2012年3月刊なので、1年前だが)も入れて、経済学的な知見をまとめた本である。
経済学の本にありがちなのだが、判断の方向がどちらを向いているのか、よくわからない。
例えば、健全な経済、と言った場合、何をもって健全と言っているのか。
経済学的な理論に合致しているかどうかを基準に置いている場合、理論から乖離した理由はこれで、その原因はここにあるから、脱却の方策はこれだ、という論旨になる。結果、理屈の筋が通ったか、を論じているだけに過ぎず、人々が豊かに、幸せに暮らせるようになるのかはあまり考慮されない、空論になってしまう。
広範、かつ多方面に解析が及ぶほど、論旨は入り組むので、検証も、妥当性の判断も難しくなる。この罠にはまると、平等かつ真摯に論理を積み上げた真面目な本なのか、始めから何らかの結論ありきで、それに合致する論理を集めて組み合わせただけのオレオレ本なのか、判断に苦しむ結果となる。残念なことに、専門分野の学者さんの場合、それを狙ってわざと内容を複雑化させることも、また多い。(難しい/分からない=スゴい、という価値観。)
おツムの弱いワタクシ程度のレベルでは、理論としては合っているのかを追うこと自体が面倒で、論旨をざっと追うだけになってしまった。その程度の読み込みではあるのだが、やはり、結論ありきの方法論で書かれた本ではないかと感じられた。各章の章末に、結論をまとめる試みをされているが、それをざっと眺めただけでも、真新しい内容はほとんどない。大体は、普段感じているのと同じような事か、やるべき所には投資をして、業態を最新型にupdateして行けば、も少し回るんじゃないのか的な予定調和に見えた。
とはいえ、ここだけにしかない、きらっと光る参考点のようなものも、多くはないが散在しているので。一見の価値はあろうかと思うのだが。その割にはちょっとお高いし、読むのも疲れる本だった。
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「失われた20年」と日本経済―構造的原因と再生への原動力の解明
バイクの本 「熱くなるバイクたち―国産車編 」 つづき ― 2013/04/28 05:34
先週 の続きである。
ネモケンいわく、
当時は後発メーカーだったKawasaki が放った、チャレンジ精神あふれる2stの意欲作。タンクの形を初めとして、デザインは当時の先進だった。鋭い加速と、速度が乗ると車体がグニャつく懐かしい乗り味は、今乗ってもニヤリとさせられる・・・。
何年か前だったと思うが、何故か、マッハやKHがブーム(?)になって、高価なレストア車を良く見かけた時期があった。「ギュニ~ン!」とメカニカルな3気筒サウンドと共に、無闇に疾走する勇姿(笑)が見られたものだったが。みんな、あっちゅう間に退場してしまった。乗り手がヤメたのか、機体がイッたのかは分からないが。今となっては、乗るもの維持も、難しい代物だったろうとは察せられる。
なにせね。
「凄いエンジンは乗っけた。後は自分で何とかして。」
オトコや~。(笑)
これを、Kawasaki のチャレンジ精神の象徴、などとホメていいのか?。
個人的には、いいと思うけど。
大人ですから。「双方合意の上」にて。
ニュアンスも、レベルも違うのだが。
悪意は了解済み、ということでは、これも似ていたのかも知れない。
こちらも、数年前に、ちょっとブームになったような気がする。
カブらせたのか、道端でキックキックしている若人を、何度か見かけた。
どこが仕掛けてるのか知らないが。罪作りなことをする。
やっぱり、ブームは瞬間風速で終わったようだが。
いわく、
バイクにありがちな粗野なイメージを払拭しつつ、高性能をアピールすることを標榜した、スマートなデザインと色使い。車体はコンパクトで乗りやすく、今は、エンジンを味わうために乗るのが似合う・・・。
ホンダは、バイクのイメージ向上に、継続的に取り組んできた。
その甲斐あって、これって当時、ちょっとポップでアイビーだったのだよね、きっと。
みんなエキパイの曲線に気を取られて、実はただのシングルカムなことに気付かない?のが、デザインのポイントかな。(笑)
何となく、走らずに仕舞われているイメージがあるバイクなのだが。
案の定、そんなことが本書のコラムにも書いてあって笑った。
(ホントに好きなら、乗るはずなのにね。)
分かりにくいけど。Z400FX。
いわく、
開発時に、限界までしごき倒すカワサキの伝統が効いて、造りは存外にしっかりしている。レースのチューンにも耐えるのは、当時から評判だった。ちょっと重くて大きいが、今乗っても、しっかり&余裕の走りで、使いでがあるバイク・・・。
これって。 訳すと、
「遅い」ってことかな?。
そういえば、昔、音ばっかりで全然前に進まない、気分だけ200m先を行っちまうって、誰かが言ってた。
ホンダの「エキパイ商法」再び。(笑)
でも、今度はホントに、ツインカムです。
GPテクノロジーの証だったはずのツインカムだが。このクラスに実際に降りて来たのは、80年代になってからだった。(私も、今さら驚いた。)
ネモケンいわく、
軽快感あふれるシャープなハンドリングで、慣れるのに時間がかかるほど、と。
そういえば当時、「CBXは真っ直ぐ走らない」と、誰かが言ってた。
教習所で、一本橋で落とされ続けた、恨み節だったのかも知れない。
また、族をやってた同級生は、CBXは機械的に弱くて、エキパイをちょん切ると、すぐエンジンがイカれる、とグチっていたが。
それは、バイクのせいではないと思うぞ!。(笑)
いわく、
ハンスが絵を描いた、ドイツ向けのバイク。だからポジションは大柄。
アウトバーンでの安定性が目標。だからコーナーは苦手。
やっぱりね。このスタイリングだよね。
形だよね、カタチ。
ポイント・オブ・ノータリーン!?。
ちなみに、「刃」は、「は」、やいば、という漢字です。
カタナは「刀」なんだよね、というのも、昔、誰かに教わった・・・。
750ニンジャは、 昔ホムペに書いた通り 、ヘナチョコなバイクだった。
900は乗ったことはないのだが。弱い車体でパワーがあるんだから、痛し痒しだろう。
Z1、FXと、Kawasaki の質実剛健ぶりを誉めていたネモケンも、スタイリングに触れるだけで、乗り味にはスルーしている。
さすがに、形しか誉めようがない、ということなのかしらね。
確か、リバイバルまでして、よく売れたバイクだったと思うが。
外見のデザインとか、映画やマンガの「イメージ商法」が効いたのだろうか。
思うのだが。
ひょっとしてこれは、Kawasaki としては、微妙だったのではないか。
だって、失敗作が売れたのだ。
裏返すと、それまで、彼らが必死に作りこんできた品質が評価されていたわけではなくて、ただ、見た目のカッコよさとか、みんながカッコイ~なんか言ってくれる、エキセントリックな評判とか、そんなものの方が、商品として価値がある、と証明されたことになる。
真面目なエンジニアなら、腐ったろうと思う。
一方、会社の経営側は、「インパクト商法」の効力を、再認識しただろう。
(しかし、その後は空振り続けている所を見ると、これって、狙ってできる類のものではないのだな~と、何となく判るワケだが・・・。)
いわく、
前の型から10年を経て、やっとDOHC化された。全体のスタイルもスマートにまとめられた新世代。安定ベースのハンドリングで、鋭さやアグレッシブさがなかったので、出た当時は不満に感じたが。今乗ると、超・素直なキャラクターで、大きい車体なのに扱い易い。性能レベルは、今でも何の不足もない。エンジンの鼓動を楽しみながら、感性に馴染む走りがいい・・・。
何だか、上のヨンフォアのインプレと、同じに見えるんデスケド。
2st 500のレーサーレプリカを標榜するも、開発の途上で変貌する。メカは複雑化し、車重は増加。結局、レプリカとは言えない代物になったが。加速はそれなり、走りは安定という、一風変わった特性が受けて、特定のユーザーに受け入れられた・・・。
RZシリーズって、「シンプルで軽いのが2stのメリット」ってのが売り言葉だった気がするけど。その、最高峰だったんだよね、これって・・・。
・・・もういいです。 <sigh>
本書には、この他にも、
GT380 (ラムエアヘッド)
FZ750 (前傾ジェネシス)
Z1000R (元祖ライムグリーン・・・て色かよ)
もあるのだが。
割愛する。
以上、傍観した所をまとめると、
・・・まとめようと思ったんだけど。なんか疲れたので。
次回にします。
Amazonはこちら
1999年刊 定価\1200
10年以上前の本ですので。当然、古本だけです。
熱くなるバイクたち―国産車編 (エイムック (116))
ちなみに、「国産車編」とあるが。「輸入車編」はないようだ。
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