読書ログ 「衝動」に支配される世界 ― 2015/07/18 10:23
「我慢しない消費者が世界を食いつくす」
本書の内容は、この刺激的な副題から想像される通りだ。
ネットが使えるようになって、何が一番変わったって、何だかんだ言って「買い物」だと思う。以前は知らなかったものや、知っていても手が届かなかったもの(海外とか)にも、簡単にリーチできるようになった。
他方、「ややっ!」となったものは即ポチっておかないと、すぐに視界から消えたりすることもままあるし、その焦る気持ちを狙って「ホレ買え」とばかりに、いろんなものを目の前に据えられる機会も増えているから、ニュアンスとしては刹那的になっていて、「買ってよかった~」とほっこりする時間というのは、ネットがなかったアナログ時代より、かえって減っている気がする。
そんな所作を延々とやらされ続けているような感じをいだくのは我々だけではなくて、特にUSでは、とんでもなく先鋭化していると。
そして、刹那的に「今だあああ!」を繰り返すやり方というのは、消費者だけではなくて、経営者とか、政策決定とか、社会の中のあらゆるレイヤに拡散していて、それが現代の病根の大きな一つとなっているのではないか、と。
それが、歴史的に、空間的に、どう広がってきたのか、なぜ広がったのか。多方面から検討されている。
そもそも、人間は、あんまり先のことまで考えない。
少なくとも、そういう人の方が多いし、目立ってる。
目先の欲得ずくで動くやり方というのは、自然の中で動物が生きながらえる方法論としては時に正しくもあり、現にトカゲや虫なんかの行動原理としては今でも見られる。その回路は人間の脳にもまだ残っていて、著者は「爬虫類脳」と呼んでいる。(生物学的、脳科学的な用語ではなく、もとはマーケティング用語だそうだ。)そうではない「前頭前皮質くん」なんかも居るんだけど、どうも、立場としては弱いらしい。
欲と二人連れになると、人間は、実にしぶとく、強くなる。
だから、資本主義は強かった。
正確に言うと、共産主義は、欲と歩ける人間を、上層部のごく一部に限ってしまったから、人間の「欲エネルギー」の総量で、既に負けが決まっていた。
クルマが清楚な移動の道具だったのはT型フォードだけで、すぐに自己実現の道具になった。マッチョなクルマに乗っていると、マッチョな気分になれるものだ。(USの人々は、本当にマッチョが大好きだ。) クルマ業界は、毎年、それを狙ってモデルチェンジを繰り返すようになったし、そんなこんなで、今はSUVが流行っている。
「事故の時に死ぬのは向こうね。」←爬虫類脳
それを可能にしたのは、クレジットローンという金融手段だが、次第にそれは、自己膨張を始める。クレジット(信用)自体は、有限なのにもかかわらず、だ。
レーガノミクスによる自由化(規制の撤廃)で、市場は活性化した。欲と二人連れで歩く皆様が、その歩みを加速したのだ。ただ、ルールによる縛りがなくなれば、当然、力の強い者、棒弱無人な者が勝つようになる。そして、構造的に弱い部分から壊れ始めるのは、物理の法則でもある。
会社は、株価を保つためにリストラを繰り返すようになった。株主は、明日の株価が上がりさえすれば、将来的に会社がどうなろうと、知ったことじゃないのだ。それは、ストックオプションを握り締めている、当のCEOも同じこと。
富はどんどん上に集まり、庶民の生活は厳しくなるばかり。でも、文句を言う者は、ベトナム戦争の辺りを境に、ほとんど居なくなった。頑張れば明日は良くなる、そんなアメリカンドリームを無邪気に信じている、というわけでは全くなくて。どうも皆、「購入物による自分探し」に忙しいらしい。
その証拠に、今の若者にカネを稼ぐ方法を尋ねると、ドットコム企業を立ち上げて1週間でGoogleに売るか、ゴールドマンで働いて年寄りからカネを巻き上げる、と来るそうだ。勤労意欲は、死語になった。(日本も似たようなものだ。稼ぐ額と人格が同義語だったりする。)
欲の殻に閉じこもった自分が、利己的に先鋭化していく。
我慢できない、する必要もない。
自己中心的で、容量が小さい。
それは、矮小化でもある。
(先日の、USの茶会党の言動の不寛容さは印象的だった。)
昔は違った。
皆、もっとコミュニティに対して仕事をしていた。
あのUSにさえ、「村の論理」があったのだ。
失った今になって思えば、それは、集団の存続と、個人の能力発揮の機会の双方を極大化する、最適化の絶妙な成果でもあった。今、辛いのを我慢して頑張れば、村は、会社は、国は、良くなって行くし、そうなれば、私がやれることも増える。
我々はそれを、無邪気に壊した。
村社会を抜け出すことは、かつての若者にとってクールだったのだ。
(それなのに今、SNSなんかで「つながり」を懸命につぐもうとしているのは、どこか滑稽でもある。)
かつてのコミュニティを、セーフティネットごと壊して、デジタルドットコムがそれを手助けして、皆して、小さい回し車をくるくる回してるハムスターのような、ちんけな世の中になって。
今、我々の胸にある名札(アイデンティティ)の姓名の横には、3年4組とか、何県何村とか、日本国とかある代わりに、一言、消費者、と書いてある。
私見だが、利己的な先鋭化という意味では、合衆国だけでなく、大陸側の隣国たちも、いい線行っているように思う。
我々日本人は、ただそれを追うだけ、なのだろうかね。
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