◆ (単行本) 月着陸船開発物語 ― 2023/06/04 06:19
1960年代のアポロプロジェクトで、月着陸船の設計開発に関わった技術者による手記だ。
各種の書評で高評価だったので、購入して読んでみた。
人類が月に降り立ったのは、あのアポロの時が最初で最後だ。
その当時、まだ幼児だった私は、一般人の熱狂ぶりを知らないのだが。本書からは、その辺りも含めた、市井の雰囲気も伝わってくる。
ケネディ大統領にアポロ計画の推進を決心させたのは、民衆の熱狂的な支持だった、とある。この後、アメリカはベトナム戦争に向かうが…という例がここで適切かは置くとして、今とはまた違った混沌と混迷の気分が、この当時にもあった。その妙にどんよりした雰囲気の中で、人類の月到達というアポロ計画は、米国人が、自分たちはまだ偉大なことを達成できる、その能力があるのだ、という希望と期待を持たせるに十分な、きらびやかなインパクトがあった。
新機軸の確立には、民衆の支持が要る。
アポロ計画には、それがあった。
だから、踏み出せた。
本書によると、その開発は、以下の体制・分担で行われたとある。
ノースアメリカン社
司令船、支援船、宇宙船全般統合を担当。リーダー格。
グラマン社
月着陸船を担当。(システムはRCA社など外部を適宜使用。)
MIT
誘導や航法装置を担当。
GE
品質管理や設計データ管理システムなどを担当。
無論、発注者であるNASAが、ほぼ常駐の形で、各社の管理、監督、監視と指導に当たる。(上記メーカーからすると、「完璧な発注者能力を備える厄介な顧客」だ。)
本書は、上記のうち、グラマン社の月着陸船の設計開発の主担当者による、その工程の詳細な記録だ。
技術者の手記なので、お話が細かい。正確を期しているのだ。字数が多くて読みにくく、本当に読んでいて疲れるが、情報に漏れがなく、緻密だ。この手の本でありがちな、詳細は機密なので書けない/面倒なので書かないことによる、誤魔化されている感じはほとんどない。読むのに胆力は要るものの、情報を拾うことの意義は保証済みなので、安心して、淡々と読み続けられる。
契約コンペから始まって、事がどんな思想で、体制で、工程で、順序・スケジュールで進み、どんなトラブルが発生し、どう解決されたか。淡々と、しかし緊迫感を持って、綴られている。
長くてかったるい話でもあるのだが、半ばまで読み進めてしまうと、続きが気になって、離れることができなくなる。
そうやって、月面到達のクライマックスから、その後に続く一連の打ち上げに至るフィナーレまで、離れずに読み続けることになる。
60年代の宇宙開発とは、どういうものだったか。
まず、時代はICという電子デバイスの創成期だった。電子基板はもとより、それを用いた「システム」という概念も、端緒に着いたばかりだった。つまり、今では与件ともいえる設計監理インフラの開発と整備から、同時並行して行われる。
例えば、当時はまだ紙の図面の時代だった。手書きの機械図面を製造現場に出図して初めて、モノが形になる。なのだが、これだけのプロジェクトとなると、図面の数も膨大で、情報量も膨れ上がる。後工程である製造部門には、どこが製造のキモか、どういった順番で造るべきか、といった細かい情報が必要なのだが、そういった情報共有・意思疎通そのものが困難になる。これを解決すべく、図面システムを組んで、情報を滞りなく流す。つまり、業務の改革と整理と浸透を、並行して行うわけだ。
扱うのが、未経験・最先端の分野であったことも、実に大きな影響があった。問題や課題に対して、何をどうすれば解決できるのか、知識を持っている人材は探せばいるのだが、SNSなどない当時、人づてで探さねばならない。技術的に適任だとしても、組織やポストに適するかはまた別の話だ。この辺り、どうも米国型の組織作り(と私は勝手に呼んでいるのだが)が効いていて、チームワークを標榜するのは当然で、実は個人間の信頼や親密度に依拠した「米国型の村社会」を編む作業を、著者は行っている。なので、新しく登場する人物は、外見の特徴から思想や性格、業務上の実績を含むバックグラウンドまで詳細に記述されていて、その人となりを読者が想像・把握できるよう配慮されている。基本、評価のKPI はチームへの貢献度だが、単純な能力主義では決してなく、「よき友人」であることが求められる。ある程度、プライベートを開示したり、時には犠牲にすることも普通に求められた、前時代的な雰囲気だった。
今も昔も、組織の円滑な運用を妨げるのは、情報(流通)の不足である。説明が足りなかった、理解できてなかった…。これを避ける最も直接的な手立ては、今も昔も、人脈だ。その意味では、この米国式の村社会は機能していたし、正しかった。しかしその副作用は、人海戦術に陥りがち、という形で表出する。
プロジェクトに関わる人数は、自社のみならず、関連企業や外注業者、NASAまで含めれば、膨大な数に及ぶ。さらに、作業の進捗に従い、必要とされる組織の能力や規模が変わるから、組織の改革や追加も都度、必要になる。組織作りにかかる工数は並大抵ではなかったことが、本書からは伺われる。(人事関連の業務も技術者が主導していたということにも驚くが。今ほどHR関連が利権化していなかったようだ。)
ワンオフ開発だったことも大きい。未経験の分野だから、課題も問題も初物であることは当然なのだが、得られた結果は、プロジェクト内で信頼性をもって再現される方向でこなされるのが主で、次のプロダクトへの応用を鑑みて要素レベルにブレークダウンしたり、コストに最大限に反映すべくQA含めて再検討に付されるようなことはない。現代のハードウエアエンジニアが携わるのは、普通は量産開発で、そこでコストを回収すべく当初から考慮する所から始めるのが常なのだが、ワンオフ開発ではそのようなことはない。開発途上で発生したコストは、単純に積み上がって、見積金額に跳ね返るだけなのだ。そんなのは言われれば当たり前なのだが、現代のハードエンジニアでもある私には、妙に異質、というか奇異に感じられた。
ただ、当時の設計開発というのは、ある程度は同じような雰囲気で来ていたようだ。例えば、大戦前後の軍用機の開発などは、前人未到の性能を常に要求されるし、トータルで何機製造されるかは、開発時には決まっていなかったりする。情勢は常に動いており、例えば戦争が起きた後になって、軍が前言(≒要求仕様)を翻すことは当然のようにあった。試作機だけで終わるかもしれないし、逆に、世界中に配備される大ヒット機になるかもしれない(大変なレアケースだが)。
その意味で、本書の舞台であるグラマン社は、同種の仕事に慣れていたのだろう。
まずは、設計の仕事から。
性能、機能
重量
安全性、信頼性
整備性 ←大概最後に回される(泣)
コスト
製造性
進行途上での仕様変更や追加は普通で、全体が決まるまで紆余曲折を経るが。そんなのは、ほんの序盤だ。
設計→製造の谷については上でも書いたが、プロダクトが完成しても、信頼性テストで盛大に問題が見つかり、NASAから試験のやり方にまで翻って大掛かりなご指導(てか「手入れ」)をいただいて、また図面からやり直しになったりする。事は信頼性のみならず、重量低減や、バッテリーなど細部の要素技術にも及ぶので、対応にはシャレにならない時間と工数がかかる。
1号機をNASAに納入した後も、信頼性の再試験で何故か壊れたりと散々だった。ちなみに、試験内容は納入前と同じで、NASAと協議して決定した仕様そのままだ。(自社工場でテスト合格→納入後に客先で再テストで壊れた、という「初号機あるある」。)
まあ、ある程度は予想通りのデスマーチではあるのだが。根本的に、扱う項目が全て新規であること、つまりプロジェクトの進行そのものが「創造」であるという、辛く楽しい作業であったことに依るのだと思う。初物が動かないのは当たり前だ。しかし、明けない夜はない。「芋づる」と「しらみつぶし」の果てしない戦いの後に、それがワークし始めた時の喜びは、当事者にしか味わえない。
アポロ1号(月着陸船ではなく打ち上げロケット本体の方)の悲惨な火災事故など、困難な紆余曲折は、他にもあった。しかし、そこから貴重なフィードバックを得つつ、乗り越えつして、アポロプロジェクト全体が、次第に形を帯びてくる。
月着陸船の開発フェーズも、モノをどう造るかの次の段階、全体の運用の中でどう使いこなすか、に移って行く。全体の運航計画、どう打ち上げてどんな軌道で月に到達し、どう月面に降りて、何を調査し、帰還はどのような手順を踏むか。その中で、月着陸船は、司令船や支援船には、改善の余地はないか、フィッティングは最善か、万が一の事態が生じた時にも対応可能な余裕はあるか。そういった、全体を見据えた作業に移って行く。
この辺りで、お話の様相が変わってくる。作業の内容が、設計製造から、実運用、つまり「実際に飛ばしてみる」ことにシフトするのだ。図面やモノを前にした地上での息苦しい作業から、実際に宇宙を飛ぶその着陸船を、遥か空の向こうに見上げる。そういうフェーズに入って行く。
無人機によるテスト飛行から始まって、周回軌道への投入、有人飛行による運用・確認といった段階を経る。その過程で、新たな緊張感と期待感が高まって行くのだが、そのピークは無論のこと、実際の月着陸だ。
著者を始めとした関係者は無論、一般の観衆も、その瞬間を、固唾を呑んで見守る。
ご存じのように、その偉業は、アポロ11号で達成される。
この瞬間の著者の感慨、NASAの歓喜、一般観衆の熱狂は、後進のわれわれには、にわかには想像できない。
ちなみに、最初に月に降り立った船は、月着陸船の5号機だった。(それ以前の機体は、上記のテスト運用に供されて消失している。)
その後アポロ計画は、月面調査のアイテムを増やしつつ繰り返される。
あの悪夢だったアポロ13号を経ても、それは実行され、最終的に、アポロ17号で終わる。トータル12年にわたるプロジェクトとなった。
この「繰り返し」というのがある意味曲者で、一般大衆の興味は、急速にしぼんで行く。月に行くことが、真新しくなくなったのだ。アポロ計画の目的が、「月に行くこと」そのものよりも、各種の科学調査に移って行ったことの影響もあったろう。(これこれの分析結果は、量子物理学のナントカ説を裏付けるものなんですねえ、のような「成果」は、一般大衆の熱狂は呼ばない。)
アポロ計画の実行を始めに決定させた大きな要因は、大衆の支持だった、と冒頭に書いた。そこが大きく毀損するに従い、アポロ計画そのものの価値も、しぼんで行った。
アポロ終盤の一連の調査の結果、宇宙飛行そのものや、次なる調査の問題・課題も明らかになった。そうして、宇宙開発は、次のスペースシャトルへとフェーズが移って行く。
著者のグラマンチームも、無論のこと、その受注に動くのだが。結果的に、失注に至っている。著者は、その原因分析を行いつつ、アポロ計画全体を感慨深げに振り返って、本書を終えている。
その著者の感慨は、この大変な作業を経てきたことの果実だ。同様に、この大変な文章をこなしてきた読者も、いわばずっと付き添ってきたようなものなので、そのエッセンスを共有できる。
本書の醍醐味である。
たぶん本書は、技術職に携わる人の方が楽しめる(≒身につまされる)。しかし、何にせよ仕事というものの本質が、課題や問題に立ち向かいながら、何かしら物事を作り上げ達成することにあるわけで、技術職に関わらず、多くの人が共感を持って読める書だと思う。
21世紀も20余年を経た今、開発というものの方向性や目的感が、かつてよりボヤけて見えるのは、私のような老人だけかも知れないのだが。開発(≒創造)が、まだシンプルで、輪郭がハッキリしていた頃の話をつぶさに読んでみるのも、よい読書体験になる。本書はその証だ。
万人におススメしたい本である。
Amazonはこちら
月着陸船開発物語 単行本 – 2019/2/1
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://mcbooks.asablo.jp/blog/2023/06/04/9591774/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。