読書ログ 歯車損傷図鑑 ― 2017/01/08 06:16
今年初めのエントリーですので。
濃ゆいので行きましょうかね。
本書は、日本機械学会による「壊れた歯車の写真集」だ。
無論、「なぜそういう壊れ方をしたのか」の解説もある。
いわく、「損傷の名称や原因を調べるための図鑑」であると。
2006年の刊と古い本だが、内容は古びようがないので。十分に読める。
ちなみに、そういう内容なんだから、改定の心配もなくロングテールで売れそうなものなのだが。版元にその気は全くないようで、「初版のみ売り切って終り」だったらしい。既に絶版扱いで、古本すら見当たらない。紙質はあまり良くないがオールカラーで単価も少々高いから、在庫を避けたのかもしれない。あるいは、機械学会が、かつてのお役所体質のままなのか。(私も、高圧的かつ融通がきかない姿勢に辟易した、遠い思い出がある。)
つまりこれは、我々一般人にとって、図書館で見つけたら借りて読むのが正しいと、そういう本である。
だが、これがなかなか面白い。
古いバイクを手に入れて「開けて」みると、こういう光景をよく目にする。
いつもは、自己流で原因を推定して終りなのだが。
たまには「おさらい」をしてみるのもいいだろう。
正常な歯面の磨耗。巷に言う「当たりが出る」とは、こんな感じか。
歯面の「腐食」の例。油が切れた場合は無論、油に浸かっていても、油面から上に出ている部分なんかが、しばらく使っていないと表面が錆びて、こんな感じになったりする。で、久しぶりに動かして、ギヤが「ヒューン」とか鳴いて、「何だよイタ車は品質悪いな」となったりする。違うって。前のオーナーの管理が悪かっただけ。
こういうヒビは、昔は蛍光液なんかを使って見たけど(液がヒビに染みて見えるようになる)。最近は、デジタル画像解析で分かるらしい。
ウオームギヤのトラブルの例。「歯面の滑りが大きく接触圧が高いと、すべり方向と直角に、等間隔に亀裂が出やすい」のだそうだ。ふーん・・・。
異物が混入して歯面に噛んで引っかき傷を作った例。黒く見える部分が損傷部。浸炭や熱処理などの歯面表面の硬い加工面が、これによって失せてしまうと、傷がどんどん広がったりもするので。結構怖い。
潤滑不良で表面が荒れた例。オイル管理が悪いと(オイルの質が悪い、量が少ないなど)、こんな感じで歯面がめくれたりする。
潤滑不良で、かつ異物を噛みこんだ例。異物は外部からの混入物とは限らず、例えば、別の理由でギヤの一部が欠けて、それが噛みこんで被害を広げる場合だってある。しかし痛そうだ・・・。
歯面が溶解した極端な例。潤滑不良などで歯面が直接接触することで発熱し溶解に至ったと推測される、けど詳しい原因は不明だそうだ。かなり酷い損傷だ。
ギヤが磨耗した例。てか減り過ぎ。(笑)
ちなみに、よくできた設計の場合、かみ合う二つのギヤは材質に差がつけてあって、どちらかが一方的に減るようになっていたりする。この場合、減る方(外し易い方や、小さくて安い方だったりする)だけを定期交換すれば足りるので、メンテの手間や金額が少なくて済むのだ。なんでココばっかり減るんだ、設計が悪い!などと早合点しないよう、良く見るようにしたい。
以上は全て、「材料が鉄で潤滑あり」の場合だが、アルミや樹脂(プラやテフロンなど)はまた違う壊れ方をするし、真空中などで潤滑ができない場合(歯面に表面処理をしたりする)は、また話が違ってくる。
そんなこんなで、ふーん、へー、を連発しながら、いろいろと勉強になったのだが。
私のようなアマチュアだから、「ふーん」で済むのだ。
プロとなると、そうは行かない。
例えばバイクを「開けて」みて、目の当たりにする上記のような有様から、的確に原因を見つけて対処せねばならない。だけではなく、もし整備の履歴がハッキリしている機体なら、その原因は、自分が作ったものかもしれない。その辺まで真摯に掘り返して追求する真面目さが絶対に必要なのだ。我が身すら疑う厳しさが無いと、成長すら覚束ない。
「このオイルがいいですよ」といった一見軽いコメントも同じで、本来なら、そのオイルを使って整備してきた数々の機体が、長期間、上記のような凄惨な目に合わずに済んでいるという「結果」や、少なくとも、そのオイルの方が磨耗や損傷が少ないという「確認」といったような、経験の裏打ちがあるはずだのだ。
ところが残念ながら真相は逆で、そんな裏打ちなんか全く抜きで、ただの儲け代としてテキトーにオイルを勧めるだけのような薄っぺらい業界人ばっかりだから、我々のような好事家が苦労しているんだけどね!
本書は、正月休みに、つらつら読もうと思って借りたのだが。年末年始の行事に押されて、それ所じゃなくて。結局、さほど熟読はできずに、貸し出し期限が来てしまった。またそのうちに借りよう・・・。
今や完全に絶版で、ぜひ皆様もと、気軽にお勧めできないのが残念だ。
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歯車損傷図鑑
丸善の発行で税別¥7619。
やっぱり、仕事がらみでもないと買わない値段ですな。
読書ログ 人と「機械」をつなぐデザイン ― 2017/01/14 06:17
最近、メディアを眺めていて、デザイン志向?思考?というような単語が目についていた。
そこでの「デザイン」とは、外見をカッコよく作ること、という通常の意味のみならず、もっと広い意味のようだった。
どうも、ビジネスのあらゆる場面で、社内での各種の工程から、果てはユーザーの経験に至る有形無形まで、その全てのものを「うまく作る」と、そんな意味らしかった。
「らしかった」だけで、実は、私もよくわかっていない。(笑)
巷で目にする記事なんかを読んでも、書いている方も分かってないんじゃないか?というボヤケたものが結構あって、一向に理解が進まなかった。どうしてくれようか・・・とそんな背景が、図書館の棚で本書に目を留めた一因だったように思う。
本書は、オムロンの人文社会系シンクタンクと、東大の情報系の大学院が共同で行った研究を元に、人と機械の理想的な調和について、まとめたものだそうだ。
ここでの「機械」は、歯車とピストンでできている、狭義の機械に留まらず、コンピュータ電子系のプロダクトやソフトウエアまで、かなりの範囲を含んでいる。本書では、そういった多用な分野の専門家や研究者が雑多な議論を戦わせており、内容が散らかっても仕方がないとも思われるのだが、それなりに読ませる内容だった。
「人馬一体感、機械による身体の境界の拡張」
むっ、これは捨て置けない。 てか、他人事でない。(笑)
コミュニケーションという言葉には「双方向」の意味を含む。つまり、「デザイン」をどう伝えるか、どう分かりやすく話すか、をも意味する。「双方向」の向こう側、人々の本当のニーズを汲み上げるには、その懐に、かなり深く入り込むか、今までにはない入り口を探す必要がある。
T型を作り上げたかつてのフォードは、人々が欲しがる「速い馬車」ではなく、「自動車」を作って、イノベーションを起こした。真のニーズは、表層からは分からない。
施設のお婆さんに、良かれと思って作った「健康管理システム」が、全くの不評だった。あたりまえだ。お婆さんは、自分が、加齢のために健康を損なっており、その度合いが日々進んでおり、その流れに抗う術がないことを、もう十分に知っていた。
いや、その「システム」を作ったエンジニアだって、知っていたはずなのだ。でも、表面(おもてづら)を保つために、自分にもユーザーにも通じないウソを、そうと知りながらつく、そういう仕事をした。それは、よくある、ありすぎる、許されない、間違いだ。
エンジニアたちは、お婆さん達の真のニーズに切り込むべく、より深いヒアリングを行った。その結果、「病気の検知」ではなく、「お婆さんぽい姿勢」という、意外なキーを探り当てた。お婆さん達は、気が緩むと、年寄りぽく背が丸まるのを自覚しており、それを嫌悪していたのだ。「お婆さんぽい姿勢」を検知するアプリは、大好評を博した。それは、「 望む自分になる助け 」になった。
街と人間の係わりについての話もある。人間が街を認識するあり方として、そこを歩いて、どう感じるかのファクターが小さくない。それを「ウオーカビリティ」として、相対する人間側への影響度として「BMI」に注目し、都市環境の一例として評価・解析した研究だ。こと日本の都市は、実際に歩いてみると、全くのクルマ優先で、歩行者のことなんかまるで考えてないと感じさせる造りがほとんどだから、これは少々考えさせられた。いや、寒さで出不精になり丸さを増している我が身を鑑みると、住むだけで健康に痩せられる街があるのなら、私も住むにやぶさかではない。(笑)
デジタル技術にも話は及ぶ。ICTの普及が、人間と文章の関わりを変えてしまっている。押し寄せる多量のテキストは、「リテラシー」の意味を変えてしまった。文章をたくさん読むと、読み方は浅くなる。つまり、「伝えたい」と書き連ねた長いテキストは、「伝わらない」方向に作用してしまう。伝達が深さを帯びるには、他の要素が要るのだ。少なくとも、「伝え手」でありたいと思う人は、それを自覚しないといけない。そういう時代になっているのだと。
3Dプリンターの話も面白かった。我々は、まだその装置の実力を、使いこなせていない。誰かが与えてくれた「仕様」をコピーするだけなら、誰でもできる。そうではなくて、「作成」そのものを、作り手がコントロールすることに、真の意義があると。ただ「試作」するのではなく、作りながら、変えていく。その「探索」のプロセスを、作り手自信が、自分の意思で進める事で、もの造りは、脱皮できるのではないかと、そんなことが書かれている。
さらに、「地元ならではの材料」と、3Dプリンターが組み合わることの可能性や、例えば、途上国の田舎などで、今までは、ローカル手作りで何とかしていたものに、ICTと3Dプリンタがリーチした結果、起きるだろう「化学反応」の話や、3D「料理」の話などは、なかなか刺激的だった。
最終的に、いや、必然的に?人間とは何か、の方に話が向く。我々が自覚しない、自分を探す。我々は、自分をわかっていない。何が欲しいのか。何が必要なのか。
役に立つロボットは、能力だけではない、のような話も出てくる。
( 弱いロボット 的な話。)
他にも、プリミティブな機械モノとして、義足のフィッティングの辺りの話も出てくる。
最近は「機械」と言うと、クルマだって何だって電子制御の話ばかりだが、そうではない、まだまだやれる仕事がありそうで、ずいぶん昔に感じたワクワク感を少しだけ思い出した、楽しい読後感だった。
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人と「機械」をつなぐデザイン
読書ログ デザイン戦略の教科書 ― 2017/01/15 06:48
前回 に続いて、今風の「デザイン」を扱った本である。
東京理科大の、社会人大学院の先生による教科書らしい。
教科書だけに、「デザイン」が今の意味にいたる変遷というか歴史と、それらがどういう経緯で今に至るのかのバリエーションの両方が、キッチリまとまっている。
これは、凄いことだ。
世間では、「デザイン」という言葉の意味からして統一されておらずとっ散らかっているのに、その経緯からまとめようとすれば、さらに散らかりそうなのは目に見えている。
それを、ちゃんと系統だてて説明して、統一感まで出しているのだから、大した手腕だ。
そういう本なので、結果として、世にある「デザイン論」の用語集としても使える。例えば、
SWOT分析とは?
ブルーオーシャン戦略って?
IDEOって誰?
最近は、デザイン志向に絡めたビジネス論も多いから、その辺りを読み解く副読本としても、かなり役に立つだろう。(その目的で書かれた本とも言えるが。)
本の後半は、主に知財権の話になって、そっちの専門でない皆様は退屈しかねないが。総じて、フンフンと読めて、ためになる。なかなか良くできた教科書だと思った。
惜しむらくは、本書、既に絶版で、古本が安くない。
本書を教科書に使っていたと思しき理科大の大学院は、今、HPを覗くと、来年度から統合・縮小だそうで、きっと学生が集まらないのだろう。
知識としてレベルが高いとか優れているという尺度と、先見の明とか実益があるか、ぶっちゃけ「儲かるか」の確度とは、あまり関連がないのだろうなあと。そんな「学問の切なさ」を感じさせる、ちょっと切ない読後感ではあった。
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デザイン戦略の教科書
読書ログ 僕流その日暮らし―世界一周ライダーのめげない人生術 ― 2017/01/21 07:24
日本一周とか世界一周の類の、まとまった長距離ツーリングというのは、バイク乗りとしては、ちょっと憧れたりはするんだけど。実は、やっている人は、思ったよりたくさんいる。
普通のツーリングでも、要所々々では「日本一周中」ののぼりを掲げているような人は結構見かけるし、「日本一周記」の類の書籍も、Amazon辺りで検索すると、えらい数が出てくる。
日本一周と言っても、内情はピンキリで、もし海岸から内陸まで日本国中をくまなく回ろうとすれば、それはもう大変な手間で、例えば何かの調査のような「仕事」とか、それこそ 賀曽利御大 でもなければ不可能だ。だから普通は、海岸線をくるっと回るだけだったりするし、その場合、 バイクで強行軍なら一ヶ月かからなかったり する。
ということは、「日本一周」できるかどうかは、それ相応のヒマとカネを割けられるか?という甲斐性が主なファクターになる。日本じゃなくて、世界一周となったって、財布がブ厚い皆様にとっては、大した手間ではないというのは、やはり 過去に見てきた例 の通りだ。
カネヒマの話となれば、つまるところ、「ナントカ一周」のそれ自体は、特別な所業ではない。それが特定の意義を帯びるのは、どう一周したかのプロセスや、その後の経験の活かし方などの方に、かかってくるのだろうと思う。
そんなわけで、そういった「一周記」をモノした皆様の「その後」について、知りたいと思っていた。ぶっちゃけ、「ナントカ一周」したからって、その後もそれで食えるワケじゃなかろうことは想像がつく。
でも普通、「ナントカ一周」した皆様は、その後については書いてはくれない。だから、本書は、とても珍しい本だ。
ただ、読後感は、「やっぱりな」を超えなかった。
こんなことをやってきました!こんなお知り合いができまして、その後もお付き合いしてます!楽しかったり面白かったりしてます!それは、世界一周をしてきた、その経験の故です!!
まあ、その通りなのだろう。
(そのお話の詳細は、何だか、自分が何をやったかより、他人に何をやらせたかを成果として見せたがっているようにも感じて、ナンダカナ~だったりもするのだが。今は置いて。)
でも、その重さと言うか価値というか、「ナントカ一周」の経験のない我々と、果たして、そう大きく変るもんなのかなと。
同じような期間(年齢)を生きてきた人間にとって、会えた人の人数、付き合いの深さ、学んだ教訓、そんなものって、まあ数値としては計りようがないのだけど、感覚的には、大して変わらないんじゃないだろうか。
生きていくことの目的が、何らかの「楽しみ」なのだとしたら、その「楽しみ」のために、経験をどう使うか、その「応用力」の方が要はキモなのであって、それさえ弁えていれば、「ナントカ一周」のような一里塚は、必ずしも要らないのではないか。そうも思えてくる。
というのはつまり、やっと?達成したその「ナントカ一周」が、人生を「楽しく」つまり有意義に過ごせるかとはさほど関係ないと、そういう、面白くもない(予想可能な)結論、または現実、になりもする。
(まあ実際、何かの必要に迫られてやるようなことではないだろうから、「それでいい」のではあるけれど。)
だから、本書は、確かに珍しいのだが、結局は「ふーん、そうなのか、凄っげー(かも)な!」と面白がって、ハタと閉じる。そういった、「ナントカ一周」の紀行文と同じような読み方しかない。のかもしれないなと。
片や、既に「ナントカ一周」をするほどの気概は、とっくに失せてしまった老いた私ができる事と言えば、この著者がふと書いている、世界の平和を祈ること、その位のものなのだろうと、ぼんやりと感じた。
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僕流その日暮らし―世界一周ライダーのめげない人生術 (人生と仕事のサプリ)!
読書ログ 行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 ― 2017/01/22 08:02
前回の本 を探していて、目に付いたので読んでみた。
私は自転車も好きでよく乗るが(てか冬場の通勤はカブじゃなくて自転車が多い)、自転車の旅行記は、まともに読んだことがない。ちょっと読んでみようか・・・と試しに借りたのだが。かなり面白かった。
ずいぶん前の話だが、自転車競技をやっている知り合いが、スポーツは道具が無いほど面白い、のようなことを言っていて、なるほどと思った記憶がある。彼は以前は陸上をやっていて、身体の故障を期に自転車に転向したのだが、自転車は道具が介在する分、スポーツとしての面白さが減ると。
そうかも知れない。
身体と道具の割合を考えると、バイクは道具が占める割合が相当大きい。(道具がほとんどかも。)身体を使うダイレクト感や肌感覚のようなものを楽しみたいなら、自分の脚で走る自転車の方に分がある。
ツーリングも然り。しかも本書は、世界一周、単独行だ。それはそれはダイレクトで、肌感覚に満ちてたレポートが続く。
砂漠の真ん中でパンツ下ろされて身包み剥がされた後に、パンツを上げてくれた強盗の話などは、実に笑えた。
ネタバレになるので、あまり詳細は書かない。安い文庫本だし、ぜひ皆様にも読んで頂きたい。
ちょうど、この年始の時期は、南米に移って久しいダカール(?)ラリーをやっていて。「荒野を走る」イメージだけは、本書と少々かぶったのだが、無論、そのゴージャスさとは天と地の開きがある。やっていることの本質は同じようにも思うのだが、こうも様相が違うもんかなと、妙に不思議に感じた。
このダカールラリー(ダカールには行かないのに変なネーミングだ)自体も変質していて、特に南米に移ってからは、いろんな意味で、ティエリーの時代の「乾き」のようなものが完全に失せてしまい、かえって無味乾燥になるという、変な帰結を経ているように思う。
出てくるバイク(クルマもだけど)を見ていても、「ご都合主義のイビツな造り」は同じなのだが、以前は、手作り感と言うか、何とか突貫で間に合わせました!のような、どこかほほえましい感じが、ワークスマシンでも見て取れた。
でも最近は、今時のエンジニアリングというかデザインなのか、機能優先で使いやすい意味ではよくできていて、確かに便利そうではある反面、何だか、境界の向こう側の別世界の感じが強くて、現にそれでレースをしている人の感覚や、仮に自分がそれに触れることにも、容易には想像が及ばない。
カッコ悪くてさっぱりそそられない、というだけかも知れないが。あれに実際に触れる機会があっても、あまり嬉しくないなと思ってしまうのは、モトGPなんかのサーキットのロードレースと同じだ。
じゃあ、いっそのこと自転車に転向すりゃいいじゃんよ、という話ではあるし。本書の著者も、自転車の世界一周は、基本、自転車通勤程度の体力と技量があれば可能なものだと、励まして(?)くれてはいるのだが。
いえ、やっぱり無理ですから。(笑)
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行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)
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