「未亡人は言った。本田宗一郎を殺したい」 ― 2011/08/07 20:18
ドライバーの事故死を軸に、F1レース界の裏側を描く
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著者はF1を中心としたレースに関する写真家で、著書も多数ある。本書もその一つだ。長年、F1を間近に見て来たカメラマンの目に、ドライバーの死と、それにまつわる情景がどう映ったか、幾つかのエピソードにまとめている。
誠に過激な題名だが、何かを糾弾したいとか、暴きたいといった直接的な意図があるわけではない。無論、本田宗一郎氏の個人的責任を書き立てるものでもない。本の中で、この未亡人本人のコメントとして、夫の死に方は大変なショックで、当時は逆恨みと分かりながら、そう思うのを止められなかった・・・といったエピソードとして紹介しているに過ぎない。題名は、著者ではなくて出版社の意図による選択かもしれないが、これでちょっと損をしているようにも思う。
内容の方はごくまっとうで、ドライバーの事故死を端緒に、周囲の状況を時系列で整理することで、その「意味」を描き出す、といった手法が取られている。ドライバーの人柄、生い立ち、家族、レースの履歴、雇い主であるチームオーナーとの係わりや、スタッフの人間模様・・・などなど。著者の長年の経験と、情報網がもたらす描写の緻密さは圧倒的だ。
著者も述べているのだが、本書は、事故の「原因」を探ることは意図していない。F1の、しかも60~70年代の「レースは死人が出るもの」のような認識が一般的だった当時。死亡事故ともなれば、機体は四散や全焼も多かったし、原因の分析は不可能、または、そもそも為されなかったり、といった状況だったようだ。
著者は、それでもあえて、ドライバーが、その時、そのマシンで、その事故に至るまで、どういった道のりを歩んで来たのか、子細に眺め直すことで、ある種のストーリー、いわば「必然」のようなものを見出そうとしている。その強烈なスポットライトは、F1レース界の姿を、いつもとは違った陰影でもって、浮き彫りにすることに成功している。結果として、F1界の裏の歴史を描き出す、絶好の内容になっていて興味深かった。
反面、気になる点もある。
「死」を、特別視し過ぎるように思えるのだ。
私は「レースは死人が出て当然」と思っているわけではないし、まして「死んでいい」と言っているわけでもない。ただ、人の死というのは、普通にその辺にあるもので、特に珍しくはない、と思うのだ。
死は、取り返しのつかない、おそるべき恐怖の終着点として、万人から忌み嫌われている。その一方で、今日も誰か交通事故で潰されているし、首都圏では毎日のように、誰かが電車を止めている。世界的には戦争や飢餓はなくならないし、天災は忘れた頃に、しかし必ず、やって来る。(やって来たね。)殺人犯は、たとえ死刑になっても、責任なんか取れない。死んだ被害者が、戻ってくるわけではないからだ。
死の「意味」という考え方も、ある意味、一方的だと思う。それは大体、死んだご本人には関係がない。だって、もう死んじゃってるんだから。理解も、評価も、納得もできない。あの人だったらこう思うだろう、と周りの人間が勝手に考えてるだけだ。
だから大概、死の意味を云々するというのは、残された人々の内面の何かの方に、かかわる問題である場合がほとんどだ。その意味で、人の死というのは、それぞれにストーリーを持っているものなのである。
特にレースでの死にのみ、特別な何かがあるとは、私には思えない。
著者は、西欧に渡った当時、不慣れなかの地を、自身で持ち込んだカローラで、縦横に走り回っていたという。知らない外国で、いきなり自分で運転して長距離移動を敢行していたとなれば、当時、著者の方が事故死していた可能性も、あながち少なくなかったのではないかと思う。
カローラの助手席に座っていたかも知れない死神には我れ関せず、レーストラックでの死の方にだけ、一方的に「物語」を見る著者の視線に、何かしら「壁」のようなもの、他人の死を「向こう側のもの」として眺める、疎外感のようなものが感じられた。そんな辺りが、少し、引っかかった。
余談だが、四輪のレースは、道具(クルマ)の影響度が実に大きい。これほど、道具の良しあしで決まってしまう「スポーツ」も珍しいと思う。人が主役であるはずの「スポーツ」で、その座を道具が浸食している、という意味で、レースはいつも歪んでいるし、そのいびつさは、F1あたりでは実に顕著だった、と言えるかも知れない。
同じ文脈で、前回取り上げた 「マン島TT」 と並べて読むと、ちょっと考えさせられた。
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未亡人は言った。「本田宗一郎を殺したい」―F1還らざる勇者たち
「Classic Images: Isle of Man TT Races」 ― 2011/08/14 15:11
マン島TTレースの白黒写真集
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古い時代の、マン島TTの白黒写真集だ。
ずいぶん前に、安さに釣られて買った。(千円くらい?)
でも意外といい感じの写真が多くて、お買い得だった。
個人的には、白黒の写真は結構、好きだ。
写真集も、ぽつぽつ買っている。
昨今の、鮮やかなデジタルカラー写真も、確かに便利でキレイでいいのだが。それって、何を伝えたかったのかを、クリアに見せられるかどうかとは、別の問題のようにも思う。
白黒ならではの「写実性」というのも、確かにあった。
そのくらい、当時の空気が見えているようにも思うのだが。どうだろうか。
モレットさんですな。
V8です。
余談だが、「ダイナミックレンジを最優先した白黒デジカメ(のエコシステム)」なんかがあったら、意外とロングテールになったりしないかな。現像(ソフト)から、プリント(白黒プリンタ)まで、セットになったような。それこそ、昔の「暗室趣味」を、本当にPC上で再現できたら、素敵だと思うのだが。
Amazonですが。
多分、コレじゃないかな・・・。
Classic Images: Isle of Man TT Races
「ぼくらはそれでも肉を食う」 ― 2011/08/18 21:21
動物とのかかわり方を軸に、人間の感じ方、考え方を論じる
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ヒトの「感じ方」や、ものとの「関わりかた」は、多分にいい加減だ。地域、国、民族、文化、時代・・・いろんなものの影響を受けて適当に変容するし、決して論理的でも一様でもない。というのを、人間と動物のかかわりを軸に、多様な例示で紹介している。
ネコは、ペットとしてかわいがるのが普通。
ウシは、ツブしてサバいて食うのが普通。
・・・同じ動物なのに、こうも扱いが違う。
それを当り前だ、と思っているのはなぜか?。
リスはかわいいが、ネズミは殺すのか?。
ステーキは食うのに、闘牛は残酷だと非難するのか?。
菜食主義は健康に良いという「言い訳」は、有効なのか?
クジラを食う文化は野蛮なのか?・・・という話は出てこないが。(訳者あとがきに一瞬だけ。)
でも、そういったことは、別に、動物に限った話じゃない。
常識なんて、実はご都合主義でいい加減だってことくらい、(少なくとも薄々は)みんなわかってることじゃなかろうか。
そんな具合で、あまり新鮮味というか、意味のある内容に思えなかった。動物の話題だけでこの量(350頁余)は、ちょっと膨らませ過ぎで薄い印象。お気軽には読めるのだが。定価\2400は・・・ちょっとお高いだろう。
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ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係
「走れインディアン―甦るヴィンテージバイク」 ― 2011/08/20 11:45
古いインディアンを手に入れてから仕上げるまでの、生活の風景をざっくばらんに描く
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刺激は、あまりない。
むしろ、淡々と続く。
初めてのはずなのに、見覚えがある風景が、一定の速度で、流れすぎる。
まるで、ツーリングのように。
・・・人生のように。
フツーにマヌケな中年男が、苦しい生活を何とか送る中で、何故か、古いバイクを手に入れて、乗れるようになるまでを描いている。
なぜ、古いバイクなんだ?。
・・・わからない。
バイクは、ずいぶん前、若いころに乗っていたけど、あまり関係ないような気がする。
強いて言えば、何となく、ホンモノに乗りたい、と思った。
いつだったか、誰かがそれを「ホンモノのバイクだ」と言っていたし、その時はオレも、そんな気がしたんだ。
バイクを仕上げるのには、カネがかかる。
パーツ集めて、修正、修理して、組上げて、塗装して、調整して・・・。
でも、自分でやれることには、限りがある。
人の善意にも。
だから、あとはカネを払って、やってもらう。
どうすべきか?。
正しいのか?。
判断と決断、と言えば聞こえはいいが、半分以上は、流されてるだけだ。
気分とか、噂やデマ、「伝説」なんかに。
そしてそれは、その周りの、フツーの暮らし・・・家、子供、仕事とか、そこから、何かを削り取っていく。
それが、得たもの・・・・・古いバイク・・・・・と、本当に見合うのか?。
・・・合わないよ。
だって、楽しみより、苦しみの方が多いんだ。
だから、そいつはいずれ、次のオーナーへと旅立つことになる。
そうやって、古いバイクは、あちこちと棲みかを移りながら、生きながらえてきた。
でも、
それでもいいんだ。
だってオレ、ホンモノに乗ったんだ。
コイツに乗ってる時は、本当に、イイ気分なんだ !。
それに、
だいたいさ、
持ち物で、オレの価値が決まるって、おかしいだろ?。
「オリジナル」とか「名車」とか、そんな崇高で、つまらないものじゃないんだ。
もっといい加減で、みすぼらしくて、親しみのある、
すばらしいもの。
今日も、いつもの風景が、一定の速度で、流れすぎる。
まるで・・・そうだな、
人生のように。
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まあ、そんなわけなので。
もし、あなたが、聖書(行き方を決めてくれるもの)を読みたい人なら、お薦めしません。
バイクも降りた方がいいと思いますよ。
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走れインディアン―甦るヴィンテージバイク
古本しかない。しかも妙に高い。
ちなみに、定価は\1800です。
「隠れていた宇宙」 ― 2011/08/27 06:39
宇宙に関する、物理学の最新の知見をまとめた本
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本書は、望遠鏡や加速器、数式といった有形無形の道具を駆使し、宇宙の姿をイメージすべく奮闘する、物理学の最先端を記した本である。
なにせ最先端なので、まだケリがついていない。話はいろいろと、ぼやけている。例えると、映像は見えているものの、それが何なのかわからなかったが、最近何となく、どう見るものかわかってきた・・・とそんな感じだ。だから、読み通しても、何か完成したり、達成したりするような感じはない。
難しい数式やら、専門用語が並ぶのが普通の分野である。「棲み込みの専門家」の話が不親切でわかりにくいのは、古今東西、共通するようだが、その中でも、飛びきりにややこしい分野だ。それを、言葉だけで、しかも平易に伝えようという著者の努力は、しかし、かなりの度合いで報われている。その結果が、これだけの文章量(上下巻、各300頁余)になってしまうのは、致し方ないか。
この文章量を持ってしても、話の筋はあやふやだ。もともと、小説やRPGのように、決まった筋や終着点などは存在しない世界である。どこから何が出てきてもいいし、後出しジャンケンもアリだ。話は十分に入り組んでいて複雑なくせに、いびつで、穴だらけで、不安定で、危うい。
その舞台で、学者たちは、データや数式が何を表しているのか読み取ろうと、懸命に目を凝らし、頭をひねっている。科学(組み立てること)と哲学(掘り下げること)と、宗教(信じ、守ること)が為すまだら模様の上を、さまよいながら。
でも、そうして得られた知識は、実生活には、何の役にも立たない。
実際、女房あたりに話してみても、「だから何?」と、にべもない。(笑)
そんな知識を、これだけの量つめこんで、喜べる人も限られるだろう。
用途や儲けなど、他に目的があるのではなく、知識そのものが目的だったり、幸せだったりする場合だけではなかろうか。
でも最近、この手の科学の本が以前に比べてよく出ているように思うのだが、そういう「好き者」は、意外といるもの、なのかもしれない。
少なくとも私には、下手なビジネス書やドキュメンタリーなんかよりは、よほど面白かった。
疲れたけど。(笑)
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隠れていた宇宙 (上)
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