読書ログ 「エリア51」 ― 2012/09/15 06:46
USAの秘密基地、エリア51の真実を暴く
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アメリカ合衆国の砂漠地帯に、エリア何番という秘密基地が複数あって、なんや怪しい活動をいろいろやっているらしい。本書は、その中でもとびきり怪しい(?)エリア51の活動の詳細をレポートした書である。
レポート?。ルポタージュ?。
いや。
もっともらしいゴシックと、怪しいレポートの境目、と言った所かと思う。
信憑性は云々しない。
これは、そういう本ではない。
読書として、楽しめればそれでいい。そういう本だと思う。
いきなり驚くのは、これは、合衆国の「原子力村」の話でもあるのだ。
と言っても、発電所、ではなく、爆弾の方の「原子力」だが。
先の大戦中、原爆の開発は、軍のあらかたも、議会すら知らない、トップシークレットだった。
軍事機密どころではない。国家機密だったのだ。
誰にも知られることなく、巨額の予算を使い、破滅を作り出す者達。
その特権は、戦後も維持され、好き勝手をやって来た。(らしい。)
その活動の、詳細なルポ(?)が続く。
小さな辞書くらいのサイズの本で、厚さも期待を裏切らない、500頁超えである。
官僚が、エンジニアが、政治家が、もてあそんできた、技術と罪の数々。
何となく、割れた原発を眺めるのと同じような、感慨があった。
歴史は、終わりなどせず、続いているのだ。
たぶん今も、こんな風に。
綿々と。飄々と。
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エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実 (ヒストリカル・スタディーズ)
読書ログ 「建築を考える」 ― 2012/09/16 04:05
著名な建築家によるエッセイ集
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小さくて薄い本だが。
箱入りで、えらく高い。
著者は、著名な建築家だが、その建築家が、普段の思索を、多少、小難しく書いている。
妙に、理屈っぽい。(ドイツ語を母語とするせい?)
理屈っぽいくせに、感情的に納得したがる。
壮大な理論を組上げて、でも、感情との境界に、段差や谷間を見て、迷う。
そんな印象。
形而上的とも言える。
建築は、空間を扱う。
光や間を切り取り、配置し、組み立てることで、馴染み、安らぐ空間を作る。
空間は、小規模な「世界」とも言える。
だから、建築は世界に対する取り組みだ。
・・・というのは、多少、大仰か。
「間を扱う」という意味では、クルマだって写真だって、デザインとかアートってのは、みんな同じだ。
それが有用になるためには、時代や文化に根付き、かつ、即していないといけない。
(あまりに突拍子もないものだと、受け入れられない。)
そういった、記憶や規範に限定されるのだ。
万能ではないし、自由でもない。
それを認めつつ、しかし、普遍性を求めて、さまよう。
視点(距離や角度)を変えつつ、吟味し、
それが真に有用で、安定し、安心で、美しいかを、確かめる。
「現実と向き合う」
作り手が、何を伝えるか。
オーディエンスが、何にシンクロしているか。
感じ、judgeするのは、感情、感覚だ。
著者は、観念は、人間ではなく、物の側に内在する、と思っているらしい。
人間が感じるのではなく、物の観念が、人間に働きかける。そういう方向。
「再帰的」と言うと、西洋的に聞こえるが。(ラテン語系言語の、文法用語。) 我々のような東洋人も、「このデザインには魂がない」のようなもの言いをするから、同じようなものかもしれない。
材料に埋まっている「それ」を掘り起こすのが仕事だ、とは、くしくも歴代の東西の彫刻家による、同じせりふだったかと思う。
そこを磨き、追求し、掘り起こし、腑に落ちるまで、ねばる。
表現とは、問いでもある。
問い続ける人の、不安や迷い、葛藤や、相克。
感受性や、感情が深いから、よけいに、移ろぐし、揺らぐ。
そうやって、それが美になり、芸術になり、詩となる。
(デザインは、皆同じ)
建築で特徴的なこと。
機能が、静的なこと。
タイムスパンが、永いこと。(永く残る。)
そのせいか、著者の思考も、静かで、深い。
建築を思うのは、哲学でもあるようだ。
建築になじみの薄い人(私のような)にも楽しめる本だが。
やっぱり高価すぎで、残念である。
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建築を考える
バイク読書中 「Vespa style in motion」 #05 ― 2012/09/16 06:32
Vespa: Style in Motion
& 今回は、 Giorgio Nada の伊バイク本、総ざらえ・・。
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Vespaは、その始祖であるMP6の時から、構造は独特の塊だった。
当時、何ゆえ、このような形を想起しえたか。
D'Ascanioがそれを作った1945年に立ち戻って、その前後を、少し視界を広く取って、コンペ達を見回してみよう。
前々回だったか、「この頃のメーカーは何を造ってもよかった」と書いたが、ホントにそんな感じで、各メーカーとも、いろいろと試行錯誤をしている。形、構造、操作法なんかも、独自なものがいっぱいあった。百花繚乱…というのはホメ過ぎで、要するに、みんなバランバラで、とめどなかった。
このVespaの本には、FIATが作ったという、スクーターのプロトタイプが載っている。
1938年、2st 98cc、ミッションは二速。
股間にニョッキリのシフトレバーは、クルマのイメージだったかもしれないが。不便そうだ。(後のハーレーのキン●マチェンジみたい。)
その他、手持ちの資料で見かけたものを、時系列に並べてみる。
Moto Guzzi Motoleggera 65 (1946年)
(ISBN 88-7911-039-X)
写真がヘタクソで、前輪がゆがんでますが。
カテゴリで言うと、スクーター(キックボードにエンジン)ではなくて、モーターサイクル(自転車にエンジン)かモペット(原付)の方だが。後に、カバーボディのZigolo(1953年)も出てくる。
資料には、1945年中頃から量産試作を開始とあるから、思いっきり、MP6の同期である。
こうやって見ると、やっぱり、スクーターよりモペッドの方が、安く作れそうに見える。当時の実売価格を調べたわけではないので、何とも言えないが。(実売価格が出ている資料って、意外とないものなのだ。誰か知ってたら教えて欲しい。)
MV Agusta 125 B/C/CSL (1949年)
(ISBN 88-7911-180-9)
今やMVといえば、チョー高級の大型四気筒車のイメージだから、信じられないかもしれないのだが。MVも、この時期に小排気量車から始めていて、スクーターも作っている。1949年に、スチールモノコックを試作して、Milano Trade Fair に出品している。実際に市販したのは、オープンモノコックや、コンベンショナルなチューブラーフレームになったようだが。車体関係は悩んだ跡があるものの、駆動は、普通のチェーンドライブだったようだ。
(ISBN 88-7911-180-9)
Ducati がCuccioloを始めたのが1946年、Lambrettaの生産は1947年から。
スクーター、モペッド、バタバタ…と、くんずほぐれつの様相。イタリアでも、この40年代後半に、小型二輪事業への参入が相次いだのだ。
50年代も、この勢いのまま。
新型も出るし、新規参入も続く。
MV Agusta 125 CGT (1950年)
(ISBN 88-7911-180-9)
モーターサイクルの構造を、使いまわそうとしたようにも。
Lambrettaにも、こんなのがありましたね。
価格は175k Lireだったと。
(ISBN 88-7911-180-9)
Moto Guzzi Galletto (1950年)
(ISBN 88-7911-039-X)
イタリア郵政局・御用達のアレです。
大径ホイールのスクーターの、元祖だろうか。
実はこれ、あの伝統の水平シングルの構造を大きく受け継ぐ、という器用者。
変った場所に、スペアタイアがあるが。転んだときのバンパー代わりになったとか、ならなかったとか。
(ISBN 88-7911-039-X)
なんだか、よくできた軽量の旅バイクに見えてしょうがないんだが…。
(Suzukiも、MP5じゃなくて、こっちを真似ればよかったのに。SW-1。)
他にも、Bianchi も1955年頃からモペットを作っていたし、
1958年の写真。(ISBN 88-7911-054-3)
Garelli (ジレラじゃなくてガレリね)も、遅まきながら参入していた。
M1 (1958年)
(ISBN 88-7911-203-1)
Capri (1959年)
ちょっとベスパ似?、ランブレッタ?。
(ISBN 88-7911-203-1)
いやーん ♥
(ISBN 88-7911-203-1)
こんな立派なのも。
(ISBN 88-7911-203-1)
ラビットの資料 にもあった Ducati のスクーター Cruser は、1951年の作。世界初の4stのスクーターで、セル付き、オートマの豪華仕様だったが、それがたたって重すぎて、まるで売れずに頓挫した、とのこと。(Ducati 版ジュノオ…?。)
Rumi もあります。
Scoiattolo (1951年)
(ISBN 88-7911-364-X)
このあたりはオサレだし、意外と今でも行けそうだが。
これはちょっと、宇宙ちっく?。(笑)
Formichino (1954年)
(ISBN 88-7911-364-X)
ステップスルー(ニーグリップなし)で、ハンドルの根元あたりが重いという。乗りにくそう…。
他にも、ドイツの巨大なヤツなんかもあるが。資料がないので省略。
むりくりまとめると、スクーターの市場が立ち上がった50年代に、みんなして参入を試みていて。それなりに、独自性を出そうという意図や努力は見て取れるのだが。今、まるで残っていない所を見ると、みんなしてスッ転んだ時期、とも言えるかもしれない。
ちなみに、FIAT 500 の発売は、1957年である。
ことスクーターでは、やっぱり、Vespaには、かなわなかったようだ。
& 今回は、 Giorgio Nada の伊バイク本、総ざらえ・・。
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Vespaは、その始祖であるMP6の時から、構造は独特の塊だった。
当時、何ゆえ、このような形を想起しえたか。
D'Ascanioがそれを作った1945年に立ち戻って、その前後を、少し視界を広く取って、コンペ達を見回してみよう。
前々回だったか、「この頃のメーカーは何を造ってもよかった」と書いたが、ホントにそんな感じで、各メーカーとも、いろいろと試行錯誤をしている。形、構造、操作法なんかも、独自なものがいっぱいあった。百花繚乱…というのはホメ過ぎで、要するに、みんなバランバラで、とめどなかった。
このVespaの本には、FIATが作ったという、スクーターのプロトタイプが載っている。
1938年、2st 98cc、ミッションは二速。
股間にニョッキリのシフトレバーは、クルマのイメージだったかもしれないが。不便そうだ。(後のハーレーのキン●マチェンジみたい。)
その他、手持ちの資料で見かけたものを、時系列に並べてみる。
Moto Guzzi Motoleggera 65 (1946年)
(ISBN 88-7911-039-X)
写真がヘタクソで、前輪がゆがんでますが。
カテゴリで言うと、スクーター(キックボードにエンジン)ではなくて、モーターサイクル(自転車にエンジン)かモペット(原付)の方だが。後に、カバーボディのZigolo(1953年)も出てくる。
資料には、1945年中頃から量産試作を開始とあるから、思いっきり、MP6の同期である。
こうやって見ると、やっぱり、スクーターよりモペッドの方が、安く作れそうに見える。当時の実売価格を調べたわけではないので、何とも言えないが。(実売価格が出ている資料って、意外とないものなのだ。誰か知ってたら教えて欲しい。)
MV Agusta 125 B/C/CSL (1949年)
(ISBN 88-7911-180-9)
今やMVといえば、チョー高級の大型四気筒車のイメージだから、信じられないかもしれないのだが。MVも、この時期に小排気量車から始めていて、スクーターも作っている。1949年に、スチールモノコックを試作して、Milano Trade Fair に出品している。実際に市販したのは、オープンモノコックや、コンベンショナルなチューブラーフレームになったようだが。車体関係は悩んだ跡があるものの、駆動は、普通のチェーンドライブだったようだ。
(ISBN 88-7911-180-9)
Ducati がCuccioloを始めたのが1946年、Lambrettaの生産は1947年から。
スクーター、モペッド、バタバタ…と、くんずほぐれつの様相。イタリアでも、この40年代後半に、小型二輪事業への参入が相次いだのだ。
50年代も、この勢いのまま。
新型も出るし、新規参入も続く。
MV Agusta 125 CGT (1950年)
(ISBN 88-7911-180-9)
モーターサイクルの構造を、使いまわそうとしたようにも。
Lambrettaにも、こんなのがありましたね。
価格は175k Lireだったと。
(ISBN 88-7911-180-9)
Moto Guzzi Galletto (1950年)
(ISBN 88-7911-039-X)
イタリア郵政局・御用達のアレです。
大径ホイールのスクーターの、元祖だろうか。
実はこれ、あの伝統の水平シングルの構造を大きく受け継ぐ、という器用者。
変った場所に、スペアタイアがあるが。転んだときのバンパー代わりになったとか、ならなかったとか。
(ISBN 88-7911-039-X)
なんだか、よくできた軽量の旅バイクに見えてしょうがないんだが…。
(Suzukiも、MP5じゃなくて、こっちを真似ればよかったのに。SW-1。)
他にも、Bianchi も1955年頃からモペットを作っていたし、
1958年の写真。(ISBN 88-7911-054-3)
Garelli (ジレラじゃなくてガレリね)も、遅まきながら参入していた。
M1 (1958年)
(ISBN 88-7911-203-1)
Capri (1959年)
ちょっとベスパ似?、ランブレッタ?。
(ISBN 88-7911-203-1)
いやーん ♥
(ISBN 88-7911-203-1)
こんな立派なのも。
(ISBN 88-7911-203-1)
ラビットの資料 にもあった Ducati のスクーター Cruser は、1951年の作。世界初の4stのスクーターで、セル付き、オートマの豪華仕様だったが、それがたたって重すぎて、まるで売れずに頓挫した、とのこと。(Ducati 版ジュノオ…?。)
Rumi もあります。
Scoiattolo (1951年)
(ISBN 88-7911-364-X)
このあたりはオサレだし、意外と今でも行けそうだが。
これはちょっと、宇宙ちっく?。(笑)
Formichino (1954年)
(ISBN 88-7911-364-X)
ステップスルー(ニーグリップなし)で、ハンドルの根元あたりが重いという。乗りにくそう…。
他にも、ドイツの巨大なヤツなんかもあるが。資料がないので省略。
むりくりまとめると、スクーターの市場が立ち上がった50年代に、みんなして参入を試みていて。それなりに、独自性を出そうという意図や努力は見て取れるのだが。今、まるで残っていない所を見ると、みんなしてスッ転んだ時期、とも言えるかもしれない。
ちなみに、FIAT 500 の発売は、1957年である。
ことスクーターでは、やっぱり、Vespaには、かなわなかったようだ。
読書ログ 「逝きし世の面影」 ― 2012/09/22 06:36
開国当時からの、日本人の生活文化の変遷を追う
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日本は、東洋の国の中で、最も早期に近代化(西洋化)を成しえた稀有な国だ、というのが定説かと思う。しかし、私は「日本人は昔と変っていないのではないか」と感じていて、実際、そのような読後感を得たと、以前、書いた。( 「日本海軍はなぜ誤ったか」 )。
本書は、逆に、「日本は変った」とする、具体的な論考だ。
過去、外国人が残した記録などを元に、当時の日本の風俗や文化を調べ上げて、日本がどんな国だったかを描き出さんとする力作だ。挿絵も多い。百聞は一見にしかずで、理解の助けになる。
参照した記録や文献の量もさることながら、それを時系列に整理して変遷を追い、矛盾や齟齬を含めて、全てを理解しようと試みる著者の力量は大したもので、緻密で説得力のある議論が展開される。西洋思考に毒された(ことも忘れ去った)今の我々にも、貴重なパースペクティブを与えてくれる。
どうも、昔の日本は、水戸黄門と、大岡越前と、鬼の平蔵の国・・・などではなかったらしく。
優しく、おっとりしていて、親切で、貧しいが、よく笑い、楽しげで、自然を愛する人々。混沌としているが、緩やかで、懐が深い。素朴で、平和な、楽園の島。
大陸などの近隣諸国に比べて、ずいぶんと平和でよい国、ともある。
実際、いいところだけを見ている分には、まるで楽園のように見える。
無論、(今の感覚からは)奇異なこともたくさんあった。
筆頭は、「裸体」だろうか。
当時、裸体をさらすことを恥と思う文化は日本にはなかったらしく、うら若き女性も、道端で全裸で「たらいで水浴び」をしながら、普通に世間話などをしていたそうだ。
そういった光景が普通なので、男性の方も、特段それに欲情するようなこともなく、ただ、風景のように接していたのだと。
外国人が、それを珍しがって、大喜びで凝視するから、女性の側も恥ずかしがるようになった、とも。
西洋風の、進歩した「恥じらい」の文化を伝えた、と言えば聞こえはいいかもしれないが。西洋人は、無垢だった我々に、リンゴを食わせて罪を負わせた、ヘビでもあったようだ。(その時から日本人は、葉っぱで?前を隠し始めた。)
昔の日本のありようは、ちょっと変だったかもしれないが、妙に重く、心に響くものがある。その段差が、変化や、違い、というものの本質を突いているようで、何かを示唆しているようにも感じる。(以前取り上げた、 「ピダハン」 にも似ている。)
そういう局面で、大切なのは、昔はどうだったか、の細部の検証ではなく、我々は変容しており、しかもそれを忘れている、という事実を認識することが第一歩だと思う。その用途には、実に有用な一冊と思った。
ただ、多少ひいき目というか、「日本はいい国だったはず」の視点ありきで書かれている面も否めないので、もう少し批判的な目線、ダークサイドも等しく描いているような、カウンターも網羅して読んだ方が、公平な理解になるかと思う。
余談だが、私は時折、理想を追うと言いつつ、何かを思い出そうとしているだけではないか、と感じることがあるのだが。このあたりの読書体験が効いているのかも知れない。
他方、「思い出そうとしている」ということは、裏を返せば「実は忘れていない」ということでもあり、私は、この過去の異形の日本に、何かしら、通底するものを感じているらしい。
確かに、我々は変わったのかもしれないのだが。変らないものも確かにあって、それが今でも、我々の周りのそこかしこで、にやけたり、舌を出したりしているような気がするのだが。
どうだろうか。
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私が読んだのは単行本だが、文庫版が安く出ている。
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
昔の日本女性の裸の挿絵がたくさんあるかも、と期待した貴方!。
あなたの罪を許そう。(笑)
バイク読書中 「Vespa style in motion」 #06 ― 2012/09/23 10:15
Vespa: Style in Motion
” 汝、何をもてVespaとなりしか ”
前回、時期的、大きさ的にVespaのライバルと目される機種を並べてみたが。Vespaに似ているものがほとんどないことに、改めて気付かされる。
Vespaは、フルカバードのモノコックボディだ。コンペは大概、チューブラーに、プレスしたプレートを外付けだった。
モノコックの一部として、一枚板をゆるやかに曲げて、レッグシールドから、ステップボードにつなげる構造を持つ。乗り手の下半身は、走行風や、前輪が跳ね上げる泥からカバーされる。幅も広めで、足もとは広々だ。(転んだときの人間のダメージも小さい?。)
ボディのパネルの分割は、メンテナンス性も考慮しているし、ボディワークは、当時流行の「流線型」を取り入れている。
イメージ元としてはこの辺と。
エンジンをミッションと一体に作って後輪に直付けして、ダイレクトにドライブする。チェーンがないので油が飛ばないし、騒音や熱の発生源であるエンジンを、人間から離して置ける。(快適設計)
エンジンが後ろに行ったので、股ぐらには何もない。ボディはえぐって、ステップスルー構造にできる。クルマと同じでイスのように座れてラクチンだ。足を揃えて乗れるので、スカートの女性もOKとなる。
操作系のあらかたは手元にあって、ハンドルから手を離さずに乗れる。当時の路面状況(砂利または石畳)では、これはかなり有り難かったろう。
ホイルは前後とも片持ち式で、脱着が楽だ。(クルマと同じ要領。)当時のタイヤの質では、パンクの頻度も低くはなかったろう。
あと、これは設計者が狙ったかどうかは怪しいのだが、前輪荷重が少ないこと。エンジンも人間も、リアタイヤの真上に乗っかる構造なので、前が異常に軽い。これがもたらす副次効果は、いずれ詳しく述べたいと思う。
そして、美は細部に「も」宿っている。
Vespaはこの後も、この生まれながらの特徴を、ほぼそのまま、継ぎ続ける。
今でも一目で「Vespaだ」と分るのは、これらを兼ね備えた機体が、前にも後にも無かったからだ。
そのブランドをクラックできる模倣が出なかったのは、パテント戦略や、技術的な難易度など、幾つか要因を追うことができる。(後に詳述する。)
しかし、私が興味をそそられるのは、Vespaの「前に」これが無かったことだ。
D'Aascanioは、如何にしてVespaを思いつきしか。
よくあるのが、これは飛行機屋の思いつきですよ、という解説だ。
(D'Ascanioが航空技術者だった由。)
飛行機の設計は、目的に応じて、機体の構成を考えて、それに必要十分な最小限の構成を、具現化することを考える。
例えば、爆撃機、戦闘機、旅客機などの目的が初めにあって、それに応じた構造を、要求される飛行距離や搭載量などの仕様から、機体の形や寸、馬力(エンジンの機数)などを割り出しつつ、現実に作り上げていく。
軽くなければ飛ばないが、もたずに落ちたんじゃ意味がない。その境目を、いかに美しく狙うかが、デザイナーの腕なのだ。
そういう思考に慣れた技術者が、「必要最低限の移動の道具」として、「一般に供する二輪の乗り物」を考えた結果の、「合理的な構造」。
確かに、そう見えなくもない。
しかし、違っている。
大体、一見して分るが、この作りは、飛行機ではなく、クルマに近い。
(モノコックの四輪は、1923年のLanciaに先例があり、この当時も既知だったはず。)
もうひとつ。
D'Ascanioは、飛行機の人というのとは、ちょっと違うようなのである。
” 汝、何をもてVespaとなりしか ”
前回、時期的、大きさ的にVespaのライバルと目される機種を並べてみたが。Vespaに似ているものがほとんどないことに、改めて気付かされる。
Vespaは、フルカバードのモノコックボディだ。コンペは大概、チューブラーに、プレスしたプレートを外付けだった。
モノコックの一部として、一枚板をゆるやかに曲げて、レッグシールドから、ステップボードにつなげる構造を持つ。乗り手の下半身は、走行風や、前輪が跳ね上げる泥からカバーされる。幅も広めで、足もとは広々だ。(転んだときの人間のダメージも小さい?。)
ボディのパネルの分割は、メンテナンス性も考慮しているし、ボディワークは、当時流行の「流線型」を取り入れている。
イメージ元としてはこの辺と。
エンジンをミッションと一体に作って後輪に直付けして、ダイレクトにドライブする。チェーンがないので油が飛ばないし、騒音や熱の発生源であるエンジンを、人間から離して置ける。(快適設計)
エンジンが後ろに行ったので、股ぐらには何もない。ボディはえぐって、ステップスルー構造にできる。クルマと同じでイスのように座れてラクチンだ。足を揃えて乗れるので、スカートの女性もOKとなる。
操作系のあらかたは手元にあって、ハンドルから手を離さずに乗れる。当時の路面状況(砂利または石畳)では、これはかなり有り難かったろう。
ホイルは前後とも片持ち式で、脱着が楽だ。(クルマと同じ要領。)当時のタイヤの質では、パンクの頻度も低くはなかったろう。
あと、これは設計者が狙ったかどうかは怪しいのだが、前輪荷重が少ないこと。エンジンも人間も、リアタイヤの真上に乗っかる構造なので、前が異常に軽い。これがもたらす副次効果は、いずれ詳しく述べたいと思う。
そして、美は細部に「も」宿っている。
Vespaはこの後も、この生まれながらの特徴を、ほぼそのまま、継ぎ続ける。
今でも一目で「Vespaだ」と分るのは、これらを兼ね備えた機体が、前にも後にも無かったからだ。
そのブランドをクラックできる模倣が出なかったのは、パテント戦略や、技術的な難易度など、幾つか要因を追うことができる。(後に詳述する。)
しかし、私が興味をそそられるのは、Vespaの「前に」これが無かったことだ。
D'Aascanioは、如何にしてVespaを思いつきしか。
よくあるのが、これは飛行機屋の思いつきですよ、という解説だ。
(D'Ascanioが航空技術者だった由。)
飛行機の設計は、目的に応じて、機体の構成を考えて、それに必要十分な最小限の構成を、具現化することを考える。
例えば、爆撃機、戦闘機、旅客機などの目的が初めにあって、それに応じた構造を、要求される飛行距離や搭載量などの仕様から、機体の形や寸、馬力(エンジンの機数)などを割り出しつつ、現実に作り上げていく。
軽くなければ飛ばないが、もたずに落ちたんじゃ意味がない。その境目を、いかに美しく狙うかが、デザイナーの腕なのだ。
そういう思考に慣れた技術者が、「必要最低限の移動の道具」として、「一般に供する二輪の乗り物」を考えた結果の、「合理的な構造」。
確かに、そう見えなくもない。
しかし、違っている。
大体、一見して分るが、この作りは、飛行機ではなく、クルマに近い。
(モノコックの四輪は、1923年のLanciaに先例があり、この当時も既知だったはず。)
もうひとつ。
D'Ascanioは、飛行機の人というのとは、ちょっと違うようなのである。
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