読書ログ 「バイクひとり旅」 ― 2014/08/10 21:40
お盆休みの季節だが。
暑すぎ&混みすぎが例年のこの時期、私は、ツーリングは避けている。
走らない腹いせに(?)、また図書館で、ツーリングの古い本を借りてきた。
1988年の刊行。古っちゃけて、焼けまくりの本だ。
イラストは、摺本さん。
いつぞや紹介した本 と、イラストを一部、共有しているようだ。
出版社は違うようだが。(いいのかな。)
「現在のように物が豊かな時代になると、人は、(それでは満たされない)精神的なリッチさ、心の豊かさを求めるようになる。バイクという、孤独な文明の利器は、それにはうってつけの道具だ。バイクによる一人旅は、キミの心を大きく、豊かにしてくれる。」 (★)
もう、30年近くも前に書かれた本なのだが。
隔世の感が、まるでない。
それが、
この当時から変わったのは細部だけで、本質はそのままだ、
ということなのか。
単に、私がこの本と同年代の、古びた虫食いだからなのか。
両方かな。
そりゃあ、30年近くも経てば、変わっていることもある。
いろいろと。
でも、この本の当時から現役だったワタクシとしては。
(・・・表紙がAX-1だ。出た当時に乗ってた。)
ただ記憶を辿るだけな感じで、そのままフンフンと読んでしまった。
準備、心構え、トラブル対処、ノウハウ、スケジュール、
注意点、コツ、体験談、味わい、醍醐味、
経験、時間、
人生、
命
全部、知っていることばかりなのだ。
(できているかどうかは別にして。)
真新しくもない。
でも、その全てを整理して、少なくとも、わかるように(特に若い人に)まとめるとなると。この量、つまり本になると。
手間をかけて、本として出してくれていたと。
先輩ってより、親父かな。
この手間をかけてくれる、 先輩 、先生、上司、親、その他、目上。
もし、身近に居るなら、言うことは聞いとくもんだ。
と、目上の歳を通り過ぎた頃に、背中で思う。
以前は、暑くてもソロツー、行ったんだけどなあ。
やっぱ東北だよね。涼しいし。
・・・で、ふとした疑問。
物の豊かさと、心の豊かさって、この頃から、二者択一だったのかな。
(上記、★の話。)
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現時点では、ぼったくり古本のみ。
定価は¥1300。
バイクひとり旅
読書ログ 「ブラジル人の処世術 」 ― 2014/08/16 07:00
よく、イタリア人は秩序を守らないとか、秩序が「無い」などと言われるようだ。実際に行ってみても、北と南で程度の差はあれ、まず全体より個人の感覚を優先するのは確かだ。しかし、その場その場の機転で「何とかする」能力には、かなり感心したりする。
本書の要旨は、そういった現象のブラジル版、かつ、その奥に深い人間性を見る、といった内容だ。
南米の、ちょっと悪い言い方だが、こすっからいイメージ。
良く言うと、人間くさい。
ベタついてくるほど。
似て非なるもの、対極なもの、表裏、そんなものがいろいろ、
例えば、感情と道徳、仕組みと法、願望と官能、芸術と見せ物、
なんかだが、そんなのが絡み合い、とぐろを巻いている。
汗臭いほど。
副題にある「ジェイチーニョ」だが、(主に自分自身の)ピンチを救うための、人間臭い交渉ごと、とかそんな意味のようだ。こうやって本になるくらいなので、いろいろと深い背景があって、ここで一言では説明できない。実際に、本書をご覧いただきたいのだが。
ブラジルの歴史的、宗教的、文化的な背景の故、考え方が日本とはまるで違うんですよ、という所から、まず承知してからかからないと、さっぱり理解が進まないだろう。
ジェイチーニョをすごく単純化して表すと、まず、(単なる)知り合い優先の精神がベースにあるので、まるで知り合いのようなニクめないヤツを演じると、いろいろと効能がある、とかそんな感じか。
ブラジル人はグレーである、曖昧を好む、のような説明がされているが。
ちょっとホメすぎで。ただ、現金なだけ、のような気もする。
曖昧とは、日本人に対しても、よく使われる表現だが。
意味合いとしては、逆のようだ。
ブラジル人は、エゴと平常心の間。中庸。
日本人は、不決定。スルー。
最近、日本人って、どちらかというと、一元論者ではないか、と思うことが多い。具体的には、よく、全体論、「みんなのため」という言い方で、出現するようだ。実のところ、根本は皆、自分本位で。互いに奪い合う所作がベースだったりするのだが。うまいこと、「居心地」や「居場所」などと言ってみる。でも、次第に我慢がならなく、こすからくなると、また「みんなのため」と言い合いながら、一向に助け合おうとはしない。
日本人は、秩序や伝統を重んじる、とも言われる。確かにそうかもしれないが、端的には、他人に冷たい。秩序を重んじるのも、それが都合がよかったり、利益を守ってくれる時だけだ。だから、自分さえよければ、困っている相手を「助けないでいい」、そういう理由を、秩序は、与えてくれる。(汚職撲滅が世界で一番難しいのは、日本かもしれない。ブラジルも、違う意味で、相当なもんらしいが。)
いや、本書は、そういう「ブラジルの対岸から日本を照らす」形の比較文化論ではないし、そう読むべきでもない。
そのまま、ブラジル人の感じ方、考え方について、フンフンと読む本だ。
(自分とは全く違う感じ方、考え方をする相手がいる、と納得し、それに慣れること。グローバル化というのは、そういう意味でもある。英語の勉強のことではなくて。)
著者は、ブラジル人の「人間本位」の考え方を誉めている。
確かに、日本人には、かなり足りていないことだし、それが無いことが、足かせにもなっている。
とはいえ、「人間本位」を前面に持ってきてしまうと、ブレるはカラ回るわで進まないし、かえって幸せをスポイルすることにもなりかねない。
うまく行かないものなのだ。
イタリア人とドイツ人のハーフが理想の人物像になるとは限らないし、
HONDAのバイクにMoto Guzzi のエンジンを載せても、ろくなことはない。
そんなようなことだ。
きっと、現実を突き詰めて、最後に残るのは「真実」ではなく、「矛盾」だ。
と、そういうことなのだろう。
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ブラジル人の処世術 ジェイチーニョの秘密 (平凡社新書)
読書ログ 「歴史家が見る現代世界」 ― 2014/08/17 05:45
「現代」がどうシフトしいるように見えるか、歴史の流れから論じた本だ。
一般に「世界史」とは、「国」の攻防、特に西洋・ヨーロッパを中心としたものが大半だった。私が高校生の当時から、世界史を選んだヤツは「こんなのちっとも『世界』史じゃない、ヨーロッパ史だ」とグチっていたから、歴史の軸足が西洋に偏りすぎというのは、ずいぶん以前からの欠点なのだと思う。当然、それは歴史家の間でも認識されていたと。
歴史の舞台での俳優たる「国家」だが、それがマトモな形で成立したのは、歴史的には「ほぼ最近」だし、今でも、まともな国家の体を成していない「国」はたくさんある。(そもそも、「国家」という考え方自体が、西洋的だったりする。)しかも、国家と市民との関係性は常に流動し続けていて、近年では、一種の瓦解とも見える現象を起こしている。
グローバル化という便利な言い方がされる以前から、マネーや宗教を含む多様な「パワー」は、国家の枠とは無関係に動く度を増していて、ちょっと前まで主役級だった「国家によるパワーゲーム」を、脇役に追いやりつつある。他方、物質的な交流は盛んで、人だけでなく、資源、自然環境、汚染物質まで、事実上、国家間で共有している。さらに、物質以外の交流、ネットによって情報の流通も、飛躍的に増えた。
それらの実際の動き方は、「国」という従来の枠組みに収まるものでは全くなく、それを背景に考えるとき、「歴史」の方も、新たな視点を獲得しないと、用を成さない。
実際、本屋を覗くと、「ナントカの歴史」といった類の本を良く見かける。地域史、民族史、文化史、言語史、科学技術史・・・、様々な枠組みで捉え直されているようだ。さらに、それらをいくつか組み合わせて互いの影響まで論じた、全体観としての歴史観も散見されるようになっている。
他方、現実世界の方では、うまく行っていないことも多々ある。
情報や物質の共有に伴う一体感が醸造される一方で、だからこそ、アイデンティティの差別要因の模索が、深まっているようにも見える。
(平均化の裏面には、多様性の発見がある。)
国を超えた取り組みであるはずの国連やEUは、理念というファサードだけは相変わらず立派な反面、ずいぶん内部の骨格のところからして軋み音が絶えないし、アフリカや中東を見回しても、未来どころか現在すら共有できていない。さらにアジアでは、過去すら共有できていないらしい。(変更は自由らしいが。)
もっとミクロな視点、国内でも、同じような光景はある。市民に有用なはずの公共サービスはさっぱり機能していないし、相変わらず、前例に反することはイケナイことらしい。(変更ができないようだ。) 他方、市民同士で「違法だ」といがみ合う光景も増えたようだ。どうも、人権より、利権が優先する理念が裏打ちしているらしい。(これが国家間だと、利権は「国益」とご立派になったりする。)
「眠れずにのたうっている夢」と、「さっさと起きて活動し始めている夢」の間をさまよう、辛い朝のような。
しかし、理想と現実の間で、知的な努力と挑戦は続けたい。
軸足が「国」から外れつつある現状、ではどこに置くべきか。
(他方の軸足がもしありうるなら、どうすべきか。)
世界は一つと言いながら、国同士が国境でいがみ合うというのは、どういうことなのか。
グローバルな安全保障の構築がさっぱり進まないのは、それが「国」を基準に考えているからか。
グローバル化とは、違いをなくすことなのか、認め合うことなのか。
人口が減って困るというなら、「ちょうど良い人口」とはどのくらいか、
その時の人々の生活のイメージは、
それを支える仕組みは。
考えて、準備せねばならない。
相変わらず、あちこちでギヤ比が合っていなくて、まともに回っていない印象の世の中だが。トラブルの原因なんて、大概はそんなもんなのだ。(ちょっと考えれば、事前にわかったろうに、とそんな真相。)
やることは増えている。
著者の、年配者ならではの、まろやかに円熟した思考は、いろいろな意味で刺激になった。
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歴史家が見る現代世界 (講談社現代新書)
読書ログ 「模型飛行機」 ― 2014/08/17 21:53
先週の の関連で、摺本さんの本を借りてきたので紹介してみる。
(一応、バイク関連のタグもつけときますが。バイクの話は全くありませんので。あしからず・・・。)
摺本さんは、実はバイクのイラストレーターではなくて、模型やペーパークラフト関連のお仕事が本業らしい。その関連の本を、たくさん出されている。
(実はワタクシ、ガキの頃に、そうとは知らずにこんなのを買って、あっけなく挫折したりしております → 復刻 切りぬく本、紙で作る日本の蒸気機関車 )
今回、図書館で借りたのは、摺本さんが著書の本で、一番(?)気軽、かつ古くて面白そう(??)ということで、エイヤと選んだものだ。
カラー版の文庫本サイズ。
昭和53年の刊。1978年だ。36年前。
なんか、ようわからんのだけど。
妙に懐かしくて、楽しめた。
題名の通り、模型飛行機について、幅広くまとめている。
(以下、写真はクリックで拡大。)
ラジコンのグライダー
なぜ、いきなりグライダーかと言うと。
昔、欲しかったのだ。
動力が何も無い、プリミティブな所に惹かれたんだけど。
糸の無い凧のような。
風来坊。
いや、ガキの当時に、この大きさを、買って作って飛ばしに行くというのはムリなので。諦めましたが。飛ばせる場所も無かったし。
ラジコンのスケールモデル。
このカラーリングは・・・時代を感じる?。
ヘリ。
でかい! 白煙を噴いている!
この頃のヘリは、操縦も難しかったが、買うのはもっと難しかった。
高かったんだ当時は・・・。
今や、電動で小さいのが数千円で売っているけど。あれはあれで、操るのは難しいようだ。小さくて軽いから、動きも速い。ワンミス or ちょっとした外乱でスッ飛んじゃう。
好き者の天井。
男の夢は、天井につっかえる・・・。
UコンですよUコン!。今でもあるのかなあ。
ゴム動力のキットプレーン。
すごく懐かしい・・・ガキの時に小遣いためてやっと買って(ビンボでしたのよウチ)、大事に作って。飛んだときは嬉しかった・・・また、結構良く飛ぶんだよね。
手投げ、またはゴム引きのグライダー。
これもやりたかったんだけどなあ。場所がね。
どこ飛んでくかわからないものが降りた所に、ゆっくり取りに行けるほどの広い場所が要るんだわ・・・。
あったなあコレ。いつまでもいつまでも、ヘロヘロと飛んでいるやつ。
あったね、CO2エンジン!。ボンベのガスでブーンてヤツ。
あっ、プラモデルもあります当然。
最後に、いろいろ作り方なんかの説明があり。
当時の摺本さん。
と、そんなわけで。
「あったあった!」なんか言いながら、独りで盛り上がってしまった。
ラジコン、今はどうなっているんだろうか。
私は、ラジコンはカー止まりで、飛行機はやらなかったが。
一応、電子機器遊びではあるのだが、この当時は、バルサで組んでフィルム貼って、プロポ買ってサーボ仕込んで・・・と、超ド級のアナログ作業だったように思う。今は、少しは進歩(?)しているのかな。
どちらかというと、やる場所の方が面倒そうな気がするけど。
(早朝の大きい公園で、電動プレーンなんかを静々と飛ばしていても、ソレ禁止ですよ、なんてわざわざ嬉しそうに言いに来るオバサンには事欠かないんじゃないかと、そんな予想。)
場所を探して、クルマに積んで移動すればいいんだろうけど。
そこまで手をかけるかな?という。
青空に、自分の飛行機を飛ばすのは、楽しそうなんだが。
いや、その前に、実家に置きっぱの、プラモデル作らないと。
いやいや、やっぱり、老眼でもうムリかな・・・。
(最近、団塊?向けのプラモの宣伝を見かけるんだが。剣呑である。)
何か、手で物を作る遊びがしたいなあ。
できれば、動くものがいい。
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定価は430円ですが。何千円の値づけって一体・・・。
模型飛行機 (1978年) (カラーブックス)
読書ログ 海底戦記 ― 2014/08/23 06:38
確か、この著者の名前を、何かで見かけて。
私は普段、小説の類は読まないのだが。
珍しく、図書館で探して。
これかな?とエイヤで借りた。
戦時小説である。
舞台は、潜水艦。
時代は、真珠湾攻撃の直前。
出撃。「訓練ではない」。
索敵。そのまま戦争に突入。
浮上すらかなわないまま、ひたすら敵艦の撃沈目指し、潜航する。
過酷を極める環境の船内、
美しくも切ない諸情を背負った、乗組員たち、
「誠」を絵に描いたような、真摯な人柄で引っ張る艦長、
乗組員全員が形作る、隙のない「やまとごころ」の円錐、
それが、艦を、ひとつの生き物として動かす。
お国のために。
まるで、著者が艦内に乗り合わせたかのような、実にリアルな筆致だ。
まことに美しく、かつ、見事な描写。
あまりに美しくチームプレイが成されていて、下衆に見れば、チームマネージメントの理想として、その辺のビジネス書なんかに、感涙と共に紹介されていても、全くおかしくない内容だ。
でも、違和感が残った。
少なくとも、犠牲と言うには大きすぎる、苛烈な終末を招いた事象の一端であるということを、今を生きる私は知っている。
それもあるが、少し違う。
何というか、ある種の嘘っぽさのような。
その感触は、実はこの小説は、著者が艦内に居合わせたものでも何でもなく、事前に、乗組員に多少の取材を行い、その内容をまことしやかに描き上げた作り話だ、と後書きで読んで、確かなものになった。
話を「うまく書く」のが、作家の腕なのだ。
いや。
もう一つ、納得が行かない。
もう一つ、裏があるような。
「反発」の表れ(いやみ)として、でき過ぎた笑顔で対応する。
そんな笑顔にあるような臭いが、ふっと、したような。
気のせいか。
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海底戦記(伏字復元版) (中公文庫)
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